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もしも洞察力があったなら……。

私は英語ができません。だから日本語でお願いします。--これまた難しい問題について考えてみた。

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「私は英語ができません。だから日本語でお願いします。」と言われると、ちょっとげんなりすることがあります。日本を停滞させているのは私たちのこうした姿勢があるからではと、飛躍ではありますが、うがった見方さえしてしまうことも。誤解しないでほしいのですが、これは、英語の出来不出来や上手下手の話ではありません。グローバルにコミュニケーションをしようとする姿勢、あるいは、少しでも研さんにつとめようという姿勢の話なのです。

現代人であれば、中学、高校で、人によっては大学でも英語を学ぶ機会に恵まれます。中学の三年間は、義務です。私の勝手な理解ですが、中学校三年間で 学んだ英単語と文法が身についていれば、英語圏での日常生活はほぼ困らないでしょう。もしも会話が苦手なら、筆談だっていいのです。そのくらいの知識はある程度備わっているのではないでしょうか。

TwitterやFacebookにこのことを書いたら、様々な意見を頂戴しました。どれも知見に富んでおり、私自身多くのことを学ぶことができました。いくつかご紹介しましょう。

“玉川さん、同感。でも、たぶん、日本人の多く??が英語をしゃべる理想の姿をネイティブ並みに規定しているのだと思います。だから、相当しゃべれないと、英語でしゃべるなんてとんでもない・・・と自己規定してましうような気がします。ペラペラというコトバがそれを端的に示しています。他のアジア人を見ていると、とんでもない文法でがんがん話していきます。だから、学生には、とにかく、自分の目でアメリカでもアジアでもいいから見て来いと言います。ちょっとした通じる、コミュニケートできるという自信が、本当の会話、対話につながるはずですから。”

大変示唆に富んでいますね。その通りだと思いました。英語を「ペラペラ」に話す必要なんてないんです。大事なのは「言いたいことがあるかどうか」なのです。伝えたいこと、対話したいことがあるから、そのために言葉があるのです。言葉ありきで、英語力ありきで考えてしまうことがあるとしたら、私は違和感を覚えます。

“英語に関心を持てなければ、古文漢文と同じで、使わなくなるし、使えなくなりますよ。”

至極もっともです。でもちょっと待ってください。多くの人が使わない言葉を、私たちはなぜ多くの時間をかけて学ばなければならないのでしょうか。

義務教育
とは、その人の人生においてきっと役に立つだろう基盤としての学問を身につけるのが建前だと理解しています。なぜ私たちは、「私は英語ができません。だから日本語でお願いします。」と言わしめてしまうような教育に甘んじているのでしょうか。本当に使わないままでもいいのでしょうか。

*ちなみに、ここで「英語」としているのは、便宜上であって、「英語はできません。中国語でお願いします。」「僕はサンジオ、イタリア語で」「私はフランス語で」とかバリエーションがあってもいいと思います。念のため。

視点を変えましょう。英語圏、または、それ以外の国の人で日本語をちょっとでも学んだことがある人がいたとしましょう。私の知る限り、大変多くの方が日本人と対面した 時に、「コンニチハ、ハジメマステ、ワタシハxxxデス。ヨロシクオネガイシアス」程度の日本語をしゃべってくるはずだ。そこで、私たちは「おお、日本語、どこで習ったの?」と驚き、「ジツハデスネー・・・」と会話が続くはずなのである。(ま、これ以上話すことのできる方は稀で、後は英語に戻ってしまうのであるが)

それくらい英語で言えるわって?はい。そういう方は結構だと思います。コミュニケーションをしようという意思を感じます。グッドジョブ!

残念ながら、私の考えでは、いくらひらがなカタカナが世界で流行ろうとも、日本語が世界のスタンダードの言葉になることはありません。少なくとも向こう30年はないと断言しちゃいます。
Yunoryo

私たちは、グローバル思考はどこで養うべきなのでしょうか?そう、もうお気づきですね。中学から、英語の授業で養うべきなのです。言葉は、英語は、手段であって目的ではありません。英語の授業では、英語を学ぶのではなく、「相手がだれであっても言いたいことを言える人材を育成する」、そういうグローバル思考を学ぶのだ。こうした目的と価値の昇華を行ってはどうでしょうか。

え?そんなの教えられる人がいない?

そうかもしれません。でもちょっと待ってください。
本当にそうでしょうか。フェイスブックに参加している人の多くは、一人や二人、海外在住の方*や、外国の方と繋がっているとお見受けしています。Train The Trainer(教える人に教える)という言葉があります。率先してこのグローバルなツールを活用している方々がインフルエンサー(影響者)となって、日本の教育の在り方を変えていくことはできないでしょうか。

それではまた。


*中国ではフェイスブックは使えません。つまり一部の国を除きます。

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