IT業界につとめる「雑貨屋(なんでも屋)」が、業界の事、情報セキュリティの事、趣味や日々雑感を綴っていきます。お暇な方はおつきあい下さい。

057.【自分の事】過去につきあった機器について

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佐藤@IT雑貨屋です。
大変ご無沙汰していました。
前回記事を書いたのが昨年の7月6日なので、半年以上、こちらのブログを放置していた事になります。

この半年の間ですが、様々な事がありました。

私自身の生活の大きな変化としては、やはり前回の記事で書きましたが「労働者派遣法改正」でしょうか。
その法案が成立した関係で、それまで契約していた会社から転籍となり、別の会社へ移動する事となりました。

まあこれで私自身の意志とは関係なく、新たな職歴が一つ追加になってしまいまして、ただでさえ多い転職歴がまた一つ増えてしまいました。

この事については、近く別の機会に記事として書いてみたいと思いますが、思い返せば私がこの業界(IT業界)に入ってから、早いもので三十年です。

転職歴は重ねても、私はこの業界で仕事を続けてきました。
一時期はかかりつけの医者からも「仕事を変えた方が良いですよ」とも言われましたが、この業界という事だけは拘りつづけて仕事をしてきたのです。

という事で今回は、この仕事に関わる切っ掛けとなった機器や、扱ってきた様々な機器に関して少し当時を振り返りながら記事にしてみたいと思います。

お時間のある方はおつきあい頂ければ幸いです。

■NEC PC―8001
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 私には六歳年上の兄がいます。
 兄はアマチュア無線を趣味にしていて、電気的な知識もあり、私が中学生になった頃(1979年前後)には良く連れられ秋葉原へと行っていました。
当時の秋葉原には「システムイン・秋葉原」という、まあNECのショールームがあって、そこでは受付で名前を記入すると、パーソナル・コンピューターを自由にいじる事が出来たのです。
 この当時、中学校でもクラブ活動でパソコンを購入している先輩などもいて、その先輩はプログラムを作って様々な事をしていましたが、僕はよく「プログラム」という事を理解出来ませんでした。でも月に何回か、兄に連れられてパソコンを直に触る事が出来る機会を得て、この「プログラム」という事を少し理解できたのは、当時、NECで新商品として販売され始めた「PC-8001」というパソコンに触れてからでした。
 本当は買えればよかったのですが、このパソコンは本体価格が「168,000円」で、セットで購入すると20万円を超える、まさに「高嶺の花」であり、おいそれと親に買ってくれとは言えないものだったのです。
 スペックは8ビットCPUでクロックは4MHz。RAMは16KByteと今のスマホと比較しても桁違いの低スペックでしたが、それでも当時、「N88-BASIC」が標準搭載され、電源を入れてすぐにBASICでプログラムを入力できると言うのは驚きでした。

 この「NECシステムイン・秋葉原」での経験が、私の人生にこれだけの影響を与えるという事は、当時考えもしませんでしたが、先進性の技術に驚くとともに、新しい技術が開花しつつある事を、まだ中学生の私に実感させてくれたパソコンだったのです。

■カシオ製 FX―602P
CASIO_FX-602P_Programmable_Calculator.png

 そんな私が進学した高校は工業高校でした。
 当時の工業高校は、まあ「ビーパップ・ハイスクール」というマンガで書かれている様な状況でしたが、私はやはり電気関係の仕事をしたいと考えた事から、普通科ではなく工業高校を志望しました。
 進学した高校では「電気科」に「強電コース」と「弱電コース」があり、強電コースでは主に電気工事関係を主体として学びますが、弱電コースでは主に情報機器のハードウエアについて学ぶ事が出来るという事だったので入学を決めたのです。
 工業高校では授業で関数電卓を用いるのですが、そこで私は当時「プログラムが出来る」というふれこみのあった「プログラム電卓」で、カシオから発売されていた「FX-602P」を親にお願いして購入して貰いました。確か値段は三万円ほどしたと思います。
 表向きは「授業で使用する」という理由でしたが、実は当時、この電卓で様々なゲームをプログラムする事で遊ぶ事が出来るという事を兄から聞いていたので購入。学校から帰ると夜中まで本に書かれているプログラムを打ち込み、ゲームをしていた記憶があります。

 いまから考えると、ゲームとは言っても12桁の液晶表示なので、とてもチープなものでしたが、プログラムの基本的な考え方を学んだ機器だと思います。

■NEC PC-2001
PC2001.gif

 高校では二年生の時にコースが分かれ、私は当初の希望通り弱電コースに進み、正式にプログラミングを含めた情報技術の学習を始めていました。
 そうなるとどうしてもパソコンが欲しくなったのですが、高校生の私は当時「ブラスバンド部」に所属していたので、アルバイトは年末年始の限られた期間しかできず、その少ないバイト代で購入したのがNECの「PC-2001」という、ハンドヘルドPCというものでした。価格は58,000円。当時としては大枚を叩いて購入したものです。
 この機器は上位機種の「PC-8001」等とリンクが取れるという勝れもので、小型ながらもN88-BASICを使用する事が出来たりと、本格的なパソコンに近い機能を持ち合わせていました。
 この機器では「N88-BASIC」をパソコン並みに利用できたので、先の「プログラム電卓」よりも、より一歩深くプログラムを学ぶ事が出来ましたね。
 高校三年生になると、プログラミングの授業もあったのですが、この授業は先生が二名、生徒のプログラムチェックに掛かり切りになる事から、授業中は教室の出入りは自由で、学校を抜け出してもばれないという状況だったことから、当時の私は知り合いと学校を抜け出し、近所の焼きそば屋に入り浸ったりしていました。
 しかしそれが元で二学期の終わりに職員室に呼び出され「佐藤、お前二学期のプログラムが一本も通していないよな。このままでは卒業させないからな」と先生から叱られてしまい、三学期前の冬休みに12本のプログラムを作成(言語はFORTRANでしたが)、その動作確認をこの「PC-2001」で行いました。
 考えてみれば「言語よりもアルゴリズム」という事もこれで学ぶ事が出来ました。なにせプログラムの課題式をN88-BASICで作成し、動作確認の後、それをFORTRANに書き換えていたのですからね。
 そして三学期になってから12本のプログラムを一気に通したところ、なんとクラスで五番目という速さで課題を終了。これはつまり如何に二学期に授業をサボっていたのかを先生に知らしめてしまう結果となりましたが、当時の担任はただ苦笑いをして見逃してくれもしました。

■番外編:NEAC2200シリーズ
NEAC2200.jpg 私が高校に入学した当初、高校にはパーソナルPCは「PC-8801」というものが数台あっただけで、授業でも多少触るという事だけでした。
 プログラムの授業で利用していたコンピューターは「NEAC-2200シリーズ」という、オール・トランジスタで出来ていたでかい機器で、教室1つ分のスペースを占用し、その部屋は常に空調が効いた場所でした。
 夏の暑い日には気持ち良いくらい、空調が効いているんですよ、これが。
 またプログラムもディスプレイとキーボードで入力するというものではなく、プログラム1行をカード1枚にパンチ(穴あけ)して、そのカードを読み込ませ、出力結果はプリンタで連続帳票に出力して確認するというものでした。
 当時記憶しているのは「O(オー)」と「0(ゼロ)」がカードに印字された文字では見分けがつかず、デバッグに苦労したという事。またハードディスクというものもあったのですが、それは数キロの重さのドラムというもので、そこには教師が「競馬予測プログラム」を入れてましたよ。

まあ今から考えればもの凄い時代だったんですよね。
若い世代の人にこの経験を話しても、理解されないのでは無いかと思ったりもします。

以上、学生時代に私が関係した機器についてつらつらと書いてみましたが、いかがだったでしょうか?

次回もこの続きを書いてみたいと思いますので、よろしくお願い致します。

ここまで読んで頂き、ありがとうございまず。
IT雑貨屋をこれからもよろしくお願い致します。

【IT雑貨屋―ホームページ】
http://www.itzakkaya.com/

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