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ビジネスモバイルITベンチャー実録【朝メール】から抜粋します

考えてみるとCACHATTOってインドには縁が深いです

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おはようございます。

1011hPa 20.0℃ @5.00am。夜明けの高い空に少しの薄い雲。秋!こうやって頻繁に気圧を測定すると東京地方で1010hPaを超えると、十分に高気圧と感じるから不思議なものです。普段は意外と低いのですね。


===ほぼ毎朝エッセー===

2000年の会社起業当初では日本国内ではITバブルの時代でした。技術者を探すのに大苦労。そこでサービスの開発をインドで実施することに賭けてみました。結果的には2002年まで、お金ばかりがかかり、いいものが創れずにいました。それでも2002年後半、最後の賭けとしてCACHATTOの初期モデルを再びインドで創りました。2003年にCACHATTOを出した後は、国内要望に素早く応えることが重要だと考え、インドの開発技術者たちは日本で作業をするようになりました。

2005年、外注技術者ではきついということを痛感し、技術者の内製化を始めます。運が良かったのが、当初のCACHATTOで関係があったインド人のKがe-Jan社員になってくれ、その後、怒涛の改良が行われたことでした。CACHATTOがメールだけではなく、OTPやRSAなどにも対応、さらには携帯UIのポータル連携へと進化をしていきました。そして、それは止まることなく、PC用のポータル連携などへも発展していきます。

日本の技術陣も徐々に育ち始めます。インド人のKを見て、面白い製品だと2006年に飛び込んできてくれた元SONYで日本人のT。彼のネット技術知識で多くの方向づけが決まりました。そしてアプリ側は個人プログラマーのNが一手に引き受け、UI開発はウェブデザイナーのTHが引き受けます。非常に手薄な開発体制。さらにサポートやSEも元ホンダのGと青森出身のSが大車輪で受け持ちます。営業は外部に委託したりするなか、彼らの知恵で価格体系を整えました。代理店制度が立ち上がったのが2007年。ストックのビジネスも伸びてきて、リーマンショックも乗り越え、売上3億円、利益1億円という姿へと変わっていきました。その後も、日本でのお客様からのご支持を受け、体制がどんどん強化でき、国内でのポジションは強いものになっています。

さて、ここで、国内でのお客様から「海外でCACHATTOを使いたい」というご要望をいただくようになってきます。いや、「海外で使えないのならCACHATTOを選べない」とも。このことに危機感を抱き、2014年にはシンガポールの現地法人を立てました。シンガポールからは、ASEANを中心に市場開拓を図りました。市場が小さい、海外では無名である、適切な推進パートナーが見つからないなどの要因があり、事業として継続することに疑問を持ちました。

2017年、方針を転換しました。日系企業の追究とローカル企業の追及とをよりクリアにしてみることにしたのです。日系企業の追究は実績がそれなりにある中国市場で。そして、ローカル企業の追及は、元々縁の深いインド市場で追いかけることにしたのです。もちろん、海外での販売はシンガポールの現地法人を拠点として継続します。

インドへのアプローチは、様々な理由で深まります。昨年留学派遣したオーストラリア人JのHBSエグゼクティブ教育の同級生だった、モーリシャス在住の経営者Rという元CISCO技術者が、インド市場開拓に手弁当で積極参加したこと。営業担当としてパートナー企業に雇われたインド人のCという人が、類似業界での営業経験が豊富で、多数の現地顧客と引き合わせてくれること。インド現地法人のディシジョンメーカーたちが、他社での実績や評判よりも、ロジカルに自分で考えるという人たちであるということ。これはシンガポールでの「暖簾に手押し」的な反応とは全く違います。

現状、日本で言うトライアルに相当する Proof of Conceptが何件か立ち上がりました。先週いったムンバイでも、金融機関系では手ごたえが強く、来週には2-3件のPoCが実施されそうです。その際のSEとしてはインド在住人社員のKに出向いてもらいます。

「考えてみるとCACHATTOってインドには縁が深いです」

と、将来また言っているのでしょうね。(笑)

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