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東京五輪のロゴ問題におもう、「これからのロゴ」

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私はテレビを持っていないので、東京五輪のロゴ問題については、ウェブ上のニュースを斜め読みした程度の情報しか知らない。何が事実で、何が作られた情報あるいは自生した情報なのか、私には分からない。
ただ、SNSに流れてくる情報の中に、前回五輪のロゴの数字を変更して使ってはどうか、といった意見を見ると、前回五輪のロゴは、引くものが何もない、究極にシンプルなデザインだから、それは良い考えかもしれないなぁ、とはおもう。

これから私が書くのは、渦中の問題についてではない。問題が発生した今この時点から後のロゴ・デザインについてである。

チームでのコラボレーションによるデザイン

これからのロゴ・デザインにおいては、従来の制作手順を踏襲するのではなく、「誰が、どのような方法で作るか」という根本を問い直す必要があると考える。
なぜなら、いまでは、表現を技術から切り離せなくなりつつあるからだ。
「ロゴだってIoT!」なのだ。

既に、ロゴの色や形は、一度紙の上に定着させれば不変のスタティックなものではなく、データとして扱われ変化することもあるダイナミックなものになっている。

そのような時代には、グラフィック・デザイナーが単独で創るよりも、エンジニアの参加するチームで「構築する」ほうがのぞましいのではなかろうか。
平面を得意とするグラフィック・デザイナーだけでなく、3Dのデザイナー、ITエンジニアら、異分野の専門家チームがコラボレーションするのである。
ソロでの制作より、チームでの構築、だ。

いずれは、計算機とのコラボレーションも必要になっていく。
計算機はヒトの創造的な活動の一部を肩代わりし始めている。
そのとき計算機の扱い(プログラミング)を知らないグラフィック・デザイナーが単独でロゴをデザインすることは難しくなるだろう。

もちろん、発注者側にも、技術への理解がもとめられることはいうまでもない。

技術進化に合わせて、デザインの手順も変える

アート・ディレクターが企画・設計を行い、コンセプトを理解した複数のデザイナーが、白い背景上に、CMYKで色を指定したデザインを平面上に描き、バリエーションを考え、複数のプランに展開して、プレゼン用の紙パネルを作る。クライアントにプレゼンして、どれかひとつのプランに決定したら、ロゴの利用の範囲や利用の方法を規定するC.I.マニュアルを作成し、それを添えて納品する。
ーーーこれは、1995年よりも前、インターネットが普及し始めるまでの、紙媒体が主流だったころの、旧世代のロゴ・デザインの方法である。

1996年以降、インターネットが普及し始めると、ロゴは、紙媒体だけでなくウェブサイトでも使われるようになり、モニタで見られるものとなった。

当時、私は、C.I.を含むウェブデザインを何件か手掛けたが、その1件目から、前述の旧世代の手順を見直して、電子媒体向けのデザインを優先する方向にシフトした。いずれ紙媒体は衰退し、電子媒体で表示するケースが圧倒的に増えると考えたからだ。
電子媒体向けのデザインでは、背景色が変わっても判別でき、拡大縮小に耐え、その後普及することになる媒体(当時でいえばPDF)でも利用できる必要があった。
そこで、紙媒体向けのデザインをウェブページに流用するのではなく、電子媒体向けのデザインを先に行い、必要であれば印刷物にも展開する、という、逆の手順に切り替えた。

そうした逆手順の方法は、当時は異端だった。
デザインと技術の間、両者の業界の間は、厚い壁で隔てられていて、技術に合わせてデザインを創るとか、デザインを実現するために技術を開発する、という考え方は、敬遠される傾向にあったのだ。

ところが、20年経った今では、グラフィック・デザイナーという職業だけでなく、ウェブ・デザイナーという職業が新たにできている。彼らは、電子媒体で使うロゴを、モニタとにらめっこしながら、デザインしている。

初対面の相手に対して「デザイナーです」と名乗れば、相手は、グラフィック・デザイナーよりも、ゲーム・デザイナーやウェブ・デザイナーをイメージするかもしれない。そのくらい電子媒体向けのデザインという仕事は認知されるようになっている。
この変化は、「わずか20年の間に」起こったことなのだ。

さらに、8年前には、ロゴ・デザインの手法を揺るがす、画期的なできごとが起こっている。
いや、それを画期的だとおもっているのは、現役デザイナーで自分の仕事の方法を常に問い続けている人か、現役を退いて第三者的な視点を持てる元プロだけで、多くの人にとっては、由無事にすぎないものだったかもしれないのだが。

その画期的なできごととは何か。
「はてな」がロゴの使用をユーザーに許可するに際して、その案内文をウェブ上に公開したことである。
その「改変の幅の、トンデモナイゆるさ」は、デザイン業界をひっくり返す破壊力を秘めていた。

これをたまたま目にした私は、ついに来るべきときが来た、と、おもった。
C.I.マニュアルを作成して、色やサイズや背景色との関係やモノクロの場合の使い方をガチガチに規定する、従来の方法は終わりを告げたのだ。
ネットの普及と画像処理ソフトのノンデザイナーへの普及は、業界の常識を覆し始める。プロの仕事の方法と価格が問われるようになる。そのような時代の始まりを感じていた。
はてなという会社はユーザーとデザインの関係性を再定義してしまったのだとおもう。

技術が変われば、デザインの方法も変わる。

業界の常識とされる方法は、時代につれて変わるのだ。
先輩デザイナーたちの築いてきた方法が永遠に有効であるとは限らない。それを信じ込むのではなく、固執するのでもなく、学校で習ったやりかたや勤務先の方針や業界の常識に対して問いかけ続け、技術進化に合わせて柔軟に変えていくほうがいい。自分のためだけでなく、顧客のため、社会のために。

公や企業のロゴは、新しい媒体や新しい技術が登場する都度、変更するようなものではない。
将来にわたって長期間、利用に耐えうるデザインがのぞましい。

五輪のロゴについていうなら、2020年に、技術がどのように進化しているかを、想像しなければならないだろう。
2020年にいたる、そして2020年以降の技術進化の中で、従来の(慣行の)白い紙の上に構築される平面のデザインは、有効であり続けるだろうか?

現在は、インターネット普及期にも似た、技術革新の激変期にある。
進化は加速する。5年の間に、これまでの10年20年分をしのぐ変化が起きることはまちがいない。

3次元のデザインを優先して、平面に落とし込む

技術進化に合わせていくには、2次元でデザインして3次元にも展開するのではなく、3次元でデザインしたものを2次元に落とし込む、という逆の手順の方が、融通が利きやすい。

企画・概念設計は、発注者側で行うか、あるいは、チームを統括するアートディレクターが行うか、あるいは、発注者を含むチーム全員で行う。
そして、まずは3次元を扱うデザイナーがデザインする。次にグラフィック・デザイナーが、そのデザインを平面に定着させる。

立体作品の彫刻や屋外インスタレーションを、画面上で(2次元で)閲覧している状態が、2次元に落とし込んだ状態だと考えれば、あながち間違いではない。

3Dのデザイナーたちは、どのようなデザインをするだろう?

東京五輪のロゴでいえば、たとえば、前回東京五輪の日の丸を、3次元CGの躍動感ある太陽で置き換える人がいるかもしれない。
日の丸をISSから見た地球に置き換える人がいるかもしれない。
ギリシャからのDNAを受け継ぐという意味で、螺旋の中に太陽を配置する人がいるかもしれない。
宇宙から見た地球の上のTOKYOをイメージさせるような、オブジェを創る人がいるかもしれない。

そうしたデザインは、シンプルかもしれないし、複雑なものであるかもしれない。
デザインは「できるだけ」シンプルな方がいいが、それは「すべての」デザインがシンプルで「あるべき」とか、シンプルでないデザインはセンスがない、という意味ではない。サントリーの「響」のように、立体パズルかプラモデルにもなりそうな、一見複雑でも印象に残るロゴもある。

今後、ホログラムは娯楽や教育の場に浸透していく。ロゴの背景はその場の景色となる。「紙パネルの白一色」であリ続けるとは限らない。
デジタルサイネージが使われ始めたのは25年ほど前だったと記憶しているが、今では、あちこちで見かけるようになっている。スタティックなポスターより、ダイナミックなサイネージ、さらには、空間に現れるホログラム。2次元のイメージを先行して考えたのでは、データの流用が困難になる媒体や技術が、今後次々と登場するだろう。

3Dプリンタは家庭に普及していく。
平面にデザインしたロゴを立体に印刷する方法ではなく、最初から出力結果の一部としてロゴはデザインされるようになる。「3Dネイティブ」世代が選挙権を行使する頃には、立体をイメージしながら平面のデザインを描くのではなく、最初からロゴを含む立体をイメージするデザイナーが増えるだろう。

そして、デザインを見る側や利用する側の環境も変わる。
マイクロソフト社の活動を見るまでもなく、地球規模でいえば、印刷物を運搬するよりも、デバイスからアクセスする方が、情報を得やすい場所もあるだろうし、そうした場所は増える。
ディスプレイは平面ではなく曲げられるものとなるし、何もない空間に表示することも当たり前。多種多様なデバイス上で映えるデザインがもとめられるようになるのは当然だ。

これから10年間のロゴ・デザインについて言うなら、平面を得意とするグラフィック・デザイナーが単独で創るのではなく、先に述べたように、ロゴ構築チームを結成し、チームのメンバーであるゲームやアニメのメカニック・デザイナーが、ホログラムや3Dプリントまで意識したオブジェを作成したものを、グラフィック・デザイナーが平面に落とし込む、という方法が妥当ではないか、と私は考える。

そして、その方法なら、コラボレーションによるデザイン、3次元からの2次元への展開という方法論、新技術への対応、という、3つの新規性をアピールできる。
また、最初から3次元でデザインすることにより、プラモデルや立体パズルや折り紙や日用雑貨、それらの販売、教室、アニメ、ゲームなど、展開の幅もより拡がる可能性もある。小さくとも経済効果はあるかもしれない。(逆に、新しい媒体に対応できない場合の経済損失は限りなく大きくなるだろう)

伝統工芸や文化を担うひとびとの動作を、3Dデータ化する

3Dのデザイナーではない、リアル3D(つまり人間)によって、3Dデータを作成する方法も考えられる。

書家や伝統工芸士なら、書や和紙や製糸した布による工芸品といった、3Dの素材を作るかもしれない。
エンジニアは制作過程を展開する。素材制作時の動作データを取得し、その動作をトレースできるゲームを作るのだ(あなたも書家の○○先生の筆致を真似できます)。

また、舞踊家なら、五輪をイメージする振付を考えて踊るだろう。
エンジニアは、その動作を(Kinectなどを使って)データ化する。
得られたデータを、舞踊家とエンジニアとグラフィック・デザイナーがチェックして、ロゴになりそうなシーンを切り出す。シルエットを素材として、グラフィック・デザイナーが印刷物(平面)への落とし込みとレイアウトを行うのである。

そういった方法も考えられなくはない。デザインの方法は、ひとつではないのだ。

計算機とネットユーザーがコラボして、リアルタイムでデザイン作業をイベント化する

五輪には、国を問わず老若男女が競技者として視聴者として参加する。
企業や商品のロゴ・デザインとは異なり、訴求するターゲットの属性を絞り込むことが難しい。
そのため、素直でわかりやすいデザインに着地させるようになることは理解できる。
しかし、その表現結果を、シンプルだと評価する人もいれば、無難だと見る人もいるだろう。

どのようなデザインが提案されたところで、賞賛あり批判ありになる。
ならば、(予算と時間を度外視するなら)、いっそのこと、計算機に任せてしまうという方法が考えられる。

たとえば、五輪に参加するアスリートに目標タイムや点数を答えてもらう。
あるいは、ネットユーザーが参加できるアンケートや簡単なゲームのシステムを開発し、データを吸い上げる。
それらのデータをパラメータとして、数式処理システムで図形化するのである。

ネットユーザーたちによってロゴが生み出される課程を、リアルタイムでネット中継できたらおもしろい。
世界中のひとびとが、手持ちのPCでスマフォで、ロゴが徐々に形になって最終形にたどりいく様子を閲覧できるようにするのだ。
ロゴ・デザインという作業そのものが、プレ五輪の、世界的なネット・イベントと化すのである。

その結果として得られた図形を素材として、グラフィック・デザイナーが微調整をほどこしてロゴの形に仕上げ、平面上にレイアウトして、複数のエンブレムを作成する。

そして、複数のプランの中から一点を、人工知能に選ばせるのだ。

この方法で作成されるロゴは、データとして使いやすく、拡張性のあるものになるだろう。

研究開発予算を度外視するなら)誰が見ても一意であると認識できるけれども、ユーザーの心理状態をセンシングした情報に合わせて色や形が微妙に変化する、あるいは、状況によって選手を鼓舞するように変化する「動的な」ロゴも可能になるだろう。まさに「IoTロゴ」だ。
(ひとつジョークをとばすなら、松岡修造氏にセンサーを付けていただき、その精神状態に同期して形が変化して燃え上がる、というようなロゴを想像してしまうのは、筆者だけではあるまい。)

また、ロゴの使用期間中、「成長し続ける」ロゴ、というものも考えられるだろう。使用期間が終わりに近づくにつれ、ようやく最終形になっていくというものだ。

図形化や決定にかかわる数学者と人工知能システムを提供するベンダーは、矢面に立つことになるかもしれない。
だが、なにしろ相手は計算機である。批判したとしても空振りに終わってしまう。
この方法では、誰も評価されない代わりに、誰も嘆かず傷つかずに済むかもしれない。

もう少し遠い未来には、計算機がデザインを代行する

AIがさらに進化した暁には。アルファベットと全世界のフォントと図形を与えさえすれば、計算機がいくつものデザイン候補を提示するようになる。

その計算機の進化の過程で、グラフィック・デザイナーは二つに分かれるだろう。
ひとつは、クライアントの希望を汲み上げて、最適なデータを計算機に与え、処理結果の中から採用するプランを判断する者。
もうひとつは、計算機にはできないデザインを生み出すべく頭をひねる者である。

さらには、採用するプランの決定にも計算機が関わり始める。人工知能が、経済学者も経験豊富なコンサルタントも太刀打ちできない、最大の期待効果を引き出すプランを的確に予測して判断する能力を獲得した暁には。そして、そのほうが安上がりな場合には、特に。

そのとき、グラフィック・デザインという職業は、残っているだろうか?

個体がノードとなって互いに接続し合う世界では、各個体の思考の境界すら曖昧になっていく。
いまはフラット・デザインが主流だが、Silverlightのロゴのような、3次元のグラデーションが主流になる可能性もある。
色も形も明瞭なベクトルデータでなければならない理由すらない。マッピングするテクスチャがランダムに切り替わるものでも、シンボルとしての役割を果たす限り、ロゴはロゴなのだ。

ひょっとしたら、遠い将来には、「ロゴ」が意味を成さない社会になる可能性だってある。
(地球の昔の人の社会にはね、ロゴというものがあってね......ふぅん、ロゴって何それおいしいの?)

色や形の土台となる「企画・設計」こそが重要

デザインという仕事は(ほかの多くの仕事と同様)、段取り八分である。
色や形を考えるよりも前段階の、企画・設計に多大なエネルギーを使う。それら前工程こそ、デザインという仕事の最も重要な部分だ。

デザインの目的を明確にして、出力結果(表現されたもの)が使われる時間と空間を設定し、ターゲットやユーザーの属性・社会背景・期待効果を考え、情報を取捨選択・組み合わせて、分類、構造化するーーーそれこそが「デザイン≒設計」という仕事であり、その土台あればこそ、その上に色や形によって構成される表現が成立する。

表現の出力形態がロゴであれば「ロゴ・デザイン」、ウェブであれば「ウェブ・デザイン」、XMLやRDBであれば「データ・デザイン」、アプリであれば「UXデザイン」となるが、どのデザインの仕事においても、企画・設計が重要であることに変わりはない。

企画の一部分でも異なれば、表現計画も、その結果の色や形も違うものになる。

たとえば、東京五輪のロゴでいえば、企画のために必要な項目のひとつである「切り口」を決めるための要素はいくつもあり、さらにその中の、開催地のイメージひとつとっても、おおまかにいえば、4つの側面がある。

(1) 東京がある日本で開催される五輪 → 日本的なるものの表現 → 日本国民が発信したい日本のイメージ
(2) 東京がある日本で開催される五輪 → 日本的なるものの表現 → 海外の人々が持つ日本的なるもののイメージ
(3) 日本の中の東京で開催される五輪 → TOKYO的なるものの表現 → 日本国民が発信したいTOKYOのイメージ
(4) 日本の中の東京で開催される五輪 → TOKYO的なるものの表現 → 海外の人々が持つTOKYO的なるもののイメージ

(2)はどちらかといえば、東京というより京都のイメージかもしれず、(1)と(4)には大きな隔たりがあるかもしれない。こういったことは、調査してみなければわからないだろう。

ただ、何がマジョリティかはわからないが、国民(また、日本に目を向けている海外の人々)ひとりひとりが持っているイメージが異なることだけは確かだろう。
古来から脈々と続いてきた、伝統文化や、古都のイメージ。地方の田舎の土着的なイメージ。東京の最先端のファッショナブルなイメージ。
どの切り口で進めるのかという問題をスルーして、企画の土台があいまいなままで色や形を工夫するなら、「日本的」(あるいは「TOKYO」)という言葉が独り歩きし始めてしまう恐れさえある。

世界中にビルが建ち、観光地にはブランドショップが出来、金太郎飴化しつつある時代。
気軽に宇宙旅行に行けるようになった暁には、漆黒の宇宙空間を味わうよりも、基地にオープンした店でグルメとショッピングを楽しむことになるのだろうか。
そのような時代にあって、開催地のイメージとは、いかなるものか。

色や形が個人の持つイメージに合致するかどうかということよりも、視覚的に表現された結果の根底にある、企画・設計の重要性について、我々は思いめぐらせてみなければならない。
デザイナーが、思考の出力結果(表現)について説明するとき、「これをテーマに表現してみました」という説明は、分かりやすいけれども、あまり重要ではない。
「なぜ、それをテーマにするにいたったのか」という、企画・設計工程におけるデザイナーの思考プロセスを明らかにすることのほうが、何倍も重要である。

デザイナーにとっては、色や形の根拠の説明のみに終始するほうが、容易ではある。直感や思考プロセスを言語化することは難しい作業だからだ。しかし、その企画・設計工程を言葉にできれば、デザインの意図は伝わりやすいものとなる。

(もし、ノンデザイナーの人がロゴ・デザインを試みるなら、企画・設計工程をスルーして色や形をいきなり考え始めるよりも、企画・設計を考えてみるほうがいい。そして、土台の強固なデザインを目指すほうがいい。そのほうが評価されるデザインになる、という意味ではなく、デザインという作業のプロセスを追うことにより、デザインというものを理解しやすくなるとおもうのだ。)

以上、18年前までグラフィック・デザインの仕事もしていた元プロ(その後ウェブ・デザインを経て、XMLのデータ・デザインに移行、いまはその次の段階を進行形であり、現役のグラフィック・デザイナーではない)として書いてみた。

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