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ネット社会に有効な「あまちゃん」の哲学

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大人気のうちに終了した「あまちゃん」の脚本家、
宮藤官九郎さんのインタビュー記事が、
朝日新聞デジタルに掲載されていました。

「じぇじぇ」ヒットの秘密 宮藤官九郎に聞く哲学と手法

朝日新聞の朝刊に載っていた記事の元になるインタビューの全文記事で
有料会員になっていないと途中までしか読めませんが、
ぼくは有料会員なので、全部読んだところ
ドラマのテーマ、創作の原動力などについて語っていて面白い内容でした。
特に共感したところを引用します。

人間のいいところばかりを見せるドラマをやりたくないし、人間のちょっとしたミスや弱いところを攻撃するようなドラマも見たくない。いいところも悪いところも「面白い」という言葉で全部一緒にしちゃえ。いいところも悪いところもおもしろいからいいじゃんっていう肯定の仕方。(中略)

僕のは善人しかでてこないドラマではないし、善人の中にある毒とか悪意とか、弱い部分も入っている。それが僕が見ている日常。ウソをないことには絶対できないから、全部同じバランスで入ってないと気が済まない。ふたをするような表現はしたくない。

あまちゃんは26週もあったので、要点だけをつまんで話を作らなくてよかった。寄り道がいっぱいできて、1人の人間を多面的に描けた気がする。そういう方法が自分は一番好きだし、自分が一番出る方法。基本にあるのは、弱いところも、だめなところも、悪いところもひっくるめて面白いということで人間はできているんじゃないかと。

ネット社会になって、個人での情報の発信や、
他人との交流がしやすくなったのはいいことですが、
最近のコンビニや飲食店での冷蔵庫写真炎上騒動のように
ほかの人のだめなところ、悪いところを見つけると、
すぐにネット上で糾弾して、炎上が始まってしまうようなところは
あまりいい傾向だと思いません。

誰しも、弱い部分は持っているはずだし、
ちょっとしたイタズラはしたことがあるはずです。

もちろん悪質な犯罪にはきちんと対処する必要がありますが、
ちょっとしたイタズラや、その延長的なことまであら探しをして、
へたをするとその人の社会的生命が終わってしまいそうなところまで
糾弾してしまうのは、行きすぎではないかと思います。

人間はみな、弱いところも、だめなところも、悪いところを持っていて、
だからこそ面白いのだという視点と、寛容な心を持ちたいものです。

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