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ボクがブログに批判的なことを書かない(ようにしている)本当の理由

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こんにちは、しごとのみらいの竹内義晴です。

以前、ブログやソーシャルメディアを見た方から、「竹内さんは本音を書いていない」と言われたことがあります。その方にとっての「本音」というのが一体何なのか、ボクには分かりませんが、その言葉に至る文脈から想像するに、「いい格好しい」ということなのかもしれません。もしくは、「すべてをさらけ出す勇気がない」みたいな感じなのかも。

ブログを始めたころと違って、今はそれなりに経験も積みました。考えをブログに書くことに対する緊張感はさほどありません。結構"素"な感じで、リラックスして書いています。そんな感じなので、別段、「よく見られたい」と思っていませんし、意図して「さらけだそう」とも思っていません。また、体験談が読み手の役に立つのなら、出すことに対する恐れも全くありませんよ。だって、それはすでに終わった話ですから。

とはいえ、ブログやソーシャルメディアをやっている人なら誰でも、多かれ少なかれ、「こんな風に見られたい」とか、「誰かにわかって欲しい」みたいな気持ちはどこかしらにあるんじゃないですかね。でなければ、そっとノートに書いておけばいいわけだから。なので、「いい格好しい」ということに対しては、「そうだ」とも「そうではない」とも言いません。

でも、一つだけ、「これだけは言える」ということがないわけではありません。

ボクは、ブログやソーシャルメディアで、さまざまな出来事に対する批判はしないようにしています。もちろん、お釈迦様ではないので、イラッとしたり、ムカついたりすることは日常的にありますが、それをあえて言葉にはしない。言葉にするときには批判的にならないように、かなり意識して書きます。

それは、「いい格好しい」とか、「こんな風に見られたい」っていうのとは、少し違います。本当の理由は、自分の思考や感情を、ずっと嫌な状態にしておきたくない。言い換えれば、いい気分でいたいからです。

たとえば、イラッとしたとき、ムカついたとき、それを文章に起こして誰かや何かをdisるとします。すると、その時間、頭の中はずっと嫌なことを考え、嫌な気持ちでいることになります。それをブログやソーシャルメディアにアップすると、批判は批判を呼ぶので自分がdisられます。すると、さらに嫌な気持ちでいる時間が長引きます。

一方、イラッとした思考や感情をdisることから離して、考えを深めるきっかけにしたり、「こうしたらもっとよくなるのではないか」のほうに向けたりすると、嫌な気持ちでいる時間は短くなります。

逆の見方をすれば、仮に、disるのが気持ちいい。批判されるのが気分がいいのならそうするのかもしれません。でも、今のところそうではないみたい。

昨日、心の庭師の頭(かしら)になる―経営や人生は「庭」と同じようなものという記事に書いたように、ボクは、思考が行動を生み、行動が現実を作ると思っているタイプです。思考や感情を気持ちがよくない状態にしておくのがもったいない。というか、嫌だ。できれば、いい気分でいたい。それを決めるのは誰でもない、自分の選択。

これが、ボクがブログに批判的なことを書かない(ようにしている)本当の理由です。

では、今日も一日、ゴキゲンな時間をお過ごしください。

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