50歳を目前にして、自分のやりたいことをやろうとプロの作家を目指す無茶な男のブログ。"ダメ人間"を自認する筆者が、いわゆる"成功哲学"に対して感じるところの違和感を書いていきます。成功を目指す人はこれと逆をやれば成功するはずだし、目指さない人は今の自分でいいんだと安心する、そんなブログを目指しています。

おかげさまで"らしく"いくことにした

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和室にカーペットを敷いたので早速裸で転げ回った嚢袋堂主人です。

ちなみに裸になるのが好きなわけではなく、宴会でも一度も裸になったことはない。

 

て、以前"ビジネスストーリー作家"(長いので、以下BSWと略す)で行くんだ"と決めた。

HPをリニューアルしたり、小冊子を作ったり、本の原稿を書いたり、営業活動にもいそしんでいる。

このBSWという肩書きはおおむね好評だ。会う人、会う人、「もうそれがやりたければそれでやりなさい」という半分あきらめた感じで賛成してくれるのだが、僕の姿勢にはどうも問題を感じているというのだ。

ある人には「自分を知らないっていうのは悲しいことだよね」と言われ、この表現にはちょっと半ギレして場を凍らせかけたのだが(すぐに和解した)、彼の言うことももっともだと思った。

"自分らしく"ない、ということらしいのだ。

 

は、何が僕らしいのか?と問えば、だいたいみんな失礼なことを言う。

いじけた感じがいいとか、斜にかまえた感じがいいとか、のたうちまわっているのがいいとか、親しい人たちはそんなことばかり言うのである。

僕自身は、理念とやる気と素直な心と世の中への貢献で道を開いていきたいのだが、「そういう似合わないことはやめろ」とみながとめるのである。

とめるための極端な表現がさきほどの「自分を知らないっていうのは悲しい」ということなのだが、彼も普通に言っても通じないと思ったのだろう――とシラフである今は思う。

ヨメに至っては、「そもそも仕事が嫌いなくせに世のため人のためがんばろうなんてことを書いてどうするんだ」と、実に的を射たことを言う。

そこまで言われたら、考えざるを得ない。

 

かし、いじけて、斜に構えて、のたうちまわっている自分を全開で表現したら、そんな読者ばかりを引き寄せるのではないか心配だ。

その旨、周囲に漏らすと、そうではないという。

いじけて、斜に構えて、のたうちまわっていても何とかなるということが伝われば感動を呼ぶ、のだという(どんな感動かと思うが・・・)。そうすれば、素晴らしい読者も集まる(かもしれない)と言うのだ。

たしかに、定職も持たず、酒癖も悪く、すぐに女を殴り、しかもその女には自分の夢のために借金をしているという西村賢太がうける時代だ。あながち間違いではないと思うが、しかし西村賢太に比べたら僕は個性が弱すぎる気もする。

西村賢太の読者が西村賢太みたいな人ばかりということはありえないから(あったらこわい・・・)、変な読者を惹きつけるという心配はないのかもしれない。第一、自分みたいな人間を避けたいというのも間違っている気もする。

 

だ、もう一つ気になるのが、そんな人間の書いているものを読む人がいるのかということだ。

それについても明確に答えてもらった。

「そもそも万人受けしようと思っているからいけない。100人に一人しか支持者がいなくても、全国で100万人もいる。そこを深掘りしていかなきゃ」

さすが、リクルート出身のコンサルタントの意見だ。内容的にももっともだ。さらにこうたたみかけてくる。

「俺は毎日1分だけだけど、それでも毎日嚢袋堂さんのことを考えてるんだから、間違いないって」

うーむ。ありがとうございますm(_ _)m

ということで、帰宅してから「万人受けはあきらめた」とヨメに告げたところ、さすがはヨメである。

ようやく自分が分かってきたようね

みんなと同じようなことを言う・・・。

 

いうことで、

自分らしいことを書き、万人受けは狙わず、
理解してくれる100万人に向けて深掘りしていく

という方向で、来年、いや今からがんばることにする。

 

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