ヴィジュアル、サウンド、テキスト、コードの間を彷徨いながら、感じたこと考えたことを綴ります。

メルマガ連載「ライル島の彼方」第9回 「はたらく」ということ ~私が会社をやめた理由(5)~ 転載(2015/5/25 配信分)

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この記事は、メルマガ「デジタル・クリエイターズ」に月1回連載中の「ライル島の彼方」の転載です。

第9回 「はたらく」ということ ~私が会社をやめた理由(5)~

前回からの続き )

1996年、筆者は勤務先のデザイン事務所の新規事業として、地域ポータルの原型となるオンラインマガジンを企画・制作。翌1997年には地域のプロバイダと勤務先が業務提携、会員有志によるオンライン制作チームを結成し、より広いエリアの情報提供を目指した。
社長は、インターネットに関心を持つ取引先から、数件の商用サイト制作業務を受注してきた。
筆者はそれらの企画・制作を着実にこなしつつ、地域ポータルの管理業務にあたった。

■1990年代後半のWebデザイン事情

1996年~1998年の商用サイトはといえば、Netscape Navigator対応の、静的なものが主流だった。
これには理由がある。

Webデザイナーには、グラフィックデザイナーやDTPデザイナーからの転身組が少なくなかった。
彼らは日常業務でMacを使っていたので、Webの制作・表示には、自ずとMac+ Netscape Navigator(以下 NN と略す)を使うようになった。

ところが、当時圧倒的シェアを誇っていたこのブラウザは、CSSをサポートしていなかった。
そのため、データと構造と表現を切り離すことができず、データや表示を制御する動的処理の実装は容易ではなかった。
かといって、動的処理をFuture Splash(Flashの前身)などに頼るとなると、ユーザーにプラグインのインストールを強いることになってしまう。

そこで、Webデザイナーたちは、動的処理よりも、静的な画面の美しさを重視し、Photoshopを駆使してグラフィック制作に注力した。
まだ28800モデムが幅を利かせており、1ページを表示するにも時間のかかっていた時代である。ユーザーの心が離れないよう、8秒ルールをクリアすべく、画像ファイルのサイズダウンに腐心したのだった。

こうしたことから、印刷物のポスターのような画面デザインが散見されるようになった。写真や絵がメインのサイトではない、テキストの内容を伝えるサイトであっても、スペースを生かずために文字サイズを小さく抑える傾向が見られた。

今では、本文には無関係な画像をべたべた貼った派手な広告の乱舞するブログであっても、ユーザーはテキストを読み、その内容を評価してくれる。内容が気に入れば、「良い記事!」「感動した!」とtweetする。
これが当時なら、テキストに目を通す以前に、「見た目最悪」「画像ひどい」「読む気失せる」「広告うざい」の大合唱だったろう。

このような、情報を的確に伝えるためのユーザーインタフェース・デザインよりも、美しさを評価して再訪してもらうためのヴィジュアル・デザインが重視される風潮にあって、困ったことに、CALS → SGMLからタグの存在を知った筆者の関心は、ヴィジュアルよりもむしろデータ処理にあった(★1)。
だから、仕事ではNetscape Navigatorで表示可能なページを作ってはいたものの、個人では Microsoft Internet Explorerを使っていたのだ。

■Internet Explorerユーザー、オンラインで集まる

オンラインマガジンには、少しずつ、読者からの感想メールが届き始めた。

1997年の正月だったと記憶している、「自分も、Active X を使ったページを作っているので見てほしい」というメールが届いた。差出人は、ハンドルネーム「kuni」氏。
二言三言返信したものの、筆者はそのkuni氏のWebサイトを見ることはできなかった。

勤務先の環境はといえば、Macである。Active Xは動作しない。
自宅には、Windows 95 + Internet Explorer 3.02(以下IEと略す)、1024×768の環境がありはしたが、接続が不安定すぎた。自分が作るActive X 使用のページも、紙上デバッグで制作していたのだ。つまり、Active Xのページを見たことのないまま、想像力で使って公開していたのである。
自由に閲覧できるようになるには、自宅にISDN回線を敷設する1997年6月まで待たなければならなかった。

IEのシェアが一向に伸びないなか、IEユーザーたちが動き始めた。

筆者にとって幸運だったのは、業務提携先のプロバイダの創業者がペンタブレットの元開発者で、技術情報のウォッチに余念がなかったことだ。この人物は、Visual Studio 97の時点からデータべース処理に注目しており、Microsoft社の技術に展望を見出していた。
そのため、プロバイダも、おそらく全国で唯一だったのではないだろうか、Unixではなく、Windows NTを採用していた。
また、Microsoft社の技術に明るい社員が、自作の掲示板プログラムを会員に無償で提供していた。

1997年3月。前述の、筆者にメールしてきた、"Active X ユーザー" kuni氏が、このプロバイダの掲示板機能を利用して、Active Xのコミュニティを開いた。筆者は、業務提携の関係上、開設時点から管理に協力する格好になった。

そして、この掲示板に、MicrosoftのWeb技術に期待するユーザーたちが、物見遊山のように集まり、通り過ぎていったのだった。
その後、Microsoftの社員になった人もいれば、Microsoft MVPを受賞した人もいる。多くの本や記事を書き、イベントで登壇している人たちがいる。今なお技術普及に余念がないのだ。

■評価されなかった、Active X + VBScript

そんなある日、地域の町おこし系サークルのメンバーが、筆者の勤務先を訪ねてきた。

初対面のその人は、Webサイトの可能性について熱弁をふるった後、地域のWeb制作者の技術力向上を目指して、ホームページ・コンテストを開催するから、技術面で協力してほしいと言う。
その場で快諾し、社長に説明すると、コンテストの協賛企業に名を連ねてくれることになった。

開催要項はといえば、企業・団体部門と個人部門のふたつに分けて、応募作品を募り、それぞれ二度の審査を経て、数本の優秀作品を選ぶというものだった。
筆者は、個人部門の一次審査を担当することになった。

高度な技術者からの応募も考えられる。審査する側に知識がなければ、そのレベルを正しく評価することはできない。
使われる可能性のある技術について、一通りの知識を仕入れるべく、本や雑誌を買い込み、Microsoft系以外の技術についても、にわか勉強した。

審査にあたっては、3つの環境を用意した。
勤務先の Mac + NN 3.0、Mac + IE 3.0。筆者がデザイン業務を担当していた顧客の企業に頼むと、Windows 95 + IE 3.02(解像度 1024×768)の 環境を、社員が休日出勤する日に、数時間使わせてもらえることになった。

個人部門の応募総数は、約100点。
ソースコードから使用技術を特定し、最適の閲覧環境を判断して、その環境で、閲覧した。
コメントを書きとめながら、企画の背景から構成まで、丁寧に見ていった。日常業務に支障をきたさないよう、休日出勤をして作業にあたった。

ところが、他の審査委員たちは、どうやら技術評価に対する姿勢が、筆者とは違っていたらしい。
フタをあけてみると、筆者が推した作品は、ことごとく一次予選を通過していなかった。

筆者が最優秀賞候補として強く推した作品は、Active X Layout Control を使った、前述のkuni氏の個人サイトだった。筆者は、審査の作業によって初めて、実際に動く Active X のサイトを、見たのだった。

それは、優れたJava Appletの作品に匹敵するか、それ以上に、VBScriptの処理がユニークな作品だった。
だが、他の審査委員たちは、評価していなかった。僅差ですらなかったのだ。

結局、受賞作品はどれも、ヴィジュアル・デザインに秀でた作品、画像処理と画面レイアウトに優れたものばかりという結果に落ち着いた。
「地域のWeb制作者の技術力向上」を目指して企画されたコンテストであるにもかかわらずだ。

筆者には、他の審査委員たちが、Active Xのページを正しく閲覧できたとは思えなかった。
あくまで当時の筆者の推測でしかないのだが、NNで表示しようとして断念したか、IE 3.02でアクセスしたとしても、解像度が低すぎて画面の端が切れたのではないか?と思ってしまった。

所詮、見た目が最優先。動的処理より、静的表現か。
プログラミングよりも、画像処理のスキルなのか。
"気の長すぎる"筆者ではあるが、この結果には怒りが湧いた。
きっと、一にも二にも、MicrosoftのWeb技術を知らない人たちが多いからに違いない。ならば広めることから始めよう。

■コラボレーション・ユニット、始動

そこで筆者は、ある行動に出た。

まず、個人サイトで、筆者が推した作品を紹介した。
「そういう見方もあるのか」と、気付いてもらえればという考えからだ。

そして、くだんの応募者のkuni氏にメールを書き、コラボレーションを呼びかけたのである。

kuni氏のサイトは、個人の趣味のサイトらしい表現と構成で、おもちゃ箱をひっくり返したように賑やかだが、ヴィジュアル・デザインの統一感はなく、コードは突拍子もなく突き抜けてはいる反面、粗削りだった。
コラボすれば、凸の部分を残したまま、凹の部分を補完して、その上に視覚的要素を追加できるのではないか。デザイナーとプログラマの力を合わせれば、さらにクールなコンテンツを生み出すことができるにちがいない。
それは、これからWeb制作を始める人々に、いくばくかのインパクトとヒントを与えるだろう。

冷静に考えてみれば、いや、考えるまでもなく、非常に無謀な試みではあった。
まだ、Web制作者の間でさえ「コラボレーション」という言葉は、ほとんど使われていなかった時代である。そのうえ、当時の技術では、コラボレーションするとなると、接続のためのIDやパスワードを共有する必要があった。

ところが、筆者は、kuni氏の人となりを知らないのだった。
メールでしばしば技術情報を交換してはいたものの、面識はない。電話で話したこともない。勤務先も年齢も住所も、個人情報は何も知らない。

リスク or チャレンジ ?
Microsoft社の熱烈なファンだということだけは確かであるので、その一点に賭けることにした。

当時のインターネットによる技術革新の速度はすさまじかった。変化のすぐ後を追うのでは遅い。変化に歩調を合わせたのでも遅い。変化の先を行かなければならなかった。
石橋を叩いて渡る、というよりも、石橋を叩き過ぎて割ってしまい、結局渡れなくなってしまうことの多い慎重すぎる筆者でさえ、転がるように走り始めたありさまだ。
数年先に目をこらすと、チャレンジするしかなかった。「勢い」だけで動かなければならないことはあきらかだった。

まずは、記憶に残るユニット名を付けなければならない。ネーミングは筆者の仕事の範疇である。
Active Xの「X」から、「PROJECT X」という名前を考えた。だが、これは重複しそうな名前だ、やめておこう。今つくづく思う、「PROJECT X」にしなくてよかった、と。
「X」は手紙の〆であり、KISSと発音することがある。kuni氏の本名を尋ねてみると、Kuniyasu Yakushiji(薬師寺国安)だという。そこで、イニシャルを使い、「KySS」と表記することにした。

1997年6月23日、薬師寺国安と筆者の二人は、Microsoft社のWeb技術を宣伝するための、非営利コラボレーション・ユニット PROJECT KySSを結成した。

ユーザー名「kyss」で、プロバイダと契約。会費は筆者のなけなしのお小遣いから支払った。なに、技術普及への先行投資だ。
プロバイダの技術者に事情を説明すると、複数会員間でのFTPのIDとパスワードの共有を許可してくれた。

■Dynamic HTML、Direct Animation コンテンツを制作

PROJECT KySSが始動したころ、Microsoftの新たな技術、Dynamic HTMLとASP(Active Server Pages)の可能性が囁かれ始めた。これらは、あらゆる業種の作業を変えていくインパクトを持っていた。

また、Microsoft Agentも賑やかになってきた。
PROJECT KySSの相方の薬師寺国安は、Agentの「Marlin」さんを使ったコンテンツを作り、筆者は、「Microsoft Agent Character Editor」のオンラインヘルプの勝手訳を個人サイトに掲載した。これらは、Agentに関心をもつユーザーに歓迎された。

そして、IE 4.0 PLATFORM PREVIEW 1(PLATFORM PREVIEWは、デベロッパー向けのベータ版。以下、PPと略す)が発表され、Microsoftファンのユーザーは、こぞってこれをインストールし始めた。
1997年7月末には、IE 4.0 PP 2 日本語版がダウンロード可能となった。

ところが、IE 4 PP 1 はまだしも、PP 2 にいたっては、その不安定さは、歴代ブラウザの中で、最強であった。
脱落(アンインストール)するパワーユーザーが続出。筆者自身、何度も再インストールし、ときには OS のクリーン・インストールを繰り返した。気合と根性と情熱で、正式版発表まで持ち堪えたのだった。

そうした技術進化の中にあっても、勤務先の環境は相変らずMacで、Windowsでの表示確認作業は持ち帰り。
その上に、PROJECT KySSのコンテンツ制作。
毎日深夜まで、PCに向かう日々が続いた。
相方の薬師寺国安は定時退社可能な、レディス・ファッションのアパレルメーカーの事務職に就いていたが、こちらもネットに接続するのは、深夜。

当時のWeb制作者の多くは、電話代が安価になる23時以降(NTTのテレホーダイ・サービス・タイム)に合わせて生活していた。
インターネットに可能性を見出す誰もが、睡眠時間を削って、戦っていたのだ。

PROJECT KySSのWebコンテンツのテーマは、「Nostalgia」とした(★2)。
使用する技術は、Dynamic HTML、Direct Animation、Active X、これらをVBScriptで制御(★3)。YAMAHA MIDPLUGは、Java Scriptで制御。レイアウトは、エンベデッドCSSだ。

当時、IE4.0対応のDynamic HTMLを使ったサンプルページは国内に数件しかなく、Direct Animationにいたっては、米国Microsoft本社サイトに数種類のサンプルページがあるだけで、それ以外の資料は見当たらなかった。制作できれば世界初のDirectAnimationコンテンツになる可能性があった。我々はワクワクしながら、おおいに制作を楽しんだ(★4)。

素材は、基本的に、絵も詩も音も写真も、オリジナルのものを用意した。レイヤー機能のないPhotoshop leで画像を、YAMAHA CS1XとCubase leで音楽を制作した(★5)。

コードは、二人とも、メモ帳やワードパッド(Windows 95 標準搭載のテキストエディタ)で書いた。
当時のコンテンツは、(ローカル・プログラムでも、ASPのようなサーバーサイド・プログラムでも)、HTMLファイルの中にスクリプトを書き込んでいたため、HTMLファイル自体が仕様書代わりになった。
軽量のテキストファイルであるから、メールに添付して送り合い、互いにコードを修正、追加して、作り上げていった。

企画開始から2カ月後の、1997年9月末。
Webコンテンツ「Nostalgia'97」を公開した。
もっとも、動作要件は、Pentium120MHz以上、要ISDN、ブラウザはIE4.0 PP 2のみ、という、容赦ない環境制限のため、閲覧できるユーザーは限られていたのだけれども。

■視覚的表現より情報処理を優先する理由

1997年9月、勤務先が法人会員だったJAGDA(日本グラフィックデザイナー協会)の、他の会員たちと知り合う機会ができた。
この時点で、Webサイトを公開しているJAGDAの会員は数十であった。さらにその中で、事業所のサイト以外に、プライベートでもサイトを開設しているメンバーの数はとなると、一桁だった。

希少な、プライベート・サイトを持つデザイナーさんたちとオンラインで交流するうち、Webで何か新しい試みを始めよう!という話が、ちらほら出始めた。
どの人も、丁寧なコメントを書く、穏やかで、ほのぼのした、気持ちの良い人たちばかりで、親しみを持つことができた。
けれども、その一方で、筆者は、何か見えない壁に阻まれている、蚊帳の外にいるような感覚に捉われていた。

何かしら感じてしまう違い。
それはおそらく、視覚的な表現を窮めたいのか、それとも、情報の構造を探りたいのか、といった、単なる好き嫌い、個人の嗜好によるものなのだろうと思う。そして、筆者は、色や形の魅力には抗いがたいけれども、どちらにより関心があるかといえば後者なのだ。

筆者は、「概念と、情報と、現れ」は、いずれかが先立つことはなく、互いに影響し合い、この世界を成立させているように感じている(★6)。 概念は情報の構造を定義し、構造化された情報の現れは実体となる。視覚表現は、その表れの一形態であるかのように、感じている。

だから、我々の目をとらえる視覚表現は、この世界の成立に由来する、構造化された情報の「自発的な」現れであることが望ましいような気がしている。
デザイナーの計画(デザイン)が視覚表現を再定義する行為となり、表現が概念や情報と隔てられた表層にとどまるならば、その意図的な介入は、情報の現れの自発性を妨げることになりはしないか。色や形を扱うとき、いつも、そんな「くだらない」危惧をおぼえてしまう。
デザイナー自身が、変化し続ける構造を持つ、「構造化された情報の『現れた結果』」であるから、デザイナーの意図する結果も、「構造化された情報の『現れた結果』」なのかもしれないのに。

いずれ計算機は、より迅速に、より多彩に、視覚的な再定義の結果(★7)を吐き出すようになる。
そのときヒトが計算機よりも優位性を発揮できるものがあるとすれば、それは、「この世界の成立を知ろうとする試み」ではないかと思うのだ。

<次回へ続く>

★1「ライル島の彼方」第6回 「はたらく」ということ ~私が会社をやめた理由(2)~

★2「Nostalgia '97」の企画経緯については、過去の連載、日経IT Pro「Webプランニングから始めよう!」(筆者単独執筆)参照。 第5回「セルフ・プロデュースによる,Webサイトを作ろう!(2006年11月16日掲載)」
素材の一例「Re-incarnation」(Photoshop leによるイラスト)

★13 Direct Animationは、後に、Direct Xに基づく技術 Chromeffectsへと進化した。 「次世代のDirectAnimation技術、Chromeffects(1998年9月23日、筆者粗訳)」

★4 当時の検索エンジンは、Yahoo!、Goo、Infoseek、NTT Directory。

★5 このとき多用していた筆者の自作曲「The Green Bells(1984年作)」は、後にアルバムに収録している。「Out of Imagery

★6 連載「データ・デザインの地平」第44回「新しい世界、新しいデザイン」

★7(本注釈は、2015/6/23追加) Googleが公開した、人工神経ネットワークによる、サイケデリックでシュールレアリスティックな絵画のニュース


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