50歳を目前にして、自分のやりたいことをやろうとプロの作家を目指す無茶な男のブログ。"ダメ人間"を自認する筆者が、いわゆる"成功哲学"に対して感じるところの違和感を書いていきます。成功を目指す人はこれと逆をやれば成功するはずだし、目指さない人は今の自分でいいんだと安心する、そんなブログを目指しています。

僕はどうやって労力も根性もなしで出版にこぎつけたか

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前回は、以前は遅筆だったと思い込んでいた自分が、出版を契機に速筆になったということを書いた。

世の中のことは、だいたい思わぬきっかけでできるようになるものだ。

僕の出版もそうだった。

 

●この世で大切なのは"思い込み"

 

自分が速筆になれるとは思っていなかった以上に、自分が本を出せるとは思っていなかった。

1冊ぐらい本を出せるといいなと漠然と考えていたが、よくある"死ぬまでに"というやつで、通常は実現しない望みである。

ビジネスに悩んでいたときに、ある人にメルマガを出すことを薦められ、出してみたら文章書けるんだから本を出せばいいと言われ、その人の友人が出版プロデュースをはじめたので企画書を書いてみたらといわれた時点で、風向きが変わりはじめた。

漠然とでも本を出したいと思う人は、まず企画書を書いてみることだ。

"思い込み"は、企画書を書くことで始まる。そして、"思い込み"があれば、世の中なんとかなる。

この世でいちばん大切なことは"思い込み"なのだ。

 

●思い込んだら・・・

 

「思い込んだら試練の道をゆくが男のど根性」だが、ど根性など僕が持ち合わせていないのは、みなさんすでにお気づきのことと思う。

とりあえず書いた企画書を、某かけだし出版プロデューサーに渡したところ、梨のつぶて。それでも電話などしないのが僕。

粘ろうという気持ちは、値切りのときでさえあまりない。ただ、ふだんはニコニコするようにしているが、ムスッとしていると怖い顔になるらしく、先方が勝手にまけてくれることは多い。

電話じゃこの手も使えないし、かといって会いに行くのはめんどくさい。

ほったらかしておいたら、別の方からセミナーに招待された。彼がなぜ僕を招待してくれたのか、いまだに謎なのだが、何はともあれ、そのセミナーが次の転機になった。

お金と時間をマネジメントして成功しようというテーマだったと思う。実はあまりよく憶えていない。ただ、"夢が叶うワーク"というのだけは一生忘れられないものとなった。

これは実に簡単なワークである。

4人ぐらいのグループを作る。

各人がA4用紙1枚に、1年以内で叶えたい夢を書く。1年以内というのがたぶんミソだと思う。大きすぎても叶わないだろうし、小さすぎると発憤しない。

夢は1行ぐらいで書く。そして、その夢が達成したときにどんないいことがあるかを書く。こちらは10行から20行ぐらい。できるだけ具体的なことがいい。

書き終わったら、一人ずつ朗読する。1回目は普通に。2回目は早口で。3回目は全員同時に。4回目は高い声で・・・。など都度読み方を変えて都合10回読む。

僕も参加した。夢は、本を出す。いいことは、出版記念パーティー。場所、参加者、参加社のセリフなど詳細に具体的に書いた。

要するに、1年ぐらいで叶うような夢を具体的に"思い込め"というワークである。

そして、こんなことで、"漠然とした夢"だった出版が、現実になるのだ。

 

●その後の展開

 

僕は、スピリチュアルに関しては興味はあるが半信半疑。ただ、信じている人を批判せずに、その人の話に耳を傾けるというスタンスを取っている。

脳科学なんかも同様。現在のレベルでは所詮仮説にすぎないことを定説のように言う人も多いが、批判せずに話は聞く。NLPやらナポレオン・ヒルやらに対しても同様のスタンスである。批判はしないが、全面的に信じていない。

そんな僕がこんな話を書くのも、別に"思考は現実化する"などということを主張したいわけではなく、事実こういうことが起こり、その事実が面白いと思うだけ。

ねえねえ、聞いてよ、この話というだけのことなのだ。

以下、事実を淡々と書く。

翌日、某バンドのライブに行ったら、そのバンドを応援しているマイミクさんと会う。その方とは初対面。フリーの編集者とのこと。酔った勢いで、SE向けの本の企画があることを話した。年末のことだった。

年が明けて、その方から電話が。翌日、技術評論社に行くが、企画をメールしてくれるなら持っていくとのこと。すぐにメールした。

翌々日、メールがきて、先方が興味を持っているので一緒に会いに行こうとのこと。もちろん二つ返事で会いに行った。

「実は2年前に出したいと思った本の企画とほぼ一緒なんですよ。ところが監修をお願いした方が、大病を患って引退することになって、ペンディングになってたんです。その間、ずっと著者を探していたんですよ」というのが、編集長の話だった。

これで、決まり。

その後、出版企画会議で再考となって目次を考え直したりとか、僕自身がスランプになって何度も脱稿予定日が延びたりなど紆余曲折はあったが、翌年の4月に処女作は無事上梓された。

 

●出す運命だった?

 

結果論で言えば、出版する運命だったんだろう、ということになるかもしれないが、僕は違うと思いたい。

繰り返しになるが、ターニングポイントは企画書を書いたということに尽きるのではないだろうか。

漠然と出版したいではなく、具体的にこんな本を書きたい――それを決定し、それが実現すると思い込んだからこそ、その後の"偶然 "としか思えない一連の出来事につながっていったのだろう。

このブログも、まだプロではない一歩手前という現状を認識しつつも、まるでプロ作家かのように振る舞って書いている。

一応青写真はできているのだ。

プロ作家1年目の来年には、次のようなことが実現することになっている。具体的な金額は書かないが、以下実現すれば"一歩手前"を外すだけの稼ぎになる。

  • 書籍6冊刊行(2ヵ月に一冊)
  • ビジネスストーリー小冊子10冊受注
  • 講演6本(下半期になってから月1回の予定)
  • その他継続中の寄稿および取材

"思い込め"ば何とかなる――はずだ。

 

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