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「ベビーカー事故」と「高校演劇著作権問題」の共通項

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昨日、テレビをザッピングしていて、気になる2つのニュース(というかニュースの中の特集?)がありました。

ひとつは、「ベビーカーが電車のドアにはさまれ、そのまま電車が発車してしまった事故」に関するもので、もうひとつは「高校の文化際で上演する演劇に関する著作権料の問題」でした。

まず、ベビーカーの事故は数件立て続けに起こっているようで、鉄道会社とベビーカーメーカが原因究明とともに、挟まった場合にも検知できるようにドア部分の改良を計画しているようです。最終的にはベビーカーメーカの人も言っていましたが、乗り物に乗る際にはベビーカーを畳んで乗るようにして欲しいとのことでした。

もうひとつは、高校の文化際で演劇で使用する場合に著作権者への了承が必要とのことで、著作権料の請求、および許可が下りず演目を変更する必要なども生じているようです。これは、著作権法の中で定義されている著作権者は「同一性」を維持する権利がある、つまり”劇を短くしたり、内容を変えて演ずることはできない”という権利と、著作権法に規定されている”ノーギャラで営利目的でなければ著作権者の承認をもらう必要が無い”という狭間に立った問題のようです。

なぜ、この2つに共通項を感じたかというと、ベビーカーの問題では消費者団体(?)等が「ベビーカーのまま乗車するときに周りの人に理解と協力を求める」という発言やキャンペーンを展開していることと、高校の演劇では「子供が学校の文化際で行うことぐらい大目に見て欲しい」という一方的な発言をしていたことです。つまり、本来公共の場、特に込み合っている車内ではベビーカーを折りたたむことが当然ですし、電車の乗り降りという危険が伴う場で、その危険がベビーカーの使用で増幅される場合には、ある程度大変であってもベビーカーを折りたたむべきですし、高校生が学園祭で使用するから著作権者が本来持っている同一性の保持の権利をあきらめて欲しいということも、ある意味、ベビーカーを使用している側そして高校側の一方的な意見だからです。

確かに、ベビーカーにしても私も子供を沢山抱えていますので、どうしようもない状況になる場合も理解できますが、周りがそれを理解することを前提としてのアプローチは身勝手だと感じますし、また高校生だから学業の一部だからということと、著作者に認められている本来の権利はまったく別の価値や内容を保護しているもので、いっしょくたんに扱うべき問題ではないと思います。

あくまでも、子供を抱えて大変な状況に対して自らも周りの状況に応じて対応し、周りもそれを助ける、著作権にしてもあくまでも著作権者の本来の権利を理解したうえで正式にお願いにあがり、著作権者も教育に理解を示す(これでだめだったこともあるようですが、それは仕方がないと思います)といった、当たり前の社会協力ができなくなってきてしまっていると感じます。

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