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UX(ユーザーエクスペリエンス)を黎明期から追いかけ続けてきた筆者は、昨年度の成長期を経て、いよいよ今年度は成熟期に入ろうとするUXの姿を再び追いかけることにした。第2章の最後に「UXは概念や理念」であり「デザイン思考などの方法論でUXを実践することの必要性」を論じてきた。ただし、その孤高な理念を下敷きにしても、なかなか実際の業務に反映できない、もしくはその効果や価値が見えにくいとの話を、特に現場ではよく耳にする。そこで第3章では、UXの成熟期を見据え「より現場に即したUX」とは何か、もしくは「UXを通じて何が日頃の業務や事業全体に貢献するのか」といったことに焦点を絞り、言及してみたい。

【第2回】ESで支えるUXプラットフォーム

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私のこれまでの持論だが、UXは単にプラットフォームであり、それ自身で何かに役立ち、効果が得られるものではない。そのプラットフォームをとおして、良い経験が蓄積されれば、人は心地良さを抱き、感動を覚える、一方で悪い経験をしたり、納得が得られなければ、その時点で気持ちは離れていく。

以前にも述べたが、UXはインターネットと同じで、そこに載ったコンテンツやアプリケーションが、ユーザーにとって有効であれば、インターネットは役に立つこととなり、悪い情報や法に触れたいかがわしいものが出回ると、インターネットは悪いということになる。 しかしそれは間違いで、単にインターネットはプラットフォームであって、それを褒めたり敵視するものではないのは、ご承知の通りだ。

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広告業界では、四大マスメディア(テレビ、ラジオ、新聞、雑誌)を「四マス」と呼び、広告媒体の中心に据え、企業と連携して大いにその恩恵を受けると同時に、消費者に対して、有益無益に関わらず、多くの情報を提供してきた。同様のことが、最近ますます可能になってきたインターネットはその側面から見て、確かにメディアと見られるかも知れないが、単にテレビ、ラジオ、新聞、雑誌がインターネットというプラットフォーム上で、提供手段を変えたに過ぎないと私は思っている。広告収入の議論だけだと、インターネットはメディアに見えるが、政治、経済、経営、医療、文化などその応用範囲は広い。

インターネットは今や地球の大動脈で、物理的に私たちの生活を支えているのが地球であれば、ネットワークで私たちの生活をつないでいるのがインターネットだと言える。UXも同様に、プラットフォームという観点からは、私たちの心の柱、経験や気持ちとして、地球やインターネットと同様に私たちを支えているプラットフォームと言える。

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人類は、その誕生から現代までに大きな進化を遂げてきたが、中でも感情については非常に特徴的だ。生きるために食べるのが動植物の基本だが、そこに美味しく食べる、楽しく食べる、といった要素を追加し、経験として蓄積できるのは人類だけだ。そこには驚きや楽しさ、面白さや感動といった要素が充満し、ひとつのエクスペリエンスが構成されている。食に限らず、生まれて初めてハンググライダーで空を飛ぶ、恋人と二人で蒼く深い海にスキューバダイビングで潜る、極北の地で氷で作られたホテルに泊まりオーロラを見る。そのような経験はUXというプラットフォーム上でさまざまな塊となり点在する。一方で戦争で家族を亡くした憎しみや怒り、大地震や津波で、消えていく家々や家族を高い丘から臨む寂しさや悲しさ、これもまた同様にUXというプラットフォーム上に残渣となって浮沈する。

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さて、このようなUXだが、今回のシリーズでは、ES視点、すなわちお客さまとのタッチポイントをプラットフォームの裏側、サービス提供側の従業員満足視点で見てみる。 そうすると見えてくるのは、ひとつのサービスを取り巻くステークホルダーとしての心のつながりだ。金融系などの守秘性の高いサービスは、まだまだ限定的で、サービスを受ける側の金融業界と作る側のIT構築会社とは、需要側と供給側で明確に境界があり、私たちのようなベンダーは必死でモノづくりに取り組む。もちろんその両者の間には営業がわけ入り、キチンと取りつなぐ。そこにUXが存在しないわけではないが、極めてビジネスライクに物事は進むように見える。

これが、クラウドコンピューティングの社会になり、所有から利用へのパラダイムシフトが起きた今、営業行為は希薄になり、サービスオリエンテッド、すなわちサービスを起点に利用側と提供側がビジネスを構成する時代に移行しつつある。いずれ、上記のような金融系でもこのような社会になると私は予測する。

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特に私たちのようなITサービスを提供する事業者は、ますますサービスオリエンテッドな社会への対応に備える必要がある。そのような社会でひとつ重要なことは、利用者と提供者の境界が曖昧になることではないかと思っている。すでにそのようなビジネスに到達している業界がある。それは、ゲーム業界だ。ヒットゲーム、キラーコンテンツが生誕する裏には、確かに多くの苦労や努力、技術の蓄積があると思うが、作っている側が、面白い、楽しい、ドキドキする、これは感動だ!と思った時に、それは世の中に発信され、ヒットを飛ばす。

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振り返って、ITサービスにとどまらず、ビジネスサービス全般で、まずは社内で徹底的に、面白い、楽しい、ドキドキする、感動ものだ!といった経験を十分に蓄積することが重要だ。もちろん、見やすい、分かりやすい、場合によっては、使いやすくて感動したというようなユーザビリティ経験の蓄積も不可欠だ。その企画者、開発者満足、すなわちESをUXプラットフォーム上で蓄積した上で、世の中に出せば、それはヒットにつながると思う。これからの時代は、必ずしも顧客視点で無くとも、社内できちんとしたUXプラットフォーム上で、感動体験が蓄積されていれば、それはお客さま側にも心のつながりが浮き彫りになり感動の連鎖が生まれるのではないだろうか。UXの専門的な手法には、エスノグラフィーのようにお客さまの行動観察を行うものや、ペルソナのように想定ユーザーを決めて開発を行うものなど各種あるが、基本は企画や開発、販売を行う各自が、その商品やサービスに対して、群を抜いた良い経験を蓄積していれば、それはヒットにつながるし、事業に貢献すると私は思う。ワクワクドキドキの活気ある職場は、きっと同様の感情をお客さまに提供しているだろうし、その目に見えない心のつながりこそが、UX、ユーザーエクスペリエンスだ。

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次回は、ES自身をひも解き、その構成要素をUX観点から考えてみたい。

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