クライアントの言葉に傷つくことのあるSIの方や、SIの言葉に何か騙されているような気がしているクライアントの方へ

あれがホントのマーケティングだったんじゃないか、と未だに思う話。

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随分昔のお話を書きます。まだインターネットなんて言葉が少なくとも一般市民には全く知られていなかった、1989~1993年ぐらいの話です。
一応、自分は「商学部」という所を出たことになっているのですが、学生時代、ホント勉強ができず(←やらず?)、マーケティング論はあっさり「不可」となってしまったぐらいなので、こんなタイトルを付けると、「違うよ」といわれてしまうかもしれませんが、そこはご容赦ください。

自分の親友で音楽のプロ志向だった者が居ます。彼をAとしましょうか。このお話は彼自身の話ではなく、彼が在籍していたバンドとよくライブ活動を共にしていたバンド、ここではまずBとしましょうか、そのBのお話です。

Bに自分が一番初めに出会ったのは、確か1989年の終わり頃だった、と思いますからもうかれこれ26年程前のことになります。Aのライブを見に行って、一緒に出ていたそのバンド、Bを知ることになります。Bは主に大阪のミナミにある「サンホール」というライブハウスで「B.B.BeatCollection」というライブイベントをBがメインの幹事として主催していました。このイベントは何か、というと、通常ライブハウスに入る場合、チケット代がかかる訳ですが、そのイベントのチラシを持ってきた人ならタダで入れる、というものでした。ではチラシはどこで配布されているか、というと、昼間、そのサンホールに近い通称三角公園、と呼ばれるあたり場所周辺で、Bを初め、夜に出演するバンドのメンバーが自ら配っていたのです。

「どうせ自分達は有名じゃない。だからお金を取ってまで来よう、なんて人は居ない。でもまず曲を聴いてもらわなきゃファンなんか増える訳が無い。だから自分達でライブハウスを借り切って聴いてもらうんだ」と。
このイベントを始めたきっかけはBのボーカル兼リーダー(その彼をCとしましょうか)Cのアイデアだった、とAは言ってたように思います(何せ古い話なので記憶が定かじゃ無いのですが・・・)。
この話を聞いた時、「やるなぁ。確かに自分達の音楽を聴いてもらわなきゃ話にならんもんね」と感心した覚えがあります。サンホール、はサンボウルというボウリング場の地下にありました。元々銭湯兼シャワー室跡だった、ということで、内装もほとんどない、配管むき出しの、ライブハウスとしては内装に全く凝っていないハコでした。そういう理由もあり、大阪の都会であるミナミに位置している割には、比較的、他のライブハウスに比べてレンタル料が安かった、ようです。そこで無料で来てもらってまず自分達の曲を聴いてもらう。あわよくば、帰りに来た人に楽曲入りカセットテープを購入してもらう。これでほんのちょっとでも取り返し、がこのライブにおける彼らの唯一の収入源でした。
※つい先日までサンホール、現存していたようですが、現在は移転してしまっているようです。
http://www.sunhall.com/

イベントのトリは、もちろん"幹事"であるB。また、最後の曲はいつものお決まりのものらしい。自分は初めてBが演奏しているのを見た時、この曲はすぐに気に入りました。で、確か、購入したんです、その曲の入ったカセットテープ。残念ながら、その数年後、家で探してもみつからなかったのですが。。。カセットテープの販売価格はだいたい300円~500円ぐらい。今のようにCDとか簡単に家で作れる時代ではないですし、そもそもカセットテープも高かった。で、そのカセットテープを作るのにもきちんとスタジオを借りてレコーディングして・・・ということで、どのバンドもそれぐらいの値段で売ってはいましたが、事実上ほぼ赤字の販売でした。だから、収入、と言ってもほとんど持ち出しのため、このサンホールでの「B.B.Collection」は確か10回弱ぐらいで打ち切りになりました。

お金がかからず、集客をするには・・・を考えるにあたって、またCを初め、既にその頃、Bはまだアマチュアであるにも関わらず、マネージャーとして事実上"もう一人のメンバー"のように加わっていたDが考えたのが、
「じゃあ、路上でやればタダやん、で、そうや、コンサート帰りの人なら音楽好きなはずやから聴いてくれるかも。で、人が一番集まるところは・・・そうや、大阪城ホールでやろう」
と始まったのが後に「城天(しろてん)」と固有名詞まで付くようになった野外ライブの始まり、とまたAから聞いています。

最初の頃、「城天」は夜間の開催でした。大阪城ホール、ご存知でしょうか?こちらに電車で行くにあたっては、今では近隣に別のJR路線も通りましたが、当時はほぼ大抵の人がJR環状線「大阪城公園前」駅を利用していたのではないでしょうか。この駅と大阪城ホールの間、物凄く遠い、とは言えないものの、それなりに長い、広いスペースがあります。したがって、大阪城ホールでコンサートを見た人は、ほとんどがその長い、広いスペースを通って帰ることになります。この「帰り客」をあてにした訳です。
帰り客相手ですから、まずは立ち止まってもらわなくてはいけません。そういうことで、まず最初の何曲かは、その日、コンサートを行っていたアーチストのコピーをやったそうです。そうすると、まだ興奮冷めやらぬお客さん達、「何、何?」って感じで立ち止まってくれる。そこで2、3曲コピーをやったごは、巧みにMCで客を引き止めながら、自分達の曲をやる、もちろん「なーんだ」と帰ってしまう客も居るけど、最後まで見てくれる客も居る。それを何度も繰り返していくと、逆に、今度は"そのぐらいの時間になったら例のバンド、居るかな?"ということでお客さんが来るようになった、これが「城天」発展の経緯と聞いています。

ただし、ここには一つ問題がありました。何せ夜間の演奏で騒音がひどい、とか、若者がたむろしている、ということで、警察官が止めに来たり、また公園の管理者である大阪市からも注意を受けたりして存続が危ぶまれたことがありました。B達の活躍を見て、「じゃあ、俺らもやろう」とバンド数が増えてきて、余計に騒ぎが大きくなったのも一員にあります。ここで前述のDが中心となり、自分達が演奏できなくなる、ということだけではなく、せっかく起こったこのムーヴメントを無くしたくない、そんな気持ちで何度も大阪市と話し合いを持ち、
・演奏するのは日曜日だけ
・午後5時になったら演奏は終了する
という約束を取り付けることで「城天」は存続できることになりました。
(現在はルールは変わっているかもしれませんが)
この話は、当時の大阪版の新聞にも記事として記載されたことがあります。

Bがとにかく偉かったのは、どんな露出接点にも貪欲に活動していたことです。
アマチュアバンドでオリジナル曲をやる、というと、どうしても自分達で「かくあるべき世界観」を創造して、それはそれで良いのだけど、そんじょそこらに出て自分達を"安売り"するようなことはしない、プロの方から声を掛けて来てくれるに違いない的、「思い込み」なんだか「思い上がり」をしがちな風潮が当時ありました。
その点、Bは朝日放送(テレビ朝日系列の大阪の放送局)のアマチュアバンド紹介番組「LiveKing」に出演して中華料理のお店のお食事券を5万円分もらっていたり、日立製作所関西主催(当時バブリーだったので)の学生向けイベント「学生の王様」の第一回に出場したり、と精力的に活動していました。

とにかく、「自分達を見てもらう、曲を聴いてもらうためにはどんな接点でも活かしていく」という所に貪欲な人達でした。

これだと、マーケティングの4Pで言うところの、まだProduct自身の話をしていませんね。

前述のライブのトリに演奏する"いつものお決まりの曲"を初め、Bの曲はとにかくキャッチーで、当時のアマチュアにありがちな「自分達の世界観に沈み込む」ような陰気さはありませんでした。見る側も楽しく感じてくる、というか。また演奏技術そのものにしても、まとまりがあって、かつとにかくドラムが上手い、と感じました。

そのBというバンドはその後、ヤマハ主催の「BAND EXPLOSION」というコンテストで全国大会に出場する程までに発展します。ヤマハのコンテストは、店大会だけでも案外勝ち抜けないものを、その後、大阪大会、近畿ブロック大会、と勝ち抜いて全国大会まで出場したので、この時、C達は「俺らプロに行ける!」と思ったようなのですが、全国大会での優勝ができなかったので、ちょっと落ち込んでいるようだった、とAは言っていました。しかしその後、NHK主催の「BSヤングバトル」で優勝し、見事プロデビューを果たします。

これらを見てきて、Bは、自分達自身という商品をうまくマーケティングしてプロにまでならせたんじゃないか、と思っています。

Bというバンドは、今、それ程、大きな活動をしてはいませんが、未だにプロとしては存在し続けています。やはり、Cの闘病が理由かもしれませんが。

そろそろ、代名詞を取りましょうか。

Bは「シャ乱Q」のことです。Cはつんく♂さんのことです。"いつものお決まりの曲"は「パララ」という曲です。

※「GOLDEN★BEST」の4曲目に入っています。もちろんファーストアルバムにも収録されていたはずです。

モーニング娘。をはじめとするハロプロ展開について、苦々しく思っていた人達も居るんじゃないか、とは思いますが、それでも、彼らがまだアマチュアだった頃から、とにかく、自分達をどうして行けば良いか、と真剣に考えて、今の位置があるとは思うので、それを横目で眺めていた自分としては未だにやはりスゴイ、と素直に感心しています。

今の時代で言えば、インターネットもあれば、YouTube、SoundCloudをはじめとして、いくらでも自分達の音楽を聴いてもらえる手段がある、と思います。機材などもそれ程二十数年前と金額も変わっていないのに、ほぼプロと同じような音楽を作り出せる環境があります。昔の人達の苦労や努力をあっさり埋められる手段が揃っています。だからこそ、人と違う何かをしないと「差別化」されないよな、と改めて思います。

先日、アマチュアバンドのライブを見に行ったので、ふとそんなことを思い出した今日この頃です。

※伝聞に頼る所が多いため、一部事実と違うことがあるかもしれないです。その時はきっと、Aが訂正を入れてくれる、と思います。
※自分自身は、つんく♂さんを初め「シャ乱Q」のメンバーと知り合いではありません。飲みやライブの場にて一緒に居たことや話したことはあるけど。それを大阪弁で言う所の「ツレ」と言って良いのなら、「ツレ」っちゃ「ツレ」です(笑)

Comment(1)

コメント

天野

おもしろかった!

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