ウノウの山田さんのブログに、以下のような議論が載っていました。
先日、立教大学MBA主催のパネルディスカッションに呼んでいただいたのですが、そこで、なかなか起業家が生まれない日本の現状についての問いがあり、他のパネラーと僕が教育が変わらないといけない、という話をしたところ、リナックスカフェの平川さんが「起業家はアノマリー(突然変異)なのであって出現する確率は変わらない、起業家はよく教育に関わりたがるが、それは思い上がりである」という主張をされていました。僕はそれを聞いて少し考え込んでしまいました。
コメントしたくなったのですが、コメントというよりは同じ問題提起に対する自分の見解を勝手に長々と述べる内容になりそうなので、トラックバックしてエントリにしたいと思います。
「起業家を増やすべきだ」という議論をするときには、「a) ポテンシャル起業家を増やすべきだ」という議論と、「b) ポテンシャル起業家から、起業家になる人を増やすべきだ」という二つの議論がありえると思います。
平川さんが言及されているように、起業家が「教育」に関わりたがるのはおそらく事実です(起業家で飲んだりすると、最後は教育の話になることが多い)。
山田さんが書かれているパネルの議論の流れがわからないので、平川さんがおっしゃる「教育」についても、a) b) どちらについて言及しているのかわかりませんが、私は「教育」はa) にも b)にも少なからず有効なのではないかと考えています。
a) については、もし議論するとすると、そもそも起業するかもしれないというポテンシャル自体を、教育によって作ることができるかどうかということになると思うのですが、私は作り出せると思います。
私は米国で、小学校2年生まで米国人としての教育を受けました。米国で育ったことは、あなたが起業したことと関連していますか?という質問を受けると、日本人の私は、なんとなくそう思いたくない気持ちから「関係ない」と言ってしまいがちなのですが、白状すると、本当はそれなりに強い関連があったのではないかと思います。具体的な事例としては、枚挙に暇が無いのですが、いくつか例を上げるとすれば、たとえば、クラス行動についての意識付けの違いや、労働と金儲けについての意識付けの違いがあげられます。
日本の小学校では、クラス行動をすべし、ということを強く植え付けられますが、米国の小学校生徒には、基本的に様々な選択権が与えられます。クラスメイトと同じ行動をしなければならない、ということを強く明示的に指示されることは、ほとんど無いのではないかと思います。たとえば、国語の授業を途中で抜けてコンピューターの授業を受けるようなこともありましたし、各種授業は、個々の学力に応じてグループ分けされ、グループ毎に全く異なる学習をすることもしばしばでした。結果として私は、一般的な日本人よりも、他人と違う行動を選択することや、他人と違う信条を持つことに対して恐れが小さいと思います。
また、たとえば、労働と金儲けについての意識も、早くから植え付けられます。これは、あるVCの方から指摘されてはじめて意識したのですが、米国人の子供は、ガレージセール(家族が、引っ越し等の際に、不要な物を近所の人たちに売りつける市場を開く)などの形で、物を売るということに早くから触れます。どういう由来なのかは知りませんが、ガレージセールを実施するときには、その家の子供が、レモネードを作って来場者に売るということが定番の仕事になっています。レモネードの材料を買って、屋台?を作るところからはじめます。子供なので、基本的に皆愛嬌で買ってあげるのですが、子供なりに工夫して、客に呼びかけたり、商売の基本を学びます。
能力のある人がポテンシャル起業家になるかならないかを決定する要因の中では、人と違うことをすることに抵抗を感じるか感じないかということと、自分で物を人に売ることをイメージできるかどうかということは比較的大きな要因の一つだと思います。これらの例は唯一解でも不偏解でも、日本でもその通りにすべきだという主張でもなく、実例と可能性の一つに過ぎませんが、少なくともこうした例を見る限り、a)は教育で左右できる内容だと個人的には思います。
b) については、こちらはa) ほど強い直接の相関は無いとしても、私は教育によって増やせるはずだと考えます。b) を左右する一番大きな要因は外部環境です。外部環境の中には、その人が持っている能力と市場の熟成度のタイミングなど、所与の要因も含まれますが、社会が起業家をサポートする環境や、豊富な起業家成功事例といった、意図して左右することのできる要因も含まれます。
創業者と経営者は本質的に違う、ということが良く言われますが、現状の日本の環境では、プロフェッショナルな「経営者」層の不足から、米国のVCのようにベンチャー企業にプロフェッショナルCEOを送り込むような例は極めて少なく、「創業者」と「経営者」は同一の人物が担わなければならないケース、すなわち、創業者が数多くの失敗の中から叩き上げの経験を積んで経営者を兼ねるケースがほとんどでは無いかと思います。この状況は、社会の中で限られた集団である起業家層のシリアル・アントレプレナー化を妨げたり、潜在的に成功可能な起業家を失敗させたりする要因になっており、結果として、b) を後押しする成功事例の創造を減少させているのではないかと思います。
本来プロフェッショナルの「経営者」は教育と社会背景によって育成可能な存在だと思います。「社会背景」には資本と経営の分離と経営者層の雇用流動性上昇などの、教育と関係ない要素も含まれますが、MBAのような専門「教育」も重要な要素であり、教育が整えばこそ、流動化するだけの人材層が生じ、社会背景が整うという一面も少なからずあると思います。
これらのプロフェッショナル「経営者」層を創造することで、起業家をサポートする環境や、支援する環境を整えれば、起業家が成功する確率も上昇するでしょうし、自分をサポートしてくれる環境と、それによって成功した起業成功事例を見て、ポテンシャル起業家が起業に踏み切る確率も上昇するのではないかと思います。
以上のような考えから、私は「起業家は突然変異であり、出現頻度を操作することは不可能である」とは思いません。教育と、社会によってある程度出現頻度に影響を与えることは可能だと思います。
ただし、それをすることがわが国にとって良いことなのかどうかということについては、十分な確信があるわけではありません。新しい産業を生み出す担い手たる起業家が社会構造的に生産されることが、国力の増加に繋がるだろうと私は直感し、信じていますが、特にa) で述べたような、日本人の集団性/均一性に関しては、日本の国力の源泉であるという考え方もあるので、議論される必要があると思います。

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