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UX(ユーザーエクスペリエンス)を黎明期から追いかけ続けてきた筆者は、昨年度の成長期を経て、いよいよ今年度は成熟期に入ろうとするUXの姿を再び追いかけることにした。第2章の最後に「UXは概念や理念」であり「デザイン思考などの方法論でUXを実践することの必要性」を論じてきた。ただし、その孤高な理念を下敷きにしても、なかなか実際の業務に反映できない、もしくはその効果や価値が見えにくいとの話を、特に現場ではよく耳にする。そこで第3章では、UXの成熟期を見据え「より現場に即したUX」とは何か、もしくは「UXを通じて何が日頃の業務や事業全体に貢献するのか」といったことに焦点を絞り、言及してみたい。

【第4回】品質向上UXはデザイン思考から生まれる

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すべてにおいて品質は重要

今回は品質の話をUXで考えてみる。それもデザイン思考で考えてみると、さらに面白くなるのではないかとチャレンジしてみた。そもそも世の中のあらゆる商品やサービスのすべてで品質は重要であり、求められていると断言する。たとえ百円ショップの商品であっても、そこには価格に見合った品質が求められ、それを達成できていなければ存在価値はないし、売れない。

牛丼のチェーン店からリゾートの高級ホテルまで、品質は価格に比例するかもしれないが、その品質を高めるために多くの従業員は努力する。「納得の品質」「品質による満足度の向上」そしてこれから求められるのは経験から得られる「感動の品質」だ。

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美しいプログラムにバグは少ない

私自身はデザインがバックグラウンドなので、システムプログラムの中身は分からないが、システムエンジニア(以下SEとする)は「美しいプログラム、見た目に整理されたプログラムはバグが少ない!」と口を揃えて言う。これは直感的過ぎると、当時私は思っていたが、あまりにも多くの方々から聞いたので、一度チンプンカンプンながら、出来の良し悪しがあるプログラムを比較したことがある。確かに美しかった。良いプログラムは一目瞭然だ。整理され、美しいのである。良いプログラムは、着手前から実現機能のコンセプトが明確で、おそらく着地点が見えた上でプログラミングを行っているのであり、一方、悪いプログラムは、そのコンセプトが見えないまま、次から次に出てくる課題に翻弄され、自らを失って右往左往する結果、いつの間にかバグが生成されることになる。

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計画は重要度と難易度で立てる

私はGUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェース)ユーザビリティ観点からいくつかのプロジェクトに取り組んだことがある。基本的にデザインを見やすく分かりやすく、そして使いやすくするためには、一度システム画面を見たうえで、重要度(この部分に手を入れれば、圧倒的に使いやすくなり、業務は改善され、作業時間が短縮される度合い)と難易度(プログラミング作業上の手間の大きさ)の観点から重み付けすることにしている。従って、重要度はデザイナーやある程度業務に精通したフロントSEがその重み付けを行い、難易度はプログラミングが中心の業務SEが行う。

難易度をざっくり重み付けする場合は、文字テキストレベルの修正が最も簡単で、次にデザイン面での修正、ページ内での各部品の配置の修正などが続き、最も大変なのは画面遷移の改修などである。 結局、骨格を作り直すことが最も大変で、表層に行くに従って容易になって行く。この重み付けを要約すると、効果が期待できて改修が簡単ならすぐ手を入れればいいし、あまり改善効果が期待できず、作業が大変なら後回しにするということを意味している。image_04_3.jpg

システムは一戸建てと同じ

このチェックリストで臨んだ、大規模なシステム改修プロジェクトの例を挙げる。 大掛かりなため、一社だけで取り組むこともできず、複数の会社にまたがっていた。その時は、まとめ会社のマネジメント能力に問題があり、結果痛感したのは、システムは極めて一戸建ての建築に似ているということだった。複数システムのユーザーはほぼ同一、その中で玄関、居間、台所、寝室、すべてがバラバラ、ドアノブひとつ取っても、「開ける」「回す」「オープン」と言葉使いまで違うのでは、住んでいて住みにくい。単に壁紙や床板をどの部屋も同じにするべきと言っているのではない。戸建ての家全体を通して、誰がどのように暮らすかの生活動線を引くうえで、一貫したコンセプトが必要ということだ。複数プロジェクトが動く中で、改修のエンドデザインまで確認できなかったが、300件以上にのぼる課題抽出とデザインコンサルを担当SEと共に進めた。一般的に効果的な項目は難易度が高い、デザイナーとしては効果的なものから推すが、時間が限られたプロジェクトでは制約も多い。深い協議を重ね、エンドユーザー視点で改修計画書作成まで漕ぎつけた。

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車選びでの品質シナリオ

人は品質をどういった感性で見極めているのだろう。私は車が好きなので車を例に取ると、各社のお気に入りの車のネット上での表現は、ほとんど動画に移行し、ブランドという姿の品質感に満ちている。ネットチェックの後、ディーラーに足を運び車を見る。営業員の促し方はすでに客である私が乗ってきた車を見極め、まず今の車を褒める。笑顔で「いい車ですよね」と。このディーラーの応対品質は、大きく売り上げを左右する。知識がなければ、他社の車がいったいどういった車なのかさえも分からない。客は塗装をチェックするかのように、車体を触る。運転席に座り、助手席にも座ってみる。遠出も苦にならない座り心地。トランクルームを開ける。入れたいものがきちんと入りそうなアイデアの豊富さに納得。ついでにエンジンルームを見る。刻印がきちんと入ったエンジンカバー。すべてのパーツが品質感を、客である私に訴えかけ迫ってくる。試乗すればさらに品質感を体験できる。UXのすべてが運転という行為の中に練りこまれていて感動する。車は所有者の個性を最も簡単に表現するツールでもある。実用的な車は、その人の実利的な考え方を伝え、落ち着いた車は落ち着きのある性格を、スタイリッシュであれば、それを操る人の整理された考え方を表現するだろう。

デザイン思考で、私の持論でもある「仮説構築力」と「ヴィジュアライゼーション(見える化)」は、車ではいかんなく発揮されている。「この車に乗れば、(仮説となる)あなたのカーライフはこんなに素敵になりますよ」と試乗している間も訴え続け、見える化している。この一つひとつが経験品質として蓄積され、集約した結晶となり、その感動はお客さまを釘付けにする。

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イタリアでの品質体験

かつてイタリアに住んでいた時に、フィレンツェに出かけ大通りから少し外れた皮職人の工房を訪れたことがある。日本人である私に、さも常連のように快活にイタリア語で挨拶し、語りかけてくれた。3名が働くとても小さな工房だ。小綺麗に並んだ皮のベルトや靴、いかにも楽しそうに仕事をこなしている。軽やかな音楽は、この工房のブランディングに一役買っている。面白いのでじっくり眺めていると、皮ナメシ職人、型職人、仕上げ職人に作業分担されているように見える。仕上げがどうもこの工房の親父だ。お互いにだが、片言の英語で会話した。陳列された商品を触ってみろと促され、その触感に驚いた。付近のデパートに並ぶ皮とは全く違う品質感に、少し大げさだが仰天した。その工房の歴史を語ってくれた親父の一言一言に重みがあり、品質感が伝わる。ベルトの合わせ皮と一枚皮の違いを、大した客でもない私に時間を忘れ、熱意をもって話してくれるその笑顔は、何ものにも代えがたい。 そこで感じたのは、品質は"ヒストリー"であり、品質はその"場"であり、品質は"シナリオ"であり、品質は"プレゼンテーション"であると。

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そのストーリーテラーにも、品質に裏付けされた自信がみなぎり、私は頼み込むように商品を求めた。そのベルトは10年以上経った今でも、購入当時と全く変わらない姿で愛用している。

デザイン思考品質

冒頭に述べたが、今の世の中に、およそ品質を問わない商品やサービスは存在しない。いかにコストを追求し、その安さゆえに爆発的に売れる商品があったとしても、誰もが求めるのはその価格に見合った品質だ。しかも、単に等質な品質感をあまねく多くの人々に、と考えているとつまずく。先に述べたベルトのように、同じひとつの商品でも、受け止める側の気持ちまで踏み込んでストーリーテリングできないと売れ行きにはつながらない。開発側も商品やサービスがひとつのコンセプトとして凝集されていないとお客さまの心には響かない。自分の好きな車や長年愛用しているベルトを例に挙げたが、そこで得た経験とそこから生み出された価値をUX視点で見てみる。すると、明らかにデザイナーや職人がものづくりに取り組むときの理解や創造の原点は、デザインをベースとして、見る時 → 触る時 → 使う時 → 薦める時、そのすべてで品質をアピールすることにある。だから、そこにほかのものとは違うコアコンピタンスが生まれ、それらが経験品質として長く利用され、その結果が価値として認められ、共感を得て、高く取り引きされる。 ぜひ読者の皆さまも、ものを創造する感覚で、ポストイットを片手にこのルートをお考えになられてはいかがだろうか。

次回は、提案力とUX、そしてデザイン思考と三つ巴の議論をしてみたい。

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