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夏目房之介の「で?」

松岡譲『漱石の印税帖 娘婿がみた素顔の文豪』

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松岡譲『漱石の印税帖 娘婿がみた素顔の文豪』(文春文庫 2017年2月)
漱石の長女筆子と結婚した松岡譲さんのエッセイ集。松岡さんの次女である半藤末利子さん(夫は歴史探偵の半藤一利さん、僕の従妹にあたる)から「父にかわって」と添え書きをされて送っていただいた。
松岡さんは、漱石の長女と結婚したため、弟子たちからもあまりよくは思われなかったようだ。とくに、筆子に懸想した親友だった久米正夫から、結婚後に小説で悪意をもって書かれ、そのイメージが広まったらしい。そのあたりの経緯は、戦前のことでもあり、僕はまったく知らないが、そのために子どもが同級生の親から中傷されるということもあったと書かれている。今ではネットなどで起こるような事件がすでに起きていたようだ。
そのせいかどうか知らないが、松岡さんは僕の父の代ではいささかよくは思われなかったのではないか、という記憶がある。親戚づきあいが嫌いな僕は、そうした情報を拒否してきたこともあって、まったくわからないが、何となくの印象ではけしていいようにはいわれていなかったと思う。エッセイの中に、ときおり父・純一も登場するが、実務能力のない世間知らずの父を、松岡さんは苦笑いするような筆致で描かれている。正直、鏡子夫人も含め、夏目家には世間知らずの悪弊があったように思うので、なるほどと思わないではない。
のちにお会いした晩年の筆子さんは、松岡さんが誤解されていることを大変気にしていて、何とか修正したいと思っておられた。その思いは末利子さんにも伝わっている。僕自身は、直接その背景などをまったく知らない世代なので、どちらがどうか、などという判断は棚上げにすべきだろうと思ってきた。
父は、半藤さんご夫婦がいろいろと漱石関係で顔を出すことに、けしていい顔はしなかった。でも、そもそも、だったら自分でやればいいではないか、と僕は思っていた。自分にその気がなく、対処する能力がないのなら、むしろ感謝すべきではないのか、といったこともあった。「国でいえば外務大臣をやってくれてると思えばいいんじゃないの?」と。
今回新宿区の漱石記念館開館においても、僕が一貫して関与しないことにしており、名誉館長などを末利子さんが引き受けられた。ご高齢をおしてのことで、まことに申し訳ない。が、僕は僕のポリシーでお断りしているので、末利子さんには感謝している。役割分担のようなもので、そのようなことは、じつは何回も過去にあった。したがって、僕個人としては半藤さんに感謝こそすれ、含むところなどはまったくない。
この本は、「昭和22年」(1947年)などの日付のついたエッセイが集められている。久しぶりの復刻のようだ。漱石没後の夏目家に親しく出入りした松岡さんの、漱石印税に関する詳細な記録は、今なら社会学などでは貴重な資料の整理であり、文学研究でも重要な観点だろうが、昔はおそらくまったく評価されないお仕事ではなかったかと思う(漱石の印税帖)。また、漱石を巡る贋作についてのエッセイ「贋漱石」も、漱石のイメージが起こす現象の分析にとっては貴重な証言といえる。松岡さんは、大学ではプラグマティズムの哲学を研究していたらしいが、その影響もあるのか、観点が現代的だったかもしれない。
ことに、漱石の末期の弟子たち、芥川、久米、菊池貫らとの交友を描く「二十代の芥川」「回想の久米・菊池」は、今なら近代文学系のやおい好きの方々にはたまらん関係性が子細に描かれていて、興味深い。同時に、かつてはこんな関係性そのものが「文学」であると思われた時代があったのかもしれない、などと思わせる。文章はこなれていて読みやすい。興味のある向きはぜひ一読されるといいと思う。

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