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夏目房之介の「で?」

柳家権太楼師匠が素晴らしかった!

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おととい、COREDO落語会第一回というのに、知り合いの野村麻理さんに誘われて、八卦掌仲間といってきた。プログラムは、

柳家花ん謝   ※金坊の出てくる噺だが、演題忘れた
柳家権太楼  「代書屋」
柳家花緑   「二階ぞめき」
春風亭一之輔 「百川」
柳家権太楼  「富久」

 ごらんの通り、権太楼師匠が二番目とトリをとった。権太楼さんは、以前にも野村さんに誘われて聴いているが、うまい人だった。が、二人目に出てきた彼は、そのときの印象とは違って、まるで枝雀師匠みたいな演じ方で、面白かったが、意外であった。一之輔もうまかったし、花緑も以前聴いたときよりはうまくやっていた。

 が、トリの権太楼師匠の「富久」。これが凄かった。僕も若い頃から数えればそれなりに多くの落語を聴いてきたけど、これほど凄い「富久」は聴いたことがないと思う。おもに音源で聴いた志ん生の「富久」も面白いけど、志ん生のは最後まで笑わせる噺だった。権太楼の「富久」は、途中から主人公の、酒でしくじってばかりいる駄目なタイコの人間そのものを観ているような臨場感がやってきて、その人間の業と人生を感じさせてしまい、最後には恩人の親方を泥棒扱いするにもかかわらず、感情移入させてしまう。正直、周りの仲間もそうだったのだけど、涙ぐんでしまいました。
 この噺は難しい噺なんだと思う。ヘタをすると、語られている主人公を嫌いになってしまいかねない人物造形と構成なのだ。でも、それで泣かせるというのは、ほんとに凄い。酒が飲みたくて、うっかり飲み過ぎて酔っぱらっていってしまうあたりの演じ方も、まるで本人を見るみたいだった。

 生の落語も色々観てきたけど、ここまで感動してしまう噺に出会ったのは、思い出しても円生や談志など数回に過ぎない。ひょっとしたら、かなり奇跡的な幸運で出会った機会だったのかとさえ思ってしまい、だったらせっかくなので記事として残しておこうと思った次第である。いやあ、凄かった。

 ついでに書いておくと、じつは会場にかけつけて、始まる前に少し時間があったので喫煙室に入ったとき、目の前に権太楼師匠がタバコを吸っていたのだ。その時点では彼がその日出演するかどうか知らなかったのだが(何しろごくふつうの洋装だったし)、思わず以前に聴いたときのことを思い出して「面白かったです」と声をかけてしまった(僕の場合、けっこう珍しい行動である)。「昔はけっこう落語を聴いたのですが」というと、「誰ですか? 文楽?」と聞き返してくれて、それから小さん、円生、志ん朝、談志、小三治などの名をあげて会話ができた。
 師匠は、文楽まではまだ客で聴けたが、それ以降は同じ世界に入ってしまったから‥‥と話しながら、でも中から見ると、楽屋から高座に上がる瞬間に志ん朝師匠のオーラがいかにばあっと出ていたかを見られるんですよ、と教えてくれた。そして「今は、そんなの小三治ぐらいだねえ」とつぶやいた。

 ほんの数分だけど、何だかすごくいい話を聞けた気がして、ちょっと興奮して席に戻ったのだった。それだけに、その夜の権太楼師匠の素晴らしい噺に余計感動してしまった。帰り道にも、興奮してずっとその話をしていた。落語好きにとっては、滅多にない幸せな夜でした。権太楼師匠、ありがとうございました。

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