「仕事って、労働をしてその対価として給与をもらうことでしょ?」そんなとらえ方で仕事をしていると、どうしても腑に落ちないことがよくありませんか? このブログでは、そんなあなたの「?」を腑に落とす1つの考え方をご提供します。

人は正当な評価を欲しがっているのか?

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よくある会社に対する不満として

  • 自分は正当に評価されていない
  • そもそも正当な評価制度がない
  • そもそも会社が、貢献を正当に評価しようという気がない

というのがあると思います。

私もかつてサラリーマン時代にはそんなことを思っていましたが、これは実際のところどうなんでしょうか。

綿密なMBOを元にした評価制度とか、360度評価とかいろいろ試みはなされていますが、人が人をマネジメントする上でこれらの取り組みを「ちゃんとやればうまく回る」とは到底思えないですね。

それは、チームでの貢献は「なんとなく」というのが大きく、同じことを同じ人がやっていても時と場合によっては貢献度が低くなることがあるくらい、かなり曖昧なものだからだと思います。

また、一方で人は他人から厳格に評価されるのを恐れています。というか、自分が心底評価(appreciate)している人以外から評価されたくないと思っているもので、それを無理矢理制度化すると、なんだか双方にわだかまりがうまれてしまいます。

しかし「じゃあ他にどうするのか?これ以外の公平な評価制度を君は作れるのか?」と言われると、確かに「まあそういわれると無理なんですが」ということで納得するしかない。

つまり管理職と部下の双方ともに、納得するための制度になっていたり。

一番の問題は、そのわだかまりを抱えた評価制度の結果によって、利益の配分(=報酬)まで決定してしまうことです。そうなると公平で厳格な評価制度が仇となり、みながポイントゲッターになってしまいます。

つまり本当にチームのために貢献しているのかとか、顧客満足のために仕事しているのかはそっちのけになり、評価制度のポイントをいかに稼ぐかに腐心するようになってしまう。

そういうのは評価制度の大いなる副作用だと思います。

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ただ、とはいえ自分では自分がどれだけ組織に貢献しているのかよく分からないというのも事実です。

たぶん、いちばん理想なのは管理職から「こういうところはうまく行ってるね。このあたりはもう一つかな。目に見えないところで頑張ってるところはあるかもしれないが、私にはそう見える。」くらいに言われ、報酬は揺れがあった方がいいのでしょう。

今はどうかわからないですが、少し前のカヤックさんは報酬の一部をサイコロの目で決めているということでした。これはつまり人が人を評価することで生じる「わだかまり」「もやもや」を排する効果を狙っている気がします。

あるいは、報酬・待遇というものは自分の力では容易にコントロールできない部分があり、コントロールできない事実を受け容れ、その中でできる努力を考えよ、という話なのかもしれません。

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