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組織、マネジメントの理論とその実践を、スポーツ・学校を通して考える。

off the pitch・・・2

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2001年にスポーツ雑誌に載った藤島 大さん(スポーツライター)の記事を紹介させていただきます。藤島さんの文は大変詩的で、その独特の文体が大好きです。

常識あるスポーツ人が非日常の修羅場でつかんだ実感を本物の詞で表現する。そんな時代の到来を待ちたい。

「片田舎の青年が、己を知り世界を知り、やがて己へ帰る。だからラグビーは素敵なのだ」フランス代表ピエール・ドスピタルの名言。

へばって疲れて、なお人間らしく振る舞う。最良の選択を試みる。この訓練はきっと戦争とスポーツでしかできない。人間に、あえて述べれば日本人に、どうしてもスポーツは必要だ。だからアスリートは、机上で得られぬ知性をピッチやフィールドの内外に表現しなくてはならない。

「聡明で才溢れるフットボーラーながら、ピッチ外の振る舞いは年齢相応に未熟だった」

若き日の中田英寿がこれくらいに評価される時、日本におけるスポーツはいくらか成熟を遂げたことになるのではないか・・・。

・・・この記事を読んだのは2001年。自分の中にあった「言葉で表現出来る知的アスリートを育てる」という思いが、すっきり表現されていた。「スポーツで知的な選手を育てる」という思いで、この14年過ごしてきた。その間に、大学のクラブの上下関係で飲酒を強要され、命を失った若者の事件もあった。社会人のラグビー選手が夜の繁華街で暴行する事件が続いた。野球の指導者にも、相変わらず体罰がある。

清宮監督は「あるスポーツの選手は、話ができませんね・・・。ラグビー選手は社会人を経験しているだけあって、話せますが・・・」と言っていたことがある。

藤島大さんのこの記事のタイトルは「真に知的なアスリートを」だった。

指導者の役割は、大きい。自分たちが「言葉」を持たなければ、選手にも言葉は育たない。

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