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およそ王道からかけ離れてしまった人生を歩んでいる私。さまざまな切り口で日々の気付き、日本の将来までを書いてみます。日々のビジネスで成果が上がらないときには、違った視点で見つめ直してみましょう。このブログは、そのためのお手伝いを致します。

国の存立を左右する選挙権

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はじめに

ずいぶんと更新が遅くなってしまいました。更新が遅れた理由は,勉強に夢中になりブログの存在を忘れていた,というわけではなく,ちょっとインターネットに懐疑的になり,インターネット上での情報発信を止めていたからです。

そして,つい先日,思うところがあって,結局また再開することにしました。駄文かつ無益な文章を晒して誰かに何かを与えることができるのかよく分かりませんが,何かのお役に立てれば幸いです。

やっぱり「無縁社会」化は良くないのではないかと,私は思うのです。「引退してから死ぬときまでくらいは一人でそっとしておいてくれ」なんて言わないで,思い出話くらいは聞かせてほしいです。さびしいから。

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日本では,18歳以上になると,保有資産を問わず,男女の区別を問わず,日本国民であれば一定の者を除いて,誰しも「選挙権」なるものを得ることができる。この「選挙権とは,いったい何であろうか。

「選挙権」と聞くと,何だか,投票所に行って,議員にふさわしいと考える者の氏名を投票用紙に記入することができる権利であるかのように思える。しかし,そうすると,これに対応する義務を負う国としては,単に上記に該当する国民に対し,選挙がある旨の案内を送付し,実際に投票用紙に氏名を書かせれば,それだけでその義務を果たしたことになる。

だが,この見方は間違っていると,感覚的にも理解することができるであろう。投票する人々は,単に投票用紙に氏名を記載するという「儀式」を行いたいために,投票所に行くわけではないからだ。

このようなことを言うと,「そんなことは当たり前ではないか。現に我が国は有権者の一人ひとりが,自らの考えるところによって立つ政治信条に基づいて投票している。儀式などに成り下がってはいない。」等と思われるかもしれない。

しかし,我が国では投票価値の平等すら実現できてはいない。投票価値の平等とは,一票の持つ影響力を問題にし,その影響力も選挙区ごとに平等であることを要求することを言うが最高裁ですら3倍,場合によっては5倍の差をも容認する。最近になってやっと「一人一票実現」を求める社会運動が起こり,高裁レベルでは違憲判断が相次いだという程度だ。

投票価値が3倍~5倍ということは,影響力が最小の選挙区の有権者は一票を投じているように見えても,実際には0.333票ほどを投じているに過ぎないことを示す。しかも,有権者はつい最近までこのことに無自覚であった。いや,現在でもまだ無自覚である有権者が多いかもしれない。

私はこのような仕組みで行われる選挙につき「我が国は民主主義を尊重していることを対外的に示す儀式」であったと認識している。戯画的に述べれば,このような儀式の祭主は今までの国会議員,特に与党に所属する者である。祭主に仕え,儀式が執り行われた認証を裁判所が行ってきた。聴衆たる有権者は御神託である選挙結果をありがたがって拝聴していた。

選挙権が国民に「当然に」認められるのは,国民は自ら自身を統治する存在であるからだ。外見上は様々な法律に縛られ,一方的に国に統治されているように見えるが,そもそもその法律を作る国会議員を選んだのは選挙権が認められた国民である。つまり,国民自らが,法律の制定者を選びその制定を委託することで自身を統治していると理解できる。

確かに,ではどのような選挙制度を作るかは,選挙区の区割りの問題等,法制度の設計については技術的な問題もあるから,結局どのような選挙制度にするかは現在の国会議員に委ねる他はない。しかし,それはあくまで国民の選挙権を保障するため委ねられているに過ぎずこの裁量を利用し,自己に優位な選挙制度を作ることは許されるものではない。

有権者は,選挙の時だけ有権者に変身するものであってはならない。有権者が選挙権を適切に行使しなかったり,そもそも行使し得なかった結果,これが基で滅びゆく国の多く存在することは過去の歴史を見ても明らかである。また,選挙で選ぶ国会議員は「全国民の代表」であり,一部の者の代表ではない。したがって,当選したら自己に便宜を図ってくれるであろうとか,地元に利益を引っ張ってきてくれるであろうとかいう動機で選択するものではない。仮にそのような動機で投票がなされれば,結局代表者同士で利益をめぐる争いが生じ,国会がたちまち機能不全に陥ることになる。

このように,選挙権の保障とその適切な行使は,国の存立の基礎をなす重要な権利である。だからこそ,憲法は明確にこれを保障することで,国の存立とその安定とを図り,ひいては一人ひとりの国民の権利・自由を保護しようとしている。そうであれば,有権者は,「権利だから放棄してもいい」などと軽んずることなく,選挙権により自覚的になるべきではないだろうか。

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