やわらか頭の組織つくりをサポートしています。ガジェット大好き。

謝罪会見という名称の釈明会見に見る「説明」と「理解」の関係

»

3ヶ月もの時間をかけて、満を持して開催された謝罪会見の抜粋を拝見しました。感想は「これは一体何だったんだろう?」という疑問のみでした。こんな会見、やらないほうがマシかも、という感じです。

僕たちも、人に説明する機会がたくさんあります。謝罪はさすがにあまりないですが、まだきちんと理解できていない方にご説明する機会は山ほどあります。そんなときに、どの目線で説明するのか、ということが重要になってきます。

この業界にいると、やたらと専門用語や横文字、さらには略語を使いたがる人がいます。ご本人は「使いたがっているわけではない」と言うのでしょうが、実際に代わりになる言葉を持って、相手に伝わるようにしないといけないわけです。それをしないのなら「使いたがっている」と言われても仕方がない。

相手が何を考えていて、どうして僕と話してくれていて、どこに向かっているのか。そして、相手はどういった知識レベルなのか。iPadを導入する企業の方とするならば、どの部署で何をしていて、iPadのことをどこまで知っているのか。さらには、自社のITの状況を知っているのか否か。

それらを理解した上で話し始めないことには、いくら「説明」をしても、相手の「理解」を得られないわけですね。理解を得るための説明だったはずなのに、気がつくと一方的な説明にしかなっていなかった、なんてことになりかねません。これでは、謝罪会見だったはずなのに、釈明会見、あるいは言い訳会見になってしまった人と大差ないことになってしまいます。

ITのプロは、説明のプロであるべき、とも思ったりしています。そういう意味で、大変学びのある会見を拝見した今日この頃です。

Comment(0)

コメント

コメントを投稿する