UX(ユーザーエクスペリエンス)を黎明期から追いかけ続けてきた筆者は、昨年度の成長期を経て、いよいよ今年度は成熟期に入ろうとするUXの姿を再び追いかけることにした。第2章の最後に「UXは概念や理念」であり「デザイン思考などの方法論でUXを実践することの必要性」を論じてきた。ただし、その孤高な理念を下敷きにしても、なかなか実際の業務に反映できない、もしくはその効果や価値が見えにくいとの話を、特に現場ではよく耳にする。そこで第3章では、UXの成熟期を見据え「より現場に即したUX」とは何か、もしくは「UXを通じて何が日頃の業務や事業全体に貢献するのか」といったことに焦点を絞り、言及してみたい。

超スマート社会を絵にしてみました!

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昨年閣議決定され、内閣府より発行された第5期科学技術基本計画に、「超スマート社会」の定義が記されています。

「必要なもの・サービスを、必要な人に、必要な時に、必要なだけ提供し、社会の様々なニーズにきめ細やかに対応でき、あらゆる人が質の高いサービスを受けられ、年齢、性別、地域、言語といった様々な制約を乗り越え、活き活きと快適に暮らすことのできる社会」

でも、なんとなくテキストだけでは分からないので、絵にしてみました。

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ここで思うのですが、超スマート社会って何なのだろうと。この定義が生まれる元になった現実社会を模索し、斜視してみると、

「不要なもの・サービスを、不要な人に、不要な時に、過剰に提供し、社会の様々なニーズは横に置いて、あらゆる人が、質が高いと誤解したサービスを受け、年齢、性別、地域、言語といった様々な制約は無視して、ダラダラと不愉快に暮らしている社会」

となるのですが、現実はここまでひどくは無いと思います。ただ、なんとなくモノは溢れ、スマート○○○が、毎日インターネットやテレビ、新聞などのメディアで流れています。

IoT、AI、Big Data、など技術シーズが、このスマート○○○の主役なのですが、本当に人々はこの超スマート社会をめざすべき、実現すべき社会として認識しているのでしょうか。単に便利だけでは、超スマートにならないので、どこかに人々の事前期待を越える何らかの仕掛けや仕組みがないと超スマート社会に対する満足度は上がらないのだと思います。

斜視した現実社会で、私が問題と感じたのは、不要であり、過剰であり、ニーズともマッチしていないモノやサービスの氾濫です。人は本当にそういった超スマート社会を求めているのでしょうか。意外と身の回りには、これと言って何もないシンプルな生活が、超スマート社会なのかもしれません。

とにかく今のままではダメ、だけどIoT、AI、Big Data、など技術シーズにがっちり固められ、身動きの取れない社会でもダメ!「あらゆる人々が、活き活きと快適に暮らすことの出来る社会」は大賛成です。なので、「超スマート社会の定義」を否定する気は無いのですが、ではパソコンのクリックで全てが手に入り、表に出たら、車が勝手に行きたいところに連れて行ってくれる・・・確かに超便利だと思いますが、何かそこにヒューマニティやシンプリシティが入らないと、私たち人類は大きな間違いをするような気がします。

子供の頃に見たあの風景、夏の夕暮れ時、夕食を終え浴衣を着て、家の前に出るとバンコ(九州地方出は腰掛け台をこう呼ぶ、なんと語源がイタリア語!)があり、うちわ片手に皆が座っている。線香花火に戯れたあの貴重な時間、テレビもなく、犬や子供が駆け回り、笑い声が絶えなくて、まさに原風景、そしてたしかに幸せだったと思います。

スマート社会は、ITを駆使した情報化社会だと思うのですが、超スマート社会は、もしかしたらこういった社会なのではないでしょうか。進んだIT(IoT、AI、BigDataなど)で情報化されたプラットフォームの上で、誰もが周囲にいたわりの気持ちで接し、笑いの絶えない、活き活きとした快適な社会。特に重要なのは、原風景ではITが無かったわけですが、表向きは原風景のようにITを感じないところに「超」の意味がある気がします。今のままIoT、AI、BigDataで固められ、表にそのデータドリブンな世界が露出し、ビジネスの最前線や生活主体が常にそういったエンジニアリングで引っ張られていく社会は、ぞっとします。

2020年のオリンピック/パラリンピックへ向けて、日本流おもてなしの世界がまた脚光を浴びることになると思いますが、単に古典的なおもてなしでなく、そのサービスのプラットフォームは、やはりITでデータドリブンな方が、サービス品質はおそらく高まると思います。ただ、重要なことはコミュニケーションのタッチポイントにITを感じさせないことだと思います。押しつけがましいアフィリエイト広告(Web上で本人の各種データから割り出したバナーなどの広告を表示する、成果報酬型広告)は、見透かされたとたん便利が強要に一変し、価値は消えます。ここでもサービスサイエンスで理想とされる、事前期待との整合性が重要です。

これをUX(顧客経験価値)に置き換えてみると、「見やすく」「分かりやすく」「使いやすく」「伝わりやすい」ことが必須だと思います。また、あえて言うなら、これから物事の多くが「サービス」となる時代に、「探しやすく」「選びやすく」「購入しやすく」「受取やすく」「続けやすい」サービスに囲まれていれば、より快適だと思います。超スマート社会は科学技術に支えられ実現すると思いますが、それは科学技術の博覧会や展示会ではありません。あくまで人が主体、もっと言うなら、そこで育まれるさまざまな経験が主体です。それらが価値を生み、積層し、次世代に連綿とつながり、超スマート社会は実現していくのだと思います。

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超スマート社会は、今多くの関係者が議論し、私は自分で一応絵にしてみましたが、依然として腑に落ちたわけではありません。従い、その定義も固まっていないというのが実情でしょう。

是非皆さんの「超スマート社会論」をお聞かせいただきたいです。

今私たちが取り組み、実現をめざす超スマート社会と、さまざまな人々が真に希求している超スマート社会とのずれを、これから業務を通して埋めて参りたいと思います。

鹿島泰介

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