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ITのきらいな男がIT業界に迷い込んで創ったビジネスモデル

プロローグ前半・・・ITの苦手な男がIT業界に迷い込んでしまった

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大学を卒業して、総合商社に入社。
日本的な年功序列と、終身雇用制、小学校の給食時間のような机の配列に、
違和感を持ち、英語が少々、貿易の経験があるという薄っぺらい経歴しか
持ち合わせなかった25歳の時に転職(つまり第二新卒的に)。
入社初日、自席がパーティションで区切られ、
おいしいコーヒーが飲め、受付の女性がセクシーで
自由に発言できることに幸せを感じた。
まだITやインターネットという言葉もなかった時代
(実際にはあったが、一般的には使われていなかった)
オープンシステムということが、何を言っているのか、
会社案内を何度も読んでも解らない。
Sun_4
ワークステーションは、秋葉原のパソコンと何が違うのか。
クライアントサーバーだのいやいやサーバクライアントだの、
どうでも良いと思われるような議論にも、付き合いながら、
ピザボックスを大きくした箱の中身が、300万円、これは
歴史が変わるダウンサイジングなど、大騒ぎする意味も良くわからず、
日本サン・マイクロシステムズ(当時)を
皮切りに、私のIT業界での喜怒哀楽が始まった。
今だと、考えられないことだが、1980年代後半から1990年代前半は、
モノがあれば、売れる時代で、営業力というより、物流力が売上を左右した。
営業は新製品が出るたびに、マーケティング主催の勉強会で、
プロダクトアウトの戦略をいやというほど聞かされ、
プレゼンテーションでは、会社説明と、製品スペックを資料通りに伝え、
ペネトレーション(浸透、普及)という切り札で、
パートナーとの関係構築に昼よりも、夜に力を発揮する。

どんよりした午前中と、
自分を押し殺した午後と、
ストレスから開放された夜と、
その後の虚脱感・・・それを繰り返しながらも、
どれだけ、自分の活動が売上に貢献しているのか、と
本質的な部分については、深く追求することなく
売上は確実に増えていった。
自分が生きていく世界でないなと、次第に
思いながらも、高い年収に動機付けながら、
何とか、体裁を保っていた。
お客さんが喜んだ時、
それは、きれいな資料を使ってプレゼンした時でもなく
(そんな美辞麗句並べても???)
気の利いたソリューションを語った時でもなく
(若造、経験していないことを、さも経験しているように言うな!)
お客さんが、喜んだのは、必要な台数のマシンを必要な時に、納品した時だった。
CPUの設計図を理解できるわけでもない、
UNIXのソースコードが読めるわけでもない100%文科系の自分が、
たまたま迷い込んだIT業界で、生きていくには、
「お客さんの喜ぶこと」を簡単に考え、それだけを目指していこうと
腹をくくった瞬間があった。
特に、難しい技術思考で、いろんな評論家が多いIT業界で、
シンプルに「お客さんの喜ぶこと」を考え、発言、実践していくことは、
むしろ少数派(というよりも、希少派?)だったが、社外のウケはよかった。
製品会議などで、「わからない」と発言すると、
当初は、「お前、そんなことも、知らないのか?」って、
社内のSEやマーケティングから、無下にされてきたけれど、
「そんな難しいことは、市場で誰も理解できない」と
お客さんやパートナーさんの支持を背景に、発言していくうちに、
少しずつ社内でも、認められる存在になっていった。

その後、ITが苦手ながらも、何とかなくビジネスそのものを構築していく
ソフトウェアに興味を持ち始める。
特に、汎用的で多くの出会いと可能性があり、自分を成長させてくれそうな会社、
そして、当時、最も、サンと友好関係(つまり競合でない)だった
日本オラクルに転職(1996年)。
Oracle
まず、驚いたのは、幹部達の、愉快なプレゼンテーションだった。
四半期毎に実施される全体会議は、まさにプレゼンテーション大会で、
その評価は、いかに笑いをとれるかというものである。
(少なくとも私からは、そう見えていた)
とにかくイベント、セミナーの多い会社で、東京と比べて手薄だった
支社(福岡)に配属された営業の私も、
50名から500名くらい参加の会場で、月に何度も、
プレゼンテーションをしていた。
「お客さんの喜ぶ」プレゼンテーションを追求していくうちに
見えてきたものがある。
-注目を集めるなら映像を利用
-解りやすく、簡単な表現(特に横文字は避ける)
-製品コンセプトより、具体的な活用例
-詳細なことより、明るさ、勢い
ある日、こんなことをお客さより、言われた。
「先月のセミナーでのお話し、とても、良かったですよ」
「ありがとうございます。で、どの点でしょうか?」
「えっ・・・。とても、勢いを感じました。」
なるほど、1ヶ月もたてば、詳細な内容などは、あまり残らないけど、
雰囲気、「熱量」のようなものは、しっかりと残っているのだと
実感した瞬間だった。
その後、動画プレゼンテーションをビジネス化する上で
とても、貴重な経験だった。

ITが苦手で、いつ辞めてもおかしくない男が
苦手故に、見えてくる「簡単さ」「お客さん視点」の追求により、
少しずつ認められ、責任を与えられ、
一番、期待されて、一番、楽しいはずの39歳の時、サラリーマンを卒業し、起業した。

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