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最近の人工知能ブームを考える

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最近は、「人工知能を用いた」などという枕詞のニュース記事を散見するようになりました。人工知能はAI(artificial intelligence)とも呼ばれていますね。古くは2001年宇宙の旅に出てきたHALを思い出した方もいらっしゃるのではないでしょうか。HALはH→I、A→B、L→Mとそれぞれ一文字ずつずらせばIBMになるということで、HALは実はワトソンか?という話もありますが。。。その話は後々にとっておきましょう。

「2045年問題」という言葉も出始めています。そもそも2045年問題とは人工知能の発達によって機械が人類を超える時代に入ると言われています。シンギュラリティとも言われていますね。本当にそんな時代が来るのでしょうか。

こういう話をするときに、絶対頭にいれておかないといけないのは強いAIと弱いAIです。ざっくり言えば「鳥のように自由に飛びたい」と思ったときに鳥自身をつくるような考え方を強いAI、鳥ではなく、飛行機やタケコプターをつくるような考え方を弱いAIと言ったりします。つまり、「人間のように考えるものを作りたい」というときに、人間の脳そのもの、もしくはそれに似せたものをつくることを強いAI、それに代わるものをつくる考え方を弱いAIというわけです。

2045年には強いAIができるの?という話になるのですが、その論争のみで終わらすこと自体に危機を持っております。

技術論から考えれば、脳の仕組みも解明されてくるし、脳なんて電気回路ですから、将来的に可能という答えになってしまうでしょう。その方向でディスカッションをしてはならないのです。どうなる「べき論」を語る時代に来たと思っています。例えば、包丁を研ぎ澄ませれば、人を殺せるか、殺せるに決まっているのです。でも、包丁は料理で食材を切るときに使う「べき」なのです。つまり人工知能は、人間と、自然と、社会とどう接していく「べき」なのかが問われているのです。

そもそも、人工知能の技術って、画期的に進んだのでしょうか?私には画期的に進んだようには見えないのです。Deep Learningがあるじゃないか、とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、昔から脳に似せたモデルとして、ニューラルネットワークがありましたし、それを多段に積めばなんかできそうというのも、昔から言われていたことなのです。またブレイクスルーとしてDeep Learningの中身について言われるオートエンコーダという技術も2006年の技術なのです。

もちろんコンピュータの性能もぐんっと上がりました。でも、それはムーアの法則に従い、これまでも飛躍的に伸びてきたのです。

では、何がこれまでと変わったのでしょうか?

実はブレイクスルーは、インタネット上で多種多様なデータがリアルタイムに手に入るようになったことなのです。Volume, Velocity, Variety、3V、つまりビッグデータが、社会を変え、人工知能を人類にとっての新たなツールとして目覚めさせたのです。ここは勘違いしてはいけません。

つまり、我々はこの時代になにをすべきか、それは溢れているデータをどのように利活用していくかということを考えていく時代に入ったのです。

小職は、使えるデータを使っていく、もしくは使えるデータを「スマートデータ」と呼んでいます。大量のデータから現実を効率化、豊かにすることができる情報にできるか、その一つのツールとして人工知能というのを考えるのはどうでしょうか。

「べき論」で言えば、小職は、人工知能はビッグデータ時代を乗り切るための現実世界を豊かに生活するデータ分析を実現するツールであるべきだと考えます。(つづく?)

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