オルタナティブ・ブログ > バブル世代もクラウドへGO! >

悩める中小企業経営者に向けて、ITと経営をいっしょに食べてやさしく噛みくだく試み

2050年の日本を活性化させるには?

»

日本の人口は2100年には今の半分以下になるという統計予測が国土交通省から発表されており、最近はニュースやメディアでも取り上げられているため知っている方も多いかと思います。

ライフスタイル・生活専門委員会 第8回 資料2-1-2 P.19 PDFファイルです。
※人口予測は、発表資料によって多少の違いはありますが、概ね4500万〜6000万くらいです。


その頃に生きている可能性はまずありませんが、2050年というレベルなら少なくともこのブログを読んでいただいている方の8割以上はまず生きていると思います。
つまり私たちの未来に直接関係する話です。

先の資料によれば、人口は今より3割くらい少なく、65歳の高齢者の比率は半分近くにまで上がります。そのときどういう社会になるのか想像してみているのですが、自分の住んでいる団地がまさしくそういう状態だったということを先日知りました。

1_2私の住んでいる団地は千葉県の戦後開拓が進んだ地域にあり、昭和40年前後に公団の団地が次々に造成されたところです。そこで団地の人口統計を調査した資料が先日回ってきて、それを見るとうちの団地は半分以上が60歳以上の人でした。
東京へ直結する路線とは微妙に離れているため、都内のビジネスマンが少ないことと、団地の造成当初に入居したみなさんがそのまま住み続けている率が高い(ただし子世代はとっくに出ていっている)のがその理由かなと思います。

団地の建物自体は、10年前くらいからリニューアルプロジェクトが進んでいて、ほぼ建て替えが終わっています。公団はURと名を変えていますが、つまりはそこに今は入居してます。

何が言いたいかというと、人の姿を見ないのです。

私自身が、都内勤務で出張続きで、もっとも団地にいない人間の一人ではあるのですが、当初団地で人を見ないのは、きっと私と同じような人が多いからだとばかり思っていました。

ところが人口統計ではお年寄りが圧倒的。それなのに団地内でお年寄りの姿を見ないのが不思議です。
建て替わった団地は、概ねバリアフリー仕様、エレベーターはもちろん家の中は車椅子も通れる幅と引き戸中心で設計され、玄関、トイレ、風呂など主要な箇所には手すりもついています。
さらにエレベータの側にはベンチがあって休めるようになっていて、各棟の1階には屋根付きのベンチスペースがあって、URですから十分な緑地と小道なども備えています。

設計者が高齢者対策やコミュニティ対策に腐心した跡があちこちに見られるのです。

引っ越しする前の団地は、そこから数キロ離れた場所で、都心へ直結の路線の駅の側でした。今の団地と同時期に開発されたのですが、建て替えが進まないため築40年を超える建物でエレベーターもありません。
それでも今よりはるかにお年寄りの姿を見たし、団地内の道端やあちこちで談笑する光景を見ることができました。

ここで、なんという名前の法則か忘れましたが、コミュニケーションについての法則を思い出しました。
「コミュニケーションが増大するのは、与えられる情報量が少なすぎるか多すぎるかどちらかのときで、ちょうどいい場合には最も少なくなる」といったものですが(情報エントロピーの法則に関連する何かだったかな?)うちの団地って、この「ちょうどいい状態」ではないかと思いました。
正確には、与えられる情報の多少というよりも発生する情報(不便という声)の多少だったり、便利な場所へ出てくる行動力なのですが。

確かに、前の団地に比べて便利です。高齢者のいない我が家でもそう感じるのですから、お年寄りによっては階段を登らずに部屋まで行けて、車椅子でもトイレや風呂に行ける今の環境は前の団地より格段にいいでしょう。

しかし、ちょうどいいがために、人はコミュニケーションする理由を失ってしまいます。
ぬるま湯ではみんな気持よすぎて会話がおきない。家からも出なくなります。

矛盾っぽいのですが、人はコミュニケーションが活性化すると行動意欲が起き、身体も活性化する傾向がありますが、身体に快適な環境はコミュニケーションを起こさせなくします。
その昔、夏の暑さが縁側や打ち水した路地でのコミュニケーションを活性化させたように、ある程度の不便さが却って心身を健康に保つ秘訣にもなります。

人口の半分以上が高齢者なのに、街中で全然高齢者の姿を見ないバリアフリーのこの団地は高齢者対策の住宅としては成功とは言えないのではないかと思ってしまいます。
もちろんネットを通じてコミュニケーションするという方法もありますが、その様子はありません。

ネット上でも大企業の社員よりベンチャーの社員、それよりNPOの人達のほうが議論が活性化します。もちろん気質的な違いもあるのでしょうが、ある程度の不自由さや渇望感があるからこそ、人と繋がり、人を頼り頼られ、自分の生きる意義をより深く見出すのではないでしょうか。
そして意義を感じるからこそ、行動が生まれ、行動することによって、心身の健康が保たれます。

そもそもは、チームでのITコミュニケーションという自分の仕事に関わるところからこの問題を考えてみたのですが、そこに行き着く前に、ハードだけでの限界を見てしまった気がします。

不便より便利がいいし、歩くのも困難な方がエレベーターもない住宅に住むことがいいとは思えませんが、ハードではなくソフトも事前に十分に考慮してこれからの住宅コミュニティは考えるべきではないかなと思います。

ということで次はITコミュニケーションを考えてみます。

Comment(0)