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脳活動センシングの進化が、作曲を変える ~メルマガ連載記事の転載 (2011年6月13日配信分) ~

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この記事は、メルマガ「デジタル・クリエイターズ」に月1回連載中の「データ・デザインの地平」からの転載です。今月で10回目になりますので、まとめて載せています。

連載「データ・デザインの地平」
第7回 「
脳活動センシングの進化が、作曲を変える」 (2011年6月13日配信分)

ヒトをパラメータとする、曲の生成

いまや、BMI(ブレーン・マシン・インターフェース)の進化には目覚ましいものがあります。
脳波などを利用した感情やテキストや絵の出力は、現実味を帯びてきています。音楽についても、同様です。

音やリズムなどのデータベースを構築しておき、取得した脳の神経活動の情報――代表的なところでは「脳波」――に対応するデータを抽出して組み合わせることにより、曲を生成することは可能です。
しかも、生成された曲は、作曲者の心身の状態や置かれた環境を、少なからず表現するものになります。

ところが、この方法は、ヒトに作曲しようという意志がなくとも、曲を生みだします。極論すれば、作曲者は、人間以外の動物でもかまいません。センサから取得された情報を音に変換すればいいのですから、心拍、血圧、呼吸など、物理的変化があって、そのデータを取得できさえすれば、曲は生まれます。

これでは、作曲者は、クリエータではなく、パラメータでしかありません。作られる曲は、作曲者のオリジナルではなく、作曲者とデータベース・エンジニアと変換・出力処理を開発したプログラマとの共同作品です。作曲者の創造性が、協業するエンジニアのそれを超えることはないでしょう。

脳波制御による、曲の生成

では、ヒトの意志による作曲に、BMIを活用することは可能でしょうか。

趣味であれ仕事であれ、作曲をする人は、それぞれ独自の方法を持っています。大まかに分ければ次のようなところではないかと思います。

(1)学習型:既存の音源やパーツを組み合わせる。
(2)知識型:音楽理論の知識があり、それを積み重ねていく。
(3)鼻歌型:メロディーを口ずさみ、演奏しながら、作り込む。
(4)構築型:着想を頭の中でシミュレーションしながらアレンジしていく。
(5)発見型:脳内に完成された楽曲を発見する。発見された楽曲は脳内再生される。

これらのうち、(1)(2)(3)については、作曲者の、脳波を制御する能力向上が鍵となります。
楽器を演奏するように自在且つ繊細に脳波を制御できるなら、曲のイメージに基づいて、音やリズムを選択して組み合わせることもできるでしょう。現在、楽譜や演奏やシーケンスソフトにより定着させている「手」も使う作業は、「思考」のみで代替できるようになります。

脳内再生音楽の走査による、曲の生成

前述の(1)(2)(3)と異なり、(4)(5)の方法を採用している作曲者にとっては、脳内でなされる作業を代替できるかどうかが鍵となります。

(4)では、作曲者の中で作り込まれ、徐々に形を成していく曲を取得して出力する必要があります。BMIシステムは、アレンジのシミュレート中に、作曲者の脳内で再生されている音楽を走査できなければなりません
(5)についても、同様です作曲者の脳内プレイヤーで再生される完成された楽曲を、走査できなければなりません。

脳内再生中の音楽を取得することは可能であっても、精度を高めるとなると容易なことではありません。
そもそも、脳内音楽再生時の活動部位が、すべての人にとって共通かどうかすら分かりません。筆者が、自らの脳を意識してみたところ、右目の横から右頭頂部を通って右耳の後ろ3cmほどの部分にいたる放物線のライン上で、音が鳴っているように感じられました。そこが活動しているのかもしれません。これは、好きな曲を脳内プレイヤーで再生する場合と同じ部位です。皆さんは、どうでしょうか。

さらにいうなら、作曲者の脳内音楽を取得する技術が確立すると、リスナー側の脳での再生も可能になるでしょう。脳から脳への直接伝達が可能となった暁には、記録メディアは不要になります(記録されたものを、さらに表現する「演奏」は、本稿のテーマとは別の問題です)。
また、一般的に、作曲者は楽器を演奏し、指の皮膚や耳からの情報は脳の成長にも影響を及ぼし、それが曲作りも反映されるものです。が、「Brain to Brain」の時代には、楽器演奏の経験を持たない(練習したことがない、ではなく、楽器というものに全く見たことも触れたこともなく、楽器という概念を持たない)作曲者が現れ、身体性を伴わない、全く新しいタイプの音楽が誕生するでしょう。

作曲者による発見を待つ曲の捕捉と出力

これまで述べてきたことは、時間経過に沿って曲の全体像があきらかになるような作曲方法については有効です。

しかしながら、(5)の方法においては、曲の脳内再生が始まれば音楽は時間に沿って流れ出しはするものの、その発見自体は無時間的です。
曲は、作られながら脳内再生されるわけではありません。作曲者が、あらかじめ存在している曲に気付き、これにアクセスすると、自動再生が始まるのです。たとえるなら、インタプリタ方式ではなく、コンパイラ方式です。一般的には、音楽は継次処理的なものと思われがちですが、それはリスナーや(1)~(4)の方法を採用している作曲者にとってであり、(5)の方法を採用している者にとっては、作曲とは同時処理的なものです。

作曲者が音楽を見い出し、自動再生されてはじめて、楽曲は時間のシーケンスを持ちます。作曲者の脳内には、あたかもWindows Media Playerがあって、既に存在しているけれども初めて聴くCDを見つけて、再生するようなものです。聴いて終わっただけでは作曲にはなりませんから、楽譜に書きとめたり、演奏して録音したり、シーケンスソフトで入力するなどの方法により、定着させるわけです。そのような、発見される予定の曲をBMIシステムで捕捉できるなら、記録の手間が省けようというものです。

脳内再生中の音楽の走査ではなく、既に存在する「曲の存在そのもの」を捕捉するための技術進化は、創作活動におけるインスピレーションとはなにか、なぜ作曲者は創作を始める前に創作の結果である全体像を把握しうるのか、という物理的な時間を超える意識の問題を浮き彫りにします。
BMIの進化は、楽曲の「発見」、さらには「発見の仕組み」という、創造性の原点に言及する可能性を秘めているのです。

脳内音声信号出力の標準化における課題

このようなBMIシステムの実現には、出力される脳内音声信号の構造の標準化が必要です。本連載のテーマである「データ・デザイン」の視点から見ると、デバイスの進化以前に、次の3つの課題が解決されなければなりません。

(1) 汎用的なデータベースの構築

脳内再生される音を正確に出力するには、脳内変化に、出力される音が対応していなければなりません。
たとえば、脳内でグランドピアノのC3の八分音符が再生されたならば、その時に生じる脳内変化のデータと、グランドピアノのC3の八分音符を出力するコードが対応していなければなりません。システム化する以上、それは一人の中で対応していればよいわけではなく、大多数の人の中で同じように対応するものでなければなりません。

そうはいっても、100人の作曲者が、グランドピアノのC3の八分音符を脳内で再現したとき、100人全員の脳波に共通する変化が現れるかどうかは不明です。また、どのように優れた作曲者にも、文化的背景の制約があります。馴染みの薄い民族楽器の音を想像することはできても、正確に脳内再生することは不可能です。異文化からインスパイアを受けるクリエーターの存在がその証明です。

音のデータには膨大なプロパティがあり、テキストの音声入力における学習機能のように、作曲者側が、学習させながらデータベースを育てていくことも困難ですから、出力されるデータの構造を統一するには、万人に共通するデータを最大限網羅した、標準化されたデータベースが不可欠です。少なくとも、国境を越えた作曲者同士のコラボレーションが可能になる程度のものは必要です。
さらに数十年先の話をするなら、我々の子孫が生活の場とする宇宙空間の、地球とは異なるリズムもデータベースに登録される必要があります。

(2) データを表現する言語の検討

表現者の専門が異なれば、同じ言葉であっても意味が異なるという現実を、我々は福島原発問題で目にしました。それと同じように、データ・デザインにおいても、専門分野と言語の問題は非常に重要なのです。

脳内再生音楽のデータは、生体のデータでしょうか、それとも、音楽のデータでしょうか。値は、電圧でしょうか、周波数でしょうか。そして、それはどのような形式で出力されるべきでしょうか。生物学、工学、芸術といった、閉じられた分野の中でのみ技術が進化すると、同一のデータであっても、それぞれ異なる言語によって定義されることになります。分野をまたいだ議論が必要であることは言うまでもありません。

(3) 著作権問題の統一

BMIシステムを使う作曲者が増えると、同じシステムを用いた結果として、類似の曲が増えてしまいます。

また、BMIシステムにより作曲の作業効率が向上すると、短期間に発表される曲が増え、良い曲の発見競争が始まります。
先に述べたように、より好ましい主題、より適切な音とリズムの組み合わせを持つ楽曲は、既に存在しており、作曲者に見い出されるのを待っています。数学や物理学と同じように、作曲の本質は「発見」です。時代や国を超え、先に発見して発表した者勝ちになるでしょう。

そういった問題が浮上するよりも先に、著作権のあり方や署名の記録方法の標準化がもとめられます。

今回もずいぶん荒唐無稽なことを書いているように思われるかもしれません。が、一度デザインされたデータは、長きにわたって蓄積され利用されます。データ・デザインには、広く遠いまなざしが必要なのです。

≪ 第1回 UXデザインは、どこへ向かうのか? (2010/12/20)
≪ 第2回 そのデータは誰のもの? (2011/01/24)
≪ 第3回 子ノード化する脳 (2011/02/20)
≪ 第4回 多重CRUDの脅威(2011/03/14)
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≪ 第6回 永代使用ポータル、クラウドがつなぐ生者と死者の世界(2011/05/16)

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