50歳を目前にして、自分のやりたいことをやろうとプロの作家を目指す無茶な男のブログ。"ダメ人間"を自認する筆者が、いわゆる"成功哲学"に対して感じるところの違和感を書いていきます。成功を目指す人はこれと逆をやれば成功するはずだし、目指さない人は今の自分でいいんだと安心する、そんなブログを目指しています。

まあ、非凡じゃないほうがいいよね

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今日は、お題の「就活」について書く。

いつものようにテキトーだけど、でも大切と思うことを書く。

 

●『就活の神さま』の著者乱入

 

前回の記事で話題にした水野俊哉さんの、出版記念トークショーに出かけてきた。参加者の大半が学生、あるいは就職して数年の若い人だったようだ。

後半『就活の神さま』の著者、常見陽平さんが乱入してきた。乱入と言ってもプロレスと同じで、予定調和だ。客層に合わせて呼んだらしい。

たまたま『営業の神様』(仮題)という本を書きかけているので、参考になるかなと思った。会場に持ち込まれた同書を購入し、常見さんのサインをいただいた。

「泣ける本なので、ぜひ読んでください」とのこと。これは、泣ける本では浅田次郎先生の次と思っている僕への挑戦だろうかと思った、というのは冗談。第一、僕のことなんか彼はよく知らないだろう。

まだ、読んではおらず、パラパラと眺めた程度だが、これはいい本だと思う。ちらっと見ただけでも、いい本は伝わってくるものだ。いまやりかけの仕事が一段落したら、必ず読んで勉強させていただく。

流し読みだが、だいたいの展開は分かった。

とにかくやるだけのことはやり、少しずつ成長し、あきらめかけるのだが、最後に本当にいきたい会社に出会い、最終面接までいき、手応えもあったのに不合格。しかし、その後に......。

いい話じゃないですか。ちょっとステレオタイプだけど、それについては僕に批判する資格もつもりもない。

というわけで、就活でお悩みの方は『就活の神さま』を読んでください。

 

●問題なのは、個性尊重教育?

 

「以上。」で終わればきれいだったのだが、歳を取ると若い人へ何か言いたくなるものだ。これは、いま若い人も必ずそうなるから、あきらめてください。

僕だって、いい年をして若い人に繰り言をいうような大人になるまいと20代のときは思っていたわけだから。

といっても説教ではないので、ご安心を。

まあ、どうしても思ってしまうことがあって、それは、今の若い人は個性尊重教育というものにかなり毒されているのではないかということ。

高校までの学校というのは、本来は平凡な人間を作るところである。つまり社会人として必要なリテラシー教育と躾を行い、社会に出ても困らないようにするのが学校の目的なのだ。

ところが戦後、個性尊重だとやり出した。これは、平凡な人間を作ろうという元々の主旨と矛盾するわけである。

それでも、我々が子供のころは、戦前生まれの先生もまだ生き残っていて、個性尊重なんて鼻で笑うような気概のある人たちがまだ教育現場の実権を握っていた。そのおかげで、我々も平凡というものに価値を認めるまっとうな大人になれたわけである。

おまえみたいなことを言うやつがいるから、日本からは非凡な人間が出ないんだという反論は大いに間違っている。

どんなところにも、平凡からはみ出してしまう非凡なやつはいて、それは学校が何をしようが突出してしまうのだ。逆に非凡な人が減るとしたら、それは学校が何でもかんでも認めちゃうのがいけない――と僕は思う。

 

●会社は非凡な人間など求めていない

 

僕は平均的なことや平凡なことが悪いとは思っていない。むしろ価値があると思っている。

普通に普通のことがやれるというのは、実に価値がある。

それは、あまり流行っていない居酒屋にでもいけばすぐに分かることだ。ホスピタリティなんて難しい言葉を使わなくても、普通に普通のことがやれている居酒屋はたいてい流行っている。

どちらかというと悪いのは、自分が非凡な人間だと勘違いすることだ。もっと悪いのは、非凡な人間が求められていると勘違いすることだ。

就職面接で自分の非凡さをアピールする学生が後を絶たないのだが、10年以上も会社で働いていて、自分が平凡きわまりないと思い知っている面接官からすると、本当は非凡でもないのに非凡だとアピールする学生は、正直カチンとくる。

真っ先に落とされるのはこういう学生だ。

では、どういう人を求めているのか?

一緒に働きたいと思う、常識のある人――つまり、平凡な人だ。

ここを勘違いしちゃうと、次々と落とされることになる。

 

●アピールするには?

 

平凡といっても、つまらない人間という意味ではない。

それなりに、そつなく、お世辞もいうし、ユーモアもあり、人に気を遣ったりもする。これこそが平凡な人の良さだ。

非凡な人間はお世辞など言わないし、日常で人を笑わそうなんてしない。お笑い芸人のトップクラスが普段は無口だったりするのはそのためだ。

非凡な人間など会社にいてもらっても、本当に困るんです。

むしろ、平凡な自分をきっちりアピールしよう。

正直でまじめで一生懸命で気遣いもある、そういう自分をアピールしよう。

ただし、自分で「私は正直でまじめで一生懸命で気遣いもあります」などと言っても、信じてはくれない。

エピソードで伝える。これがポイント。

なにゆえに自分はこれほど真面目なのか。それは、父と母が私が5歳のときに離婚し、その後母の手一つで育てられた。母は私を育てるために一生懸命働いた。生活費だけでも大変なのに貯金をして店を出した。経理なども独学で勉強し、店を少しずつ大きくしていった。従業員も増えたのに、今でも朝一番に店に出て、一番遅くまで働いている。そんな母に育てられたのに不真面目なことができようか。

スポーツ用品店で、母に買って欲しいと言えずに毎日見つめていたグローブ。それが、ある日なくなったと思ったら、自分の勉強机の上にあった、などというエピソードがあるとなお良い。

ウソはいけない。面接官にちょっと突っ込まれたらすぐにバレる。ただ、本当に上のような話があるのなら、するべきだ。

平凡なあなたを作っている、あなただけの非凡なエピソード。非凡といっても波瀾万丈でなくていい。あなただけの経験をあなたの言葉で話す。

で、すみません。これが内定をもらうためのたぶん必要条件だと思います。

つまり、これだけでは受からない。

 

●あとは運だろうなあ・・・

 

平凡なあなたでいい。その平凡さを形作っている血の通ったエピソード。それを自分の言葉で語れる。それだけでかなり確率は高くなると思う。必要条件とはいえ、必要条件を満たしていない学生が大半だからだ。

それでも、最後は運だろうなあ。というのは、就職面接において採点表を用意している会社はほとんどないからだ。

えっ、意外? でも、事実そうなんです。僕は、新卒もキャリ採も面接官をしたけれど、そんなもんなかった。

面接官の判断基準は、こいつと一緒に働きたいかどうか、それに尽きる。自分の見込みに確信を持ちたいからこそ、血の通ったエピソードを求めるのだ。

これは社長だって同じ。いや、上に行くほど直感的な気がする。

となると、結局は相性なのだ。

だいたいの会社は3次面接ぐらいまであると思うが、そこまでにずっと相性のいい人が出てきてくれないといけない。

だからこそ、敵が多そうな非凡な人より、平凡な人のほうがいいのだが。

 

●関係ない話で終わります

 

先ほどから、平凡、平凡と言われてカチンと来た人がいたら、間違いなく個性尊重教育に毒されている。

会社に入ってまず憶えることは、お客様は決してあなたのことを非凡だなどと思わないうえ、あなたの個性など尊重してくれないということだ。それは、先輩社員以上にそうなのだ。

若造を出して来やがって、うちをなめてるのか――これが、新入社員が来たときの99%の顧客担当者の気持ちである。

個性尊重教育に毒されていると、最初に感じるのは、お客様への敵意だろう。そんなやつには会社員はつとまらない。

まず平凡でいいと思うこと。これは就活というより、社会人としての第一歩だ。

オンリーワンに咲く花なんて幻想は捨てて、路傍の石に徹しましょう。それができるかどうかを就職面接では試しているのであります。

それでもやっているうちに、どうしても才能があふれ出してしまったら、それに従って生きていけばいいではないか。

 

さて、トークショーが終わってから懇親会で水野さんと話していたときのこと。

僕が、水野さんの本に書いてあった「最後の仕事」という言葉にインスパイアされて、プロ作家を目指すことにしましたと報告したところ、責任を感じますと言われてしまった。

この言葉の意味は、考えると恐ろしいので、考えないようにしている。

 

あっ。しまった。いつの間にかお題でなくなってたみたい・・・。
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