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ビジネスモバイルITベンチャー実録【朝メール】から抜粋します

実は会社はとても楽しいところ、楽しくないと感じたら?

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おはようございます。

霧雨が降る朝です。9℃1007hPa@5am。気圧が低めで雨。
関東の冬のパターンと逆になってきているあたり、気候が春に変わったということと理解します。

===ほぼ毎朝エッセー===

□□会社がとても楽しいところだとしたら?

社員Tの5歳になる娘さん。「お父さん会社にいくね!」というとうらやむそうです。彼女にとってみると会社とは、あの家族会、クリスマスパーティーのイメージ。よく、絵にたくさんのテーブルとたくさんの食事とたくさんのプレゼントを描いて、「かいしゃ、いいなぁ」と言っているそうです。

そう。もしかしたら会社は楽しいところでいいのかもしれません。

会社に行くと仲間がいるし、仲間と真剣に取り組めるゲームのような仕事があるし、さらに楽しいイベントやら自分では買えないような設備やら。大人が楽しめるアミューズメントパークやテレビゲームのようなものであってもいいのかもしれません。

アミューズメントパークやテレビゲームと違うところは、それが体験型のリアルゲームであるということでしょう。相手もあるし、自分の言動が様々な反応を起こすものです。自分たちのプロジェクトに打ち込みながら魂を込めて、世の中からリアルな反応を得るということでもリアルゲームでしょう。

それが故に、リアルな材料や難問と取り組んで仲間と一緒に解決していくというプロセスを経て、さらに給料やボーナスまでがもらえるという世界なのです。手加減をするとゲームの楽しさは極端に減ります。真剣であるがゆえにより面白くなるのは、アミューズメントパークでもテレビゲームでも同じですよね。

リアルだからつまらない。
リアルだから面白くない。
リアルだからつらい。

この考え方自体が間違いだったとしたらどうでしょう?

様々なハンディや難しさはゲームの条件の一つです。だからが故に、本気スイッチを入れて、目の前のことに集中して逃げずにいると、新たなる展開がやってくる。お化け屋敷やジェットコースターを怖がっていて避けていれば、あのスリルが味わえないのと同じなのかもしれません。「楽しむぞ!」という気持ちで、物ごとの見え方は全く変わってくるものですね。

この考え方をマスターしたとします。次にやってくるのは、ある共通した阻害要因です。

「あの人さえいなければ...」

「どうしてあの人はああいうことをするのだろう、言うのだろう。これでは楽しいはずの会社や仕事が台無しだぁ」。さらに不幸なことに、殆どの人はその人を変えることができると思うのですが、実際のところ「人は変えられません」。これがデフォルト。

人が変えられないのであれば、自分の見方を変えるしかありません。ではどう変わるか?

誰でも「正義は我にあり」と考えて行動しています。まさに「泥棒にも三分の理」です。誰も悪かろうと思ってやるのではなく、たとえ意地悪をしていたとしても、それはその人を成長させるためだ、などという屁理屈をもってやっているものです。

こういう人に接したときには、自分はその人の心の成長段階を考えることにします。これは年齢や立場などとは無関係なのです。その人の心がどの成長段階にあるかを頭の中で考えるといいです。成長した心であれば、人のことが慮れる行動や表現をするでしょう。成長していない心であれば、疑問に思うことも多いでしょう。自分もきっと多くの場合、「まだ成長していないな」と思われていることでしょう(汗)。

大切なのは、どの心も成長する意志を持っていて、よりよくなろうとしていると思うことです。悪意を持ってやっているのではなく、成長するためのトライアル&エラーをしているだけだと。だから今、嫌なこととして見えていることは、その心がトライしていることが、嫌な見え方になっていると解釈することなのでしょう。

得てして年齢や立場が上の人はより心が成長しているべきだと考えがちです。ところが実際にはそうではない。うまくその罠から逃れると、急に物事が楽に見えるようになります。すると、それまで大いに嫌っていたその人の見え方が、ガラリと変わってきたりします。お試しあれ。

そして、毎日「会社に行くね!」と活き活き出ていくのです。娘さんがうらやましがるくらい(笑)

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