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もしも洞察力があったなら……。

日本の人には抗体がすでにあるという説から感じた温度差(雑感)

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仕事のことを少し離れて、この世の中を苦しめている広義のコロナ禍について週末に思ったことをつぶやきました。つながっている人たちとまぁまぁ対話ができた気もするのでせっかくだからこちらでもシェアをしたいと思います。

さて、

そのウィルスに感染すると、無症状の方もいますが、症状が出ると大変のようです。治療後に「後遺症」ともいわれる症状が残る人もいるとか。そして、重症化すると本当に命に係わる。そう理解しています。

治療法が現在もよくわからない、不明点の多いウィルスだからこそ私たちの間に見えないFUD(恐怖、不確かさ、疑い)が生まれています。様々な専門家がデータに基づく、あるいは基づかない、確からしい見解をマスコミ等を通じて述べられています。言論は自由ですから、これらは大いに結構なことです。しかし、あまりにもたくさんの、異なる確からしい情報を断片的に受け止めると市民は混乱します。私もそうかもしれません。


先日、日本人の多くは抗体をすでに持っている説を書いた記事に出会いました。PCRの検査の量と、陽性比率からそのように考えるのが妥当だという考えがマスコミを通じて伝えられていました。私はこの分野の専門家ではないのでその内容の是非について語る資格はありません。

しかし、この説を支持するには東京とそれ以外の地域(特に地方)の温度差があるなぁと思ったわけです。地方ではそもそも感染者が(まだ)爆増していない故、抗体がすでにあるのだという仮説には乗れません。「自分は今のところ大丈夫だ」と大半の人が思っているのではないでしょうか。いくら頭の良い人たちがデータを見て語っても、人間(それはもう申し訳なくなるほどに愚かな生き物)はそう簡単には納得できないものです。


「コロナは怖いけどここには無い」という意識とどう向き合うか。


一方、このような中でも経済を回すべきであるという考えには大いに賛同しています。経済が回らないと私たちのほとんどが生活できなくなります。イシューは、どのように経済を回すかということになりましょうか。しかし、これまでのやり方の前提である「経済は人が動くことで回る」を同じように期待してもそれはややムリゲー化しているのではないか、とも思うんですね。

もちろん、飲食店や観光業の多く(あるいは工場、工事、建築なども)は物理的に人が動くことで経済が回るものです。そんな中「物理的に人が限定的にしか回れない」のが新しい様式ならば、業界や産業のシフトが急速に進むのではないか、と思うわけですね。

これまでもシフトが起こると、伝統的な仕事はなくなりはしないけどやや縮小の道を辿り、一方で新しい仕事や産業が生まれて発展してきたんですよね、と。

もう語りつくされた感はありますが、今や機能は求めるけどブランドタグのついた高い服を着る必要はないし、かしこまった高い料理を庶民が無理して食べる必要もないし、都市に集中して住む必要もない。だとしたらそれぞれにまず必要な機能は何か、変化する価値観の中で提供すべき新たな付加価値とは何か、というのを懸命に考えて提供するべきだと思うわけです。すでに大手レストランチェーンやアパレルは先手を打ってなんとか踏ん張っているのは皆さんもご存じかと思います、、、が、〈住〉は難問ですね。「我々は都市に住むべきである」という多くの人に潜む、暗黙の価値観はどうしたら変化するのか。


小さなことで恐縮ですが、「三密を避けて思い通りに仕事ができる環境」づくりのために、今働いている会社のサテライトオフィスの試験運用プロジェクトに現在ユーザーとして参加しています。仕方ないこととは思いますが、拠点がそれぞれに都市部に集中しているんです。もっとマイナーな駅とか、都心からもう少し離れた場所に設けたりはしないものでしょうか。(顧客が欲しいのはドリルの穴である風に言えば)私が欲しいのは「三密を避けて思い通りに仕事ができる環境」であって、都市部に行くことではないのです。(テクノロジーよ、ありがとう。)

はたして2年ぶりの更新がこんな内容でよかったのかは不明ですが、またぼちぼち書き続けていこうと思います。よろしくお願いします。

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