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組織、マネジメントの理論とその実践を、スポーツ・学校を通して考える。

私が担任だったとき〜3

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耳の不自由な生徒を誰が担任するのか・・・高校の教員にはそのような経験はほとんどない

特別支援の教員免許を持っている自分が、彼女の担任になったのは偶然以上の何かがあったのかもしれない。

英語の教員免許と養護学校教員(当時の名称)の免許をとるため大学の授業は忙しく課題に追われていた。養護学校への教育実習は3年生で3週間、4年生で4週間、今では考えられないほど長期だった。

4年生での実習では、小学2年生の乗田(のりた)君という男の子がとてもなついてくれた。縄跳びが得意な乗田君と休み時間になると縄跳びをして遊んだ。元気で明るい男の子だった。

次の年、実習に行った4年生が、「乗田君が、『熊谷先生来ないの?』」って言ってましたよ」と伝えてくれた。毎年、何十人も実習生が行く中で、自分のことを覚えていてくれた乗田君。ありがとう。会いにいけば良かったと、今でも後悔している。

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