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ITに強いビジネスライターとして、企業システムの開発・運用に関する記事や、ITベンダーの導入事例・顧客向けコラム等を多数書いてきた筆者が、仕事を通じて得た知見をシェアいたします。

あきらめた後に本当の人生がある

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がんばっている若者を貶めたいわけじゃありません。がんばっているからこそ気になる。周りの"大人"の無責任さが。

違和感があったんです、昨晩のNHK「ハートネットTV」に。

プロのトランペッターになりたいとがんばっている若者(A君とします)が、プレゼン大会でスピーチするという話。それを多くの人が称賛している。番組制作側も好意的だ。

でも、本当にそれでいいの?―― という違和感を感じたのは僕だけでしょうか?

 

ロのトランペッターになるということは、どれだけハードルが高いのでしょうか?

バックバンドに入ったり、レコーディングに参加してお金をもらうのがプロだとしたら、たくさんいます。

問題はそれで食えるかということです。そうなると、もうトランペットに限らず、むちゃくちゃ巧くて、センスもあり、音楽理論にも精通している人たちが、音楽の世界にはあふれています。

そして、それだけで食べられている人はほとんどいません。

CDなりチケットなりが売れないと食えないわけです。

たぶん、専業で食えるというのがA君のプロの定義でしょうから、そうなると同じ志を持つ人の中で100人に1人、もしかしたら1000人に1人の狭き門なのではないでしょうか。

A君は、夢をかなえるセミナーのようなものに参加していました。プレゼン大会はその総仕上げという位置づけだったと思います。

そのセミナーの最大のテーマは「夢をあきらめない」ということだと見受けられました。

しかし、少なく見積もっても100人中99人は夢をあきらめる世界なのです。

最後まであきらめなかったやつが残るというのが、こういうセミナーを主催する人たちの主張です。

たしかに、何もしないであきらめる人が多い中、このようなセミナーに参加するだけでも意識は高いと言えるでしょう。

でも、一生かかってもかなわないかもしれない夢に対して、そんな無責任なことを言っていいのか?

30代になってから、A君がとりかえしのつかないことになったと後悔したときに、誰が責任をとるのか?(注)

(注)なので、こういうセミナーでは必ず他人に依存してはいけないとセットで教えるのです。

 

ロのミュージシャンを目指す人が、プレゼン大会でスピーチするというのも違和感を感じました。

起業のためにプレゼン大会に出るというのはまだ分かります。スティーブ・ジョブズとまではいかなくても、それに近い情熱と、そして(大前提ですが)すばらしいアイデアを持っている人であれば、プレゼンで人と金と物を集められるでしょう。

そう考えて、1000人以上集まるプレゼン大会の場に出る人が最近はたくさんいます。その勇気と熱意には称賛をおくりたい。

でも、そういう場に出るという時点で、僕は弱さを感じます(自分のことを棚にあげるのは、しばらくお許しください)。

本当に、人・物・金を集めている人は、自分でベンチャーキャピタルを集めて、そこでプレゼンします。1000人もいなくてもいい。5人で十分です。

人の提供してくれた場でやるという時点で依存しているわけです。厳しい言い方をすると。

中には自分でベンチャーキャピタルを集めながら、1000人以上も集まるプレゼン大会に出ている人もいます。しかし、例外的。

本当に成功している人は、もう最初から全部自分でやっているんです。

ましてや、プロのミュージシャンになりたいという人が、プレゼン大会でスピーチしてどうするんでしょうか?

応援してくれる人が出てくるかもしれませんが、それだけでしょう。小さなライブハウスで演奏するときの集客には多少有利かもしれませんが。

自分の意志を固めるために、人前で発表するという効果を狙っているのかもしれません。

でも、ミュージシャンであろうと画家であろうと作家であろうと、プロとして成功する必要条件(十分条件ではありません)は、表現したくていてもたってもいられないということなのでは?

であれば、意志固めのために人前でスピーチしている時点で、もう失格ということになってしまう。

そんな時間があるなら、もっとライブに出るべきだし、その道の大家に頭を下げて弟子入りするという方法もあるだろうし、とにかく他にやることはたくさんある――と思うのは僕だけでしょうか?

 

んなを元気にする演奏をしたい――そのようなことを言っていたかもしれません。

正確に憶えていませんが、少なくとも共感を得るための言葉は発していました。

これにも違和感があります。

それこそビジネスであれば、絶対に必要です。理念というよりは、どうやってお客に貢献しようかということを言えていないビジネス・プレゼンは無意味です。

でも、アーチストはどうなのでしょう?

我々がアーチストに求めるのは、ハッとする表現やものすごい技術に対する感動ではないでしょうか?

それって、人の役に立ちたいという気持ちから出てくるものでしょうか?

人の役に立ちたいという気持ちを持つなというわけではありません。

ただ、それとアーチストの成功とは関係ありません。

彼には人の役に立ちたいという気持ちがあるからコンサートへ行こうなんてオーディエンスはいません。

場合によっては周囲を不幸にしながらも、とにかく表現をしたいという意欲が結晶したものに対して我々は感動するのです。そのうえで寄付もたくさんしているというのなら共感しますけど。

やっぱり、プレゼン大会に出ている場合ではないのです。

 

A君の言葉にも違和感を感じました。

あきらめずに前だけを見て進んでいく、というようなことをA君は言いました。

その言葉に感動する人もきっと多いのでしょう。

でも、考えてみてください。

「前だけを見て運転する」という人の車に、あなたは乗りたいですか?

人生だって、車線変更は必要です。そのときに、左右を確認しなければ、高い確率で事故を起こします。

プロのトランペッターになるのだって、まっすぐな道ではないでしょう。車線もたくさんあるはず。

前だけ見ていていけるわけがない。

思慮の足りなさを、ポジティブだと持ちあげることも無責任だと思う。

本当にポジティブな人は、3歩進んで4歩下がっても、一時的なことだと割り切ってがんばるのです。下がるときに後ろを見ないでどうする?

 

A君の夢をくじきたくて、こんなことを書いているわけではないのです。どうみたっていいやつなので、僕は夢をかなえてほしい。

ただ、A君は踊らされている気がする。周りの"大人たち"が期待する人間像を演じようと一生懸命なのでは。そう感じてしまってならないのです。

本当に欲しいのは、夢をあきらめてしまったときにも、ぶれない自分ではないでしょうか。

プロのトランペッターになれたとしても、次は頂点に立ちたいという、もっとかなえるのが難しい夢に挑戦しなければならなくなるでしょう。プロになったら終わりだったら、そこで燃え尽きてしまう。

結局、どこかで夢はあきらめないといけない。

夢をあきらめたときに、他人も自分もどちらも責めない強さがあるか。その強さはそこまでの人生の蓄積の中でしか生まれてきません。

そして、次の挑戦をする。それこそが人生の醍醐味なわけです。

あきらめた後に本当の人生がやってくる。

そのときに必要なのが、ぶれない自分軸。

 

からこそ、僕は自分のやっていることをPRしたいと思います。

先日、3時間の自分軸発見ワークショップをやりました。これが1回目です。

その中で、既に夢を実現するためのプロジェクトが始まっています。

すごいアイデアをもっていたのだけど、それをどうしていいか分からなかった人が、既に事業計画を書き、まずはそのアイデアの特許を取ろうという具体的な行動を始めました。

いまは3人のプロジェクトです。僕ともう一人の協力者――彼もワークショップの参加者でした。

一緒に自分軸を作った仲間です。自分軸を一緒に作るという体験を通して、気心が知れてしまった。

そうでなかったら、協力はしなかったと思います。「ふーん、がんばってくださいね」って言ったと思う・・・。

1回目からこんなコラボが生まれたことに、僕は素直に感動しています。

この輪を広げたいと心から思います。日本中に広まったら、すごいことになると思っています。

夢をあきらめた後に本当の人生が来るなどと言っておきながら、夢を語っているのだから、人間って面白いですね。

ただ、僕らのプロジェクトは夢が目的ではないのです。

このプロジェクトには最終的な、というよりも一生続けたい目標があるのです。それを目指して一生ぶれずにがんばろうという仲間が集まった。

そのことが(我ながら)すごいなあと思えたのです。

 

記事に共感した方は、ぜひ下記のサイトにもお立ち寄りください。

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▼マーケティングで最も大事なことは自分軸を持つこと。
 Who、What、Whyの3Wメソッドで、行き詰まりからの起死回生を!

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▼自社の考えをインタビューして文書化してほしい方は

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