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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

新入社員研修で自律・自立を阻害する原因の一つに「”ルール”を作りすぎる」があると思う

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新入社員研修、まだまだ続いている企業が多いことと思います。特に、IT系の場合。他業界からIT企業の人事部に転職された方がおっしゃっていたのですが、「何がびっくりしたって、新人研修が長いことです。前にいた会社では2週間くらいで現場に配属していたので、何か月も研修があるって驚きましたっ!」とのことでした。

私はずーっとIT業界にいた(る?)ので、不思議でもなんでもないのですが、クライアントの中には、人事部主催の合同研修(ビジネススキル~IT基礎まで)が3か月、さらに、事業部配属後に事業部独自研修(たとえば、その部署でJava使うならJavaを集中して学ばせる、など)がさらに3か月以上・・・。本当の配属は来年1月、というケースもあります。

大勢がそろっていると、色んな問題が日々起こります。

たとえば、「外で買ってきたお弁当箱の空き箱を教室内にあるゴミ箱に捨てると、外気温上昇と共に臭いが気になるようになってくる」・・・さて、どうするか?

たとえば、「自宅で復習しようと思い、教材を持ち帰ったのはいいが、今度は会社に持参し忘れ、教材がない」・・・さて、どうしよう?

どんなことでもよいのですが、こういう一つ一つが集団生活の中でプチ問題として浮上します。

こういう時、人事部や研修部などの担当者はルールを決めようとします。

たとえば、「お弁当は教室内のゴミ箱には捨てないこと。お弁当用のゴミ袋を人事で用意したのでそれに捨てること」

たとえば、「教材を忘れた人は、9時までに人事または講師に連絡すること」

・・・・これでうまくいくように思うのですが、次は、こんな風に展開することがあります。

「お弁当専用のごみ袋にお弁当空き箱を集め、袋の封をして教室の後ろに置いておいたが、通常のゴミ収集の対象になっていないらしく、翌日も放置されたままであった」とか
「教材を忘れたので9時までに講師に連絡をしたかったのだが、その日は、朝当番の仕事もあったので、つい連絡しそびれていしまった」とか。ま、なんでもいいのですが、一つ解決すると、また新しい「問題」が発生する。

すると、また担当者がルールを決めてみます。

「夕方、その日の当番の人がゴミ袋を地下に運ぶこと」とか
「当番がある人が教材を忘れた場合は9時半までに言えばよいことにする」とか。

これ、あくまでも例ですが、こんな風に「何か困った」「じゃあこうしようとルールを決める」「そのルールで運用するとさらに新しい困った事態が」「じゃあ、さらにルールを決めよう」・・・。

はたして、新人研修は、ルールだらけになっていく。そして、新入社員は、「ルールを決めてくれればそれに従うのに」と受け身になっていく。どんどん受け身の待ち姿勢になっていく。

研修の開始時点で、「皆さんには、自立と自律を求めています!」「当社で必要としているのは、自分の頭で考え、自分から行動を起こす人材です!」などときっと伝えているはずなのに、なぜか、研修はルール、ルール。

ルールを決めている人事や研修担当の方のほうがうんと頭を使わなければならなくなってくる。 あれ? なぜ私たち事務局側が大変なの?という状態に陥ることもあります。

だから、こんな場合、担当者側がルールを決めるのではなく、新入社員側に考えさせたらよいと思うのです。

「お弁当が臭うの? そうか。んで、どうしたいの?」
「え?どうしたいって・・・」
「どうしたいのか提案してくれる?」
「じゃあ、新人同士で話し合ってアイディアを持ってきます」

「教材を忘れたら? なるほど。予備は人事でも確保はしているけどね。どうしたい?」
「貸していただくための手続きを考えてみます。簡単な方法で」
「待ってる」
しばらくして・・
「ビジネス文書の練習にもなるので、”教材貸出申請書”というのを書くことにしました。それを受領していただいて、1日貸していただく、という方法はいかがでしょうか? もちろん、私たちが自宅に置き忘れないことが第一ですけど」
「あ、いいね。じゃ、それ、クラス内で徹底しておいてね」
「わかりました!」

最低限抑えるべきマナーやルール、教えなければならない決まり事はありますが、ちょっとした”問題”については、新入社員自身に考えさせ、どう対処するかも決めさせ、自治を大切にするほうが、彼ら・彼女らの自立と自律は促進されるのではないかしらん?

若手のことを「自分で考えないよねぇ」「自分から動かないよねぇ」「指示待ちだよねぇ」「言ったことしかしないよねぇ」と嘆く前に、「自分で考えないようにさせていないか」「指示を与えすぎていないか」と自問自答してみることも、教え育てる側には必要なことだといつも思っています。

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