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およそ王道からかけ離れてしまった人生を歩んでいる私。さまざまな切り口で日々の気付き、日本の将来までを書いてみます。日々のビジネスで成果が上がらないときには、違った視点で見つめ直してみましょう。このブログは、そのためのお手伝いを致します。

「良く考える」ということ

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何事も、決める前にはその事前に良く考えることを推奨される。特に、受験生がどの高校・大学を受験するかを決める、就職先を決める、今の仕事・会社を辞める、この人と結婚するかどうかを決める、などといった人生の大きな分岐点に立つときなどは、かなり言われることだ。

なぜ良く考えた上で決めなければならないか。それは、少し考えた程度で決めてしまうと、その後で後悔してしまう結果となりがちだからだ。考慮すべき重要な事実を見過ごしていたり、そもそも重要な事実を知らなかったり、これらの事実を考慮したが時間がなく判断過程を誤ってしまうことは、我々が普段よく経験することだろう。

一方で、特に2000年以降の日本では、迅速な判断が求められることも多い。予想外の事柄も次々に起こる。大学生の就職一つとってみても、昨年と今年とで状況がまるで異なる中、就職留年するか今持っている内定から選ぶかの決断を即座に迫られる。会社においても、今の事業を止めるとか、海外に進出するとか、継続取引ある取引先と縁を切るか、等、重要事項にかかわらず、瞬時に判断を求められる。

一見すると、瞬時あるいは迅速な判断と、良く考えることは矛盾するように思える。この二つを何とか両立する術はないのだろうか。

これらを両立させるためには、自分が重要だと思う事柄については、常日頃から良く考える習慣を付けることが必要であり、かつそれで足りる。だが、このことは言うのは容易いが、実行するのはなかなか難しい。この習慣は、本ブログで繰り返している、原則の重要性を理解することに関連する話となる。

先の会社の例で、今の事業を止めるかどうかは、その事業がうまくいっているときには問題とされない。問題とされる時とは、うまく立ちいかなくなってきた時である。そしてそのような時は、ある日突然、思いもよらない原因で決断を迫られるものだ。したがって、事業がうまくいっているときには、事業を止めるかどうかについて良く考えるということは出来ない。仲むつまじい夫婦に「離婚について良く考えなさい」というのがナンセンスなのと同じことだ。

これに対し、その事業が会社にとっていかなる意味を持っているのかは、常日頃から良く考えるべきだし、考えることもできる。その事業を行う目的は、金を容易く儲けるために過ぎないのか、会社の存在意義にかかわるもので、その意義達成のためなのか。行政機関に勧奨され、行政にいい顔をし支援を受けるためなのか等々。

こういった目的を考えるに、その前提として、会社のミッションに立ち返り、ミッションを確認する過程が必要となる。そもそも何のために会社は存在しているのか。ミッションを達成することで何を究極的に達成し何を実現していこうとしているのか。こうした確認は、とどのつまり、会社が持つ原則の確認である。

日頃こうしたことを良く考えていれば、いざ事業を止めるべきか、取引先との関係を絶つべきか等の決断を迫られることがあっても、迅速に判断することが可能となる。予想外の事が起きたとしても、原則に従い決断すればよいからだ。これが、原則とは何だったかとその理解があやふやだったり、そもそも原則がなかったりすると、結局行き当たりばったりの決断になってしまう。

今の会社のほとんどは、何をしたらうまく決断できるかを、あまり理解していないように見える。儲けられそうだと思えば、何にでも手を出す。周りが海外に進出すれば我が社もと競い、非正規社員への置換えが盛んになれば、自社もと派遣会社に相談する。こうしてうまくいかないと、今度は社員を解雇しないとか、事業をあまり広げない年輪経営とかで有名な会社に見学を申し込んだりする。

このように付け焼き刃的にあれこれ決めても、うわべだけの対処は出来ても根本的な解決にはならない。重大な症状が根本にあるのに、解熱剤や痛み止めで紛らわすようなものだ。次々に新たな問題に悩まされることとなる。この場合の重大な症状とは、原則を明確に意識しないとか、意識してもそれを守りきろうとしていないとかである。

原則を明確に意識し、それとの関連で重要なことを良く考えることは、結局正しく迅速な判断につながる。こうした過程を無視した判断は、早くとも、「拙速」で、意図しない結果を招くだけであろう。

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