デザイン企画部のマネージャーTKNの週報を共有します。
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採用活動で、多くの方と面接させてもらっていますが、
面接で話す言葉は、そのまま自分自身に跳ね返ってくる、と感じます。
知らないという前提で対峙すること
登る山を決めること
エゴを知ること
感謝すること
続けること
質問をしながら、振り返ってみて自分では、どう答えられるだろうか、と
考えます。気づき、成長の機会をいただいた、候補者の方々に感謝
しなければいけないと思っています。
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今年に入ってからの中途採用枠の希望者が100名を超えました。
(当社を希望してくださり有り難うございます。)
エイベック研究所は、教科書のない新しい分野のコンサルティング事業という特性を持つので、
ノウハウの重要度が極めて高い組織となります。
日々の活動から得られたノウハウは、情報のネットワーク体系を作り、システムに転換されるものはシステム化され、人的な経験によるものは人を媒体として蓄積・伝達されます。ふたつは両輪を成して回りながら、人とシステムとが相互に影響を持ち合ってスパイラルアップする螺旋モデルを形成します。
エイベック研究所のスタッフは、システムを使いこなすということはもちろんのこと、自らの実際の経験に基づきシステムを改善していく役割も担わなければなりません。クリエイティビティ、チームワーク、タフネスを兼ね備え、コラボレイティブに成果を出して行く。企業CGMの導入200社の舞台裏では、このようなプロフェッショナルの採用と教育に大きくコストをかけて取り組んできた歴史があります。
当社のコミュニティが登録者50万人を突破しました。
キャンペーンサークルにユーザーのみなさんからお祝いの声が続々と集まっており、読んでいると感動してしまいます。
1月の声http://www.c-player.com/ad63000/message/201001
2月の声http://www.c-player.com/ad63000/message/201002
みなさん、いつも本当に有り難うございます!
Twitterを始めました。Twitterの可能性と厳しいところはまた分析して書きます。
フォローして頂けるとやる気がでますので、よろしくお願いします!(笑) → http://twitter.com/TKD_AvecLab
最近、僕がツイートした気になるニュースを下記に抜粋しました。特に興味深かったものを5つ★で選びました。
これぞ熱きジャーナリズムと思わせてくれる「上杉隆」。元日本版WIREDの編集長小林弘人さんとの対談も面白かった。
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1001/22/news005.html
東京が世界一魅力的な街である50の理由。えっ! そこー?? という箇所が挙げられている。
http://www.cnngo.com/tokyo/none/50-855494
エンタ。どうしてここまでつまらなくなったのか? 業界関係者に聞いてみたい。レッドカーペットと比較すると雲泥。健全な競争がなくなったから?
http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20100122-OHT1T00021.htm
★印税70%というのは凄い。電子書籍の動向は要チェック。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100122-00000005-jct-sci
★南方熊楠先生もお喜びに違いない。このネットワーク時代に粘菌研究への注目が上がることを期待。
http://freefairy.blog84.fc2.com/blog-entry-236.html
確かにね。1番と4番はひきますね。それ以外はOKだと思うけど・・・
http://news.ameba.jp/otomesugoren/2010/01/55281.html
なんだか半端ないんですけど・・・ でも、何に使うんだろう?(笑)
http://www.youtubexyoutube.com/mystery-illusion/high-performance-double-pendulum.html
★いやー。どこをどう切っても、完璧完全に須藤元気。信じてたよ。
http://news.ameba.jp/myspiritual/2010/01/55284.html
これってすごいの??
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1387792.html
★仮に地球温暖化が嘘でしたと言われても走り出したプロパガンダは止まらない・・・
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/100121/erp1001211055001-n1.htm
いずれにしても「疑って見る」という姿勢が情報操作に対しての防御になるのだと思います。
http://sensouhantai.blog25.fc2.com/blog-entry-812.html
★あっ、日本の鎖国が0.58秒で終わったよ(笑)
http://bit.ly/765Jr6
ヒップホップで日蓮(笑)
http://d.hatena.ne.jp/Halalneet/20091109/1257784704
やっぱりラジオはCGMと組んで復活できると思うんだけど・・・
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/media/100102/med1001022122001-n1.htm
そりゃ、メディアはエロから発達するわけだよね。
http://10e.org/mt2/archives/201001/100337.php
これ聞いたら、フカヒレの美味しさが半減してしまった。聞かずに夢を見ていたかった。コラーゲン!
http://blog.livedoor.jp/buu2/archives/50962548.html
いや、僕は可愛いと思うけど・・・(笑)
http://www.asahi.com/national/update/0108/TKY20100108032
いいねぇ! っていうか、凄いね。H・R・ギーガーと村上隆を足しで2で割ったような・・・ クリムトが現代を生きてたらこっちの方向だったかもですね。
http://www.diced.jp/~fbi/illust1.htm
小松原庸子スペイン舞踊団の創立40周年記念公演。
「HIBIKI 西と東」を観た。小松原はこれで5回目くらいになるかな?
スペインといえばアンダルシアのダンス。そう、フラメンコです。
静と動。繊細さと荒々しさ。切なさと熱情。人生そのものとも思える対極の融合が舞台を舞う。
僕の一押しバイラオーラ(女性ダンサー)はこのふたり。
田尻希絵。長身でスレンダーな筋肉美が優雅に誘うエロチシズム。その妖しさをパワフル且つ爽快なリズムで追い越して行く。置き去りにされた官能の香りがその力強さを包むように漂う。夢の世界に連れて行ってくれる素晴らしいダンサーです。昨日の公演でもまた相当レベルを上げられたように感じました。
井上圭子。凛々しくてキュート。調整し尽くされた姿勢が成せるものなのか? それとも情熱の思想ゆえのものなのか? 立っているだけで強烈な存在感を放つ。そして彼女が動くとダンサーたちの連繋が舞台で光る糸のように見える。洗練されてコミュニカティブなんです。彼女のパルマ(手拍子)を聴くと、フラメンコの魂はジプシーの東西南北に張り巡らされたネットワークなのだと気付かされる。
それから昨日は、男性のバイレ、エル・フンコも流石はスペインの名手、もちろん良かったけど、フンコはこの前の方が良かったかな?? それにしてもスタイルよし、顔よし、踊りよし、(少なくとも舞台でみる分には)気持ちも温かそう。フンコのソロはやっぱり汗だくになってもらわないと燃えない。観ているだけで身体の芯から熱くなるような強烈な興奮をもう一度。オーレ!

あと、今回は和太鼓の林英哲とのコラボレーションもあった。大きな太鼓の生演奏って始めて聴いたけどカッコイイ。フラメンコと和太鼓ってそりゃ無茶じゃない? って最初は思ったけど、これがめちゃくちゃ合う。不思議。一部お互いにぎくしゃくする所(そりゃーお互いに深い歴史があるから・・・)もあったけど、深く融けていく瞬間があって驚きました。和太鼓、はまりそう。
それにしてもフラメンコはいい! お勧めです。
向こうから語りかけてくるようなダンスなので、予備知識なんかなくてもいきなり楽しめます。みなさんも是非!
某月刊誌に向けて書いた原稿ですが、
テーマが難し過ぎて合わないということでボツになってしまいました。
そちらには新しく書きましたので、発売されたら見つけてください(涙)
それなりに面白いものだと思うのでUPしておきます。
題して、「新旧メディアが変わる瞬間にインターネットで始まること。」
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今、インターネットで一番HOTものは何?と聞いたら、きっとみんなCGM(Consumer Generated Media)をあげるんじゃないかな? CGMというのは、ブログやSNSのような一般消費者が自分で作成するコンテンツサービスのこと。
いきなりだけど、メディア論の父、マーシャル・マクルーハンはこんなことを言っている。「新しいメディアが立ち上がるとき、その新しいメディアはまず旧世代のメディアを模倣した形で登場する」。Yahooは雑誌メディアを模倣した。すなわち、ライターによる記事とリンクの編集に基づく広告を営業マンが人力で売るモデル。これに対してGoogleは、リンク構造を持ったコンテンツをデータベース技術で検索させてそれにあったマイクロアドをネットを通じて販売するっていう、まさにインターネットにあったメディアビジネスを構築した。このふたつの対立は興味深い。この勝負、どうなったかといえば、Googleはわずか数年の間にYahooを抜きさってしまった。新メディアが登場するとき、そのメディアの特性を活かした新しいプレーヤーが、旧メディアの特性を引きずる巨人を最終的には打ち負かすという法則。別の例では映画のモデルに固執したプレイヤーを、テレビのビジネスモデルを作った電通が倒してしまったのだった。諸行無常。
現状のインターネットは? まだまだテレビ広告のパラダイムの延長にあるって思う。だって、視聴率の代わりにPVを集め、キラーコンテンツは芸能人、ビジネスモデルはコンテンツと無関係な広告か、せいぜい商品タイアップ。テレビ広告に親しんだ企業にも理解しやすいビジネスモデルがほとんどだから。でも、歴史に従えば、新メディアの特色を活かしたメディアが最終勝利する。今をときめくCGMサービスも同じ運命をたどるんじゃないか。じゃあ、インターネットの特色って何だろう。それは一言でいえば、「インタラクティビティのネットワーキング」ということ。それは「繋がることが価値になる」世界。あらゆるコンテンツは相互にリンクされ、ユーザーは自分の興味関心の赴くままに好きなコンテンツをブラウズできる(これを昔はネットサーフィンという言葉で表現した。んー、絶妙!)。そこでは旧来の「編集」は無効化され、代わりに「検索」が登場する。
このメディア特性を事業にしたのがGoogleだっていえる。そのGoogleにしても、インターネットの特色のごく一部をビジネス化したに過ぎないって思わない? だって、インターネットメディアの最も破壊的な部分である「受信者=発信者のネットワーキング」という部分はまだ十分にビジネス化されてはいないから。その証拠にGoogleへ出稿している企業は「宣伝広告費」予算から出しているケースがほとんど。だから「広告」だっていう認識なんですね。でも「受信者=発信者のネットワーキング」ではメディアとの関わり方が、これまでのマスメディアとは決定的に違ってくる。ユーザーは単に情報を受信するんじゃなくて、メディアに参加してくる。しかも、メディアに参加することが一つの娯楽、エンターテイメントとしてとても楽しい。その点で、ネットオークションがある種ゲーム感覚を持っていることや、ソーシャルゲームが爆発的に伸びているのは当然の帰結ということになる。そう、インターネットというメディアは消費者にとって「参加できるエンターテイメント」なんだって考えると分かりやすい。参加意識が高まってくると、今度はその場所への帰属意識が生まれてくる。そして、帰属意識が生まれてくると、その場所に貢献したいという気持ちが生まれてくる。例えば、mixiの「サンシャイン牧場」では、マイミク同士で協力して、牧場を経営していく。まさに場所への帰属意識(自分たちの牧場を)と貢献意識(自分の努力で大きくする)をストレートに刺激するエンターテイメント。
こうしたメディア特性は、現在主流であるPVにひもづけられた広告モデルを破壊してしまうと思う。というのも、広告っていうのは、企業が一方的に伝えたいことを発信するコミュニケーションで、そんなものを消費者は信じていないし、欲しがってもいない。当社のクライアント180社の内の大半は、多くの広告宣伝予算を投下して、高い成果を出してきた日本を代表する消費財企業です。しかし、なんとそのマーケッターの方々ですら「広告が効かなくなった」と「勝利の方程式」の無力化に当惑されている。映画よりもテレビの方が面白くなってしまったように、ユーザーが、一方的な発信である広告よりも、「参加意識→帰属意識→貢献意識」という新しいメディア消費、すなわち楽しいエンターテイメントを見つけてしまったってこと。残念ながら、広告入りマスメディアよりも、「サンシャイン牧場」の方が楽しいのです。
こうなってくるともはや、マスメディア広告の中で限界的な差異を追求するのは、本質的な解にはならないことがはっきりしてくる。むしろ、「参加意識→帰属意識→貢献意識」というメディア特性をどう事業に活かすかを考えなくちゃいけない。メディア業界に従事されている読者の方々にも伝えたい。旧来メディアも変わらなければならないと思います。マクルーハンはこうも予言している。「新しいメディアがその特性に気付いたとき、旧来のメディアもまた自らの特性に気付いていく」。そう、絵画が記録としての役割を写真に奪われて、初めて、キュビズムやシュールリアリズムといった作家の内的世界の表現が確立されたように。今、僕たちは、新旧それぞれのメディアが一斉に変化をしようとしているまさにその瞬間の時代に居合わせている。こう考えるとドラマチックじゃないですか?
さて、今起こっている出来事を当社が手がけている企業CGMを例に説明します。企業が既存顧客あるいは潜在顧客同士で情報交換できるコミュニティを準備する。そうすると参加者の帰属意識が高まって、ある企業の例ではCGMに触れた顧客の購買総額が6ヶ月で23%も増大した。よく言われることだけど「CGMはお金を生まない」とか「ROI(投資対効果)は二の次だ」っていうのは嘘で、CGMはちゃんと作れば結構なインパクトを得られる。それから、CGMの参加者はマーケッターでさえ予想できないような切り口を提供するときがある。Googleなどの検索サイトから自社サイトへの遷移をもたらした検索キーワード(ある一定期間で25万ワード)のうち2割はマーケッターが想定していたものだったんだけど、8割はCGM経由で作られた多種多様なキーワードであったというような例があって、これは「興味関心のロングテール対応」が実現しているってこと。ユーザーは期せずして企業ブランドに貢献している。さらに企業CGMが活性化すると、その中から強い参加意識や貢献意識を持つユーザーが現れる(コミュニティ参加者の約2%!)。彼らはネットワークへの影響力と自らのアクションによって、さらなる発言や購買行動を波及させていく。こうしたコアとなるユーザーが自発的にブランドに対して貢献しようとして、そうすると、他のユーザーの参加意識、帰属意識、貢献意識を高まっていって、またその中からコアユーザーが育ってくる。こんな好循環が始まる。まさにコアユーザーのマトリョーシカ。僕たちの持っている指標によれば、スーパーコアユーザー1000人としっかり関係構築できれば、100万人と繋がることができる。
勘の鋭い読者の方は、この話は「ブランド」の本質論と驚くほど似ている事に気づいていると思う。アップルやハーレーダビッドソンのような熱狂的なファンを持つブランドは、単に商品を消費しているんじゃなくて、そのブランドを取り巻く文化圏に参加、帰属し、貢献することで(友人のMacファンにPower Bookを熱狂的に営業された経験はない?)満足する構造になっていて、これが唯一「グローバル市場コモディティ安売り競争」を逃れる方法だって知っている。
これだけ聞くと、明日にでも企業CGMを始めようとするビジネスマンの読者もいると思う(すぐに当社にご連絡を!)。しかし、こうした試みのほとんどが失敗しているってことを知っておいて欲しい。僕たちが計測したところ2008年には無惨にも40社近くの企業CGMが廃墟となった。ほぼ全滅の様相。というのも、企業CGMはエンターテイメントとして楽しくなくちゃダメで、一見何でもないコミュニティの裏側に緻密な設計が必要なんです。例えば、どのようなテーマや役割を与え(つまり、ロールをプレイさせる!)、どのようなイベントを発生させ、どのようなインセンティブを与えるのかっていう設計がCGMの成功には不可欠なんです。コンテンツを作らないかわりに、コンテンツが生まれてくる仕組み(アーキテクチャ)をデザインすることが重要になる。これは小さじ三杯といったようなとっても細かい作業なんです。
こういったノウハウは当社においてもまだまだ試行錯誤の蓄積過程ではあるけれど、苦節10数年! 今までに実施した5000を超える施策からかなりの部分は体系化できつつある。その詳細は、本稿には足りないが、また、機会を改めて、詳細を解説したい。
あけましておめでとうございます。
昨年、目標達成をしました。5年前に立てた大きな目標でした。
エイベック研究所は次の目標に向けて、第2創業時代に突入します。
その初年となる2010年の全社スローガンは「弾力を育む。飛躍に備える。」です。
CGMマーケティングが市場のスタンダードなマーケティング手法になるのは2011年と予測しています。その来年に向けて、組織・システム・サービス、それぞれに弾力性を備えようと計画しています。弾力には、圧迫を跳ね返そうとする力、柔軟な対応能力といった意味に加えて、楽しく弾むイメージもあります。この先も高いハードルが多くあると思いますが、跳ぶなり倒すなり潜り抜けるなり、弾力をもって全力疾走いたします!
本年もご指導、宜しくお願い致します。
(それから1月2日、僕の誕生日に入籍をしました!)
「比喩して話す」というようなことはよく言われる。
ちょっと分かり辛い事象も喩えて話すと良く伝わったり、
複雑で聞いていて疲れてしまうようなことでも比喩しながら話してもらえると楽しく聞けたりする。
でも、そもそも喩えるってどんなことだろう? と考えてみた。
まず「喩(たとえ)」というのはどんな種類があるんだろう?
どうやら3つの種類に大別できるらしい。
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隠喩(メタファー)
手法:Aのわかりにくい特徴をBの具体性に富んだわかりやすい類似性によって比喩する。
例示:たい焼き・月見うどん・白雪姫
換喩(メトニミー)
手法:Aの特徴をAに隣接するBの特徴に代表させて表現する
例示:たこ焼き・きつねうどん・赤ずきん
提喩(シネクドキ)
手法:おおむね類と種の関係性で特徴をあらわす
例示:焼きとり・親子どんぶり・人魚姫
(以上、松岡正剛「日本流」より。)
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「鉄火巻き」はメタファー。「火の玉ボーイ」もメタファー。
「青い目の外国人」というのはメトニミー。「味噌ラーメン」もミトニミー。
「(桜を見て)花が咲いている」というのはシネクドキ、となる。
こう考えると分かりやすいだろうか?
メタファーは「どこがやねん!」 という突っ込みを入れられるもの。
例えば、魚のかたちをした小麦粉の固まったものにアンコが入ったお菓子をみて「これ鯛ですよ」って「どこが鯛やねん!」
鉄火巻きにしても、鉄と火を巻くの? 食べられないよ。硬いし熱いし非常識だよ。マグロの赤みが食べたいよ(泣)
メトニミーは「それだけかい!」
総容量でいったらタコの量はむしろ少なく、正確には小麦粉を丸く焼いたものに少量のタコの足を入れてソースと青のりをかけたもの。それを「たこ焼き」って「タコだけかい!」。
味噌ラーメン? ネギもチャーシューも入ってる。良く見てよ。スープに味噌が入ってるだけだよ。味噌だけラーメンになっちゃうよ(泣)
シネクドキは難しい。「んな乱暴な!」なんてどうだろう。
つくねもネギマもいろいろな種類があるのに、それをみんな鳥でいいだろう。じゃあ「やき鳥だ」って「んな乱暴な!」
花が咲いているって、そりゃ花だけども。たしかに花だけど。ちゃんと桜っていう名前があるんだよ。立派なバラ科の落葉高木だよ(泣)
比喩って素晴らしい!
中沢新一的にいえば、大脳新皮質の発達による流動的思考の賜物。現生人類の特徴の表出そのものである(泣)
ややこしいけど、日本芸術の「見立て」を捉えるためには避けては通れないっす。
プレゼンテーションや企画のレベルを上げていくためにも必要不可欠なものだと思う。
過ぎ去った今が過去であり、未だ来ない今が未来であるならば、
全ては「今」に含まれているといえます。
また、世界は「ここ」ですべて繋がっているわけですので、
「今、ここ」に集中する合理というのは強烈と思うわけです。
裁判員を経験した79名へのアンケート結果が公開されています。
http://saibanin.net/updatearea/staffcolumn/archives/897
97.5%の方が参加したことについて、「非常によい経験」または「よい経験」と回答しているとのことです。
この裁判員制度は賛否両論のある難しい問題であろうと思います。
私は、今までインターネットのコミュニティを大小1万個ほどを観察して来ました。そのなかでコミュニティ形成のための重要な要素である「関与モデル」と私たちが呼ぶ現象を見つけました。
それは、僅かな行動でも場に参加(発言者に拍手を送るなど)すると、参加以前と比べて格段に場に対する帰属意識が増すというものです。帰属意識の高まりはさらに大きな関与を引き出し、新たな関与はまた帰属意識の向上に繋がっていきます。参加することで、所属するコミュニティに対する無関心が減少していき、そのコミュニティの持つ主題や課題について主体的に取り組めるようになります。
通常、企業CGMを構築する際には、この「関与モデル」を使って、コミュニティに集まるユーザーの方々に出来るだけ簡易な参加から始めてもらい、徐々に関与のレベルを上げていくというスパイラルをデザインします。
政治的な絡まりや量刑の問題など複雑な課題を据え置き、CGMにみる関与効果の観点だけから、この裁判員制度を評価するならば、参加された方のみならず、参加の可能性がある全ての市民が、裁判に関与するということを通して、人が人を裁くという難しい行為、さらには社会の在り方についての根本的な問題に対して主体的に取り組むようになることで、市民意識の向上とそれによる市民社会の改善に少なからずプラスに働くものであろうと思います。
また、裁判員制度を取り巻く場をCGM化し、より多くの方が間接的にでも関与できるようにするシステムも有効であろうと思います。

昨日のK-1。結果シュルトが4度目のチャンピオンとなったが、バダ・ハリの精神的成熟を実感したトーナメントだった。
今までのハリは、恐怖から逃れようとする動機を戦闘意欲に変換するという作業をしていたように見えたが、前回の失敗(レミー・ボンヤスキーとの決勝戦での反則負け)を契機に変わったように思う。
恐怖を覚悟し向き合うことで、冷静に自分らしく局面に対応する術を習得したように見えた。
以前から変わらないが、ハリは勝利までの方程式が一般の格闘家のものと異なる。
こちらの攻撃 ー 相手の防御 + こちらの防御 ー 相手の攻撃 の結果が プラスであれば勝つ訳だが、ハリの場合、こちらの防御が極端になくなり、こちらの攻撃だけで、相手の攻撃と防御を凌駕してしまおうという戦略を取る。この場合、勝ちに行くというより、倒しに行くと言った方が正確だ。格闘技っぽい言い回しで言うと、相手の良さを消しながら勝つのではなく、お互いの持ち味がぶつかり合う。試合はKO決着必至の真っ向打ち合いの様相となる。
これは、今回のアリスター・オーフレイム戦でも極まった。結果オーフレイムは1ラウンドで2回のダウンを喫しハリが圧勝したが、同じ条件でも高い確率で全く違う結果の(ハリが一発でマットに沈んでいた)可能性もあった。ただし、いずれの可能性が選ばれたにしても、ハリv.s.オーフレイム戦は必ず観るものを興奮させるお互いの投企が輝く舞台となっただろう。
そう、バダ・ハリの姿はとても投企的だ。ハリがリングで動くと全ての所作が投企の瞬間となる。そこにはドラマが始まる可能性が凝縮されている。これは魔裟斗にも通じる。
対象的なのは前回のチャンピオン、レミー・ボンヤスキーだ。レミーは勝ちに行く。徹底的に計算し防御と攻撃のバランスの中から勝利を窺う。勝利はKOでなくとも判定で良い。ジマーマン戦は、まさにであった。
ところがシュルト戦で、珍しくレミーは特攻する姿を見せた。シュルトの必殺の一発とコーナーに追いつめられたら最後打ち手がなくなるという状況から、はじき出された勝利へのシミュレーションは、勝ちに行くためには、先に飛び込んで相手を倒さなければならないという答えだった。このケースにおいてはレミーもバダ・ハリ型の戦闘スタイルになる。プロの格闘家は投企を魅せるのが仕事(勝利への計算も投企であろうという見方もあると思うが、もっと鮮烈に!)だと整理している僕にとっては、レミーを大きく見直した試合となった。
決勝に至るまでのシュルトは、練習中のスパーリングパートナーの死という事件から、迷いや哀しみといった感情から離れることができないように見えた。ところがハリと闘う決勝のリングに向かうに際して、シュルトはその表情に闘志が漲り、いつもの、いや、いつも以上のシュルトになっていた。シュルトは華も人気もない選手だが、相手の選手から凄まじい投企を引き出す。その意味でもシュルトの強さはK1にとって重要である。
バダ・ハリは、試合後のコメントでシュルト戦の敗因について「単純に運だと思う」と答えたという。この言葉は何度となく聞いた負け惜しみの典型のように聞こえる。でも、僕には今回の勝負を冷静に振り返ったハリの、自分と向き合い投企に投企を重ねた先に行き着いた勝負の際からの透徹した分析に思える。

ん? 褒め過ぎ・・・?(笑)

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ソーシャルメディアマーケティングの具体的戦術
ワクワクさせてよ――目標設定の極意
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