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組織、マネジメントの理論とその実践を、スポーツ・学校を通して考える。

慶応高校野球部 上田監督引退

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この夏 敗戦と同時に上田さんが監督を辞めることになった。2〜3年前から「そろそろ辞める」と言っていた。最後の姿を見届けたかったがそれもできなかった。上田さんが引退、自分も今年度から野球の現場から離れることになり、一つの時代が終わったのかと思う。

18年前、今ほど全国区ではなかった上田監督を知ったのは、スポーツ雑誌の小さな記事だった。「野球の指導方法を教えて欲しい」と手紙を出した。すぐに丁寧な返信を頂き、お礼の電話を入れた。「合宿をやるので参加するといい」と誘われ、その場で「行きます」と言い3泊4日お世話になった。ユニホーム姿でタクシーを降りると驚かれた。「電車の中で着替えた」と言うとさらに驚かれた。

北海道からはるばるやって来た自分を温かく迎えてくれ、それ以来毎年合宿に参加させてもらった。

初対面からイタズラされまくった。水だと思って飲んだらテキーラで、まんじゅうを食べたら餡の代わりにワサビが入っていた。ビールのおつまみはドッグフードだった。上田流の歓迎だった。

本当にたくさんのことを学ばせてもらった。同じ英語の教員でもあることから、授業まで見学させてもらい家にも泊めてもらった。「いつかは対等に野球のことを語れるようになりたい」と思い、必死で自分も学び「対戦して勝つこと」が目標になった。「いつまでも学んでばかりいられない。テイクだけじゃなくて、ギブできるようにならないと・・・」と思っていた。相手にも「話してて面白い」と思われないと、長続きする関係にはならない。

上田さんが書いた本の中に「それ僕が言ったこと・・・」って言うのが散見してて、嬉しく思った。大会で勝ち進むと必ず連絡をくれた「大会中にごめん」と言いながら。負けた時は2〜3日後にメールをくれる。もう、そんなこともないと思うと本当に寂しい。

初めて会ってから対戦するのに10年かかり、勝つのにさらに5年かかった。たとえ慶応がベストメンバーでなくても「上田誠監督がベンチで指揮をするチームに勝つ」ことに意義があった。

勝った試合は自分のベストゲームだった。試合後に「あんなプレー練習してるの?」と言われ、嬉しさを隠しながら「はい」と答えた。一塁ランナーがシングルヒットでホームまで帰ってくる、すごいプレー。それで点をとった。野球を分かっている人なら、それがどんなにすごいことなのか理解してくれるはず。それを披露することができた。慶応もそのプレーを練習したという。

上田さんにはものすごく高い目標を与えてもらい、それを目指してきたから自分も成長出来た。まさに「師」だった。本当に感謝している。

「慶応の野球を北海道のチームにも見せてもらいたい」とお願いし、夏は札幌で合宿をするようになった。慶応にも北海道のチームにもこの合宿は大きな意味があったと思う。今年の北北海道大会に進出した遠軽・岩見沢緑陵・旭川西はいずれも慶応とのゲームを経験した素晴らしいチームだった。

長く甲子園から遠ざかっていた慶応を、ここ最近春夏2度ずつの甲子園に導いた上田監督は、甲子園に出場後も変わることなく私たちのような田舎の公立高校を大事にしてくれた。他に対戦したいチームは山ほどあるはずなのに、必ず1軍戦を組んでくれた。義理と人情に厚い人だった。IMG_2514.JPG

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