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「自由になる」ということ

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こんにちは、しごとのみらいの竹内義晴です。

とあるところで見た「自由になるため」という言葉を見て、少し書きたくなりました。

「自由になる」......永遠のテーマだなぁ。「自由」っていうと、何の束縛も制限もなくて、何もかもが自分の思い通りになるのが「自由」なのかな。時間的な自由とか、経済的な自由とか、他にも、いろいろありそうだけど。

けれども、時間に余裕があると、意外と「何かやらなきゃ」と思うし、気兼ねなくお金が使えれば自由なのかもしれないけれども、お金があればあるだけ使っちゃうから、結局、それほど自由ではなかったりしてね。

で、どうしたら、自由が手に入るのだろう?

たとえば、嫌な仕事から逃げることで、自由は手に入るような気はするし、実際、一瞬は手に入るのだろうけれども、けれども、また同じような壁にぶつかってしまう。

それはまるで、部屋を自動で掃除をしてくれる掃除機ロボットのようなもので、壁にぶつかって方向転換しても、またすぐに、別の壁にぶつかってしまうじゃない?同じ枠の中にいるだけだと、永遠に自由にはなれないんだな。

掃除機ロボットが本当に自由になるためには、おそらく、部屋の壁を壊すしかないような気がするのです。

けれども、部屋の壁を壊すと、行動範囲は広がるけれども、今度は、別の部屋の壁が出てくる。もちろん、その壁で方向転換することはできるけれども、すぐに別の壁にぶつかるじゃないですか。

結局ののところ、自由を求めたら、その繰り返しに過ぎないんじゃないかなぁって。

「自由を求める」ということは、きっと、現状が「自由じゃない」と思っているはず。現状が嫌だ。そこから逃げたい。だから、自由になりたいと思う。だけど、自由を求めたらその繰り返しになってしまって終わりがない。

そう考えると、「自由」への対応力って、2つしかないのかなぁと思います。

1つは、今の範囲で楽しみを見つけること。
1つは、自由に動ける範囲を広げること。

そうか。「自由になる」ということは、今の範囲で楽しみを見つけつつ、自由に動ける範囲を拡げることなんだな。

ところで、自由になれたら、どうなれるのだろう?「自由になる」ことは手段で、その目的がはっきりしていないってことも、意外とあるよね。

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