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夏目房之介の「で?」

宮谷一彦『ライク ア ローリング ストーン』(フリースタイル)

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送ってただきました。いやあ、懐かしくも恥ずかしい作品です。

帯の中条省平さんは、解説で絶賛されてます(もっとも、「日本初の本格的「私マンガ」」というタイトルですが、やはり永島慎二がいるという気はしますが)。

また、正確を期すために申し上げておきたいのは、たしかに60年代後半期から70年代半ばにかけて、勃興した「青年劇画」の領域で間違いなくスターだった作家でありますが、微妙に読者年齢による評価の違いはあっただろうということです。呉智英さんは、僕より4歳上の1946年生まれですが、宮谷は「恥ずかしくて読めなかった」といわれたことがあると記憶してます。そして、その気恥ずかしさは僕も共有してました。正直、宮谷の過剰な自意識と、とくにその知的コンプレックスの表出には、いささか苦笑せざるをえないものがありました。

じつは、今回の本の縮小率だとあまり目立たないのですが、まったくさりげなくない形で描きこまれた本のタイトル群など、ちょっと正視できないものが当時はありました。もちろん、僕の場合、そこも惹かれてしまう自分がいるから気恥ずかしいわけですが。中条さんは、1954年生まれで僕より4つ下、呉さんより8歳下です。つまり、『ライクア』が連載された69年、呉さんは23歳、僕は19歳、中条さんは15歳。さすがに大人になりかけていた僕は、やはり恥ずかしくて、じつは宮谷を熱心に読んでいることは、あまり大っぴらに周囲には言ってなかったと思います。だから『東京屠民エレジー』で彼がみせた「成熟」を評価したんだと思います。

そのあたりは、今の研究者などが「当時の若者全般に評価していた」というような読み方をしてしまうと、ちょっと違うと思うので、あえて注釈的に書いておきます。

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