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夏目房之介の「で?」

姫路文学館講演「漱石のこころ、孫のココロ」レジュメ

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2014.10.11(土) 姫路文学館 「夏目漱石展」記念講演 13:30~15:00

 「漱石のこころ、孫のココロ」 夏目房之介

1)漱石と孫の私 略年譜

 祖父漱石 1867(慶応3)年~1916(大正5)年 49歳  父は早稲田の旧名主夏目小兵衛直克(50歳)

  1900~02年ロンドン留学 「神経衰弱」に悩み、帰国後も被害妄想に陥る

父純一 1907(明治40)年(漱石が朝日新聞入社し文筆に専念した年)~99(平成11)年 91歳 

 父は6人中5人目の長男 漱石40歳の子 漱石死去時は9歳

 父誕生の頃から漱石は胃病に悩み、10(明治43)年「修善寺の大患」で「30分ほど」死ぬ

 1926(大正15)年、18歳でベルリン遊学 39(昭和14)年帰国 「高等遊民」を地でゆく

 帰国後は東京フィルハーモニー設立に関わり、第一バイオリンを務める

 孫房之介 1950(昭和25)年~存命中  孫は純一43歳時の長男

  漱石著作権は1946(昭和21)年消滅 印税の恩恵なき時代の中産階級子弟として育つ

漱石『夢十夜』「第三夜」 1908(明治41)年朝日新聞連載 純一誕生の翌年

 6歳の自分の子を背負って歩いてゆく夢。次第に重くなり、預言めいたことを語る子を捨てようと思うが、杉の根の前で子が「お前が俺を殺したのは今からちょうど百年前だね」といわれる。怪談風の一編。
 純一誕生は漱石を喜ばせ、自らフランス語を教えようと試みるほどだったが、一方で漱石の無意識に原罪めいた強迫観念があったのではないかと推測したくなる作品。父親としてのコンプレックスの投影か?

〈そんなわけで戦後、昭和25(1950)年に、長男として僕が生まれる。/のちにわが国独特の戦後大衆文化となるマンガに幼少よりのめりこみ、長じて手塚治虫の死(昭和の終焉)を機にマンガ論を展開することとなる。/その過程で、手塚マンガの成立背景として宝塚のモダニズム、戦前期の大衆社会と中産階級の成立を想定するにいたり、父母らを育んだ時代と接点を見いだすこととあいなった。/近代建設期の漱石、一応成立した近代市民社会の父母、戦後大衆社会の僕。/明治の大知識人としての漱石と、中流趣味階層としての父母、そして戦後の知的大衆としての僕。/歴史と個人、家族の錯綜はまことに珍である。〉夏目房之介『孫が読む漱石』実業之日本社 2006年 p39

2)漱石の『こころ』 

 1914(大正3)年4~8月朝日新聞連載 朝日入社して7年 『三四郎』『それから』『門』三部作の他を連載し、入退院を繰り返す中で書かれた 同年7月第一世界大戦勃発 『硝子戸の中』(15年)に逼塞する自覚

 社会に背を向けて生きている「先生」と、郷里の父母という社会を背負う学生の不思議な関係、学生にすべてを託して自死する(はず)の「先生」の遺書で構成 明治天皇崩御と乃木将軍の殉死に刺激されて自殺

〈その時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、その後に生き残っているのは必竟時勢遅れだという感じが烈(はげ)しく私の胸を打ちました。〉漱石『こころ 坊っちゃん』文春文庫 1996年 p419)

  第一次大戦直後は日本も不況に陥るが、その後の軍需景気、参戦による賠償、中国進出などで、日本は近代化の次の段階へと進む富を手にし、時代も社会も大きく変化してゆく。明治とともに加齢してきた漱石=国家建設を担う知識人にとって、この国家の変化が強く印象されたろうことは想像できる。

 それにしても、文春文庫版『こころ』全270頁中135頁を占める「先生と遺書」のアンバランスは不思議

〈書いているうちに当初の予定よりも長くなってきた上に、志賀直哉が次の連載を断ってきて、その代わりの作品が決まるまで引き延ばさなければならない事情が加わった。〉石原千秋『漱石と三人の読者』講談社 2004年 p209

〈先生の手紙に〈この手紙があなたの手に落ちる頃には、私はもうこの世にはいないでしょう。〉という個所を見つけた主人公[学生 引用者註]は、父親が今日明日にも死のうというときに、錯乱して東京へむかってしまうのである。[略]その結果どうなったのかは一切書かれていない。何しろ、主人公はあわてて列車に飛びのり、ようやく手紙を最初から読み出し、そこから小説は手紙の文面となって、そのまま話が終わっちゃうからだ。つまり、結局のところ、この小説は「先生」の物語であり、彼の人生が明らかになれば、それでよかったのである。[略]多分、漱石自身がそれで手一杯だったか、もはや学生の人生などどうでもよかったのであろう。そう考えると、「名作」といわれるこの小説には、いくつか奇妙な印象が残る。〉前掲『孫が読む漱石』 p204~205

 「先生」の妻、学生とその両親など、前半部で注意深く描写された関係をすべて切り捨てた構成

 にもかかわらず今も異様な迫力とテンションを感じさせる「遺書」部分の面白さ そこに感応した戦前師範学校の「学生」達が戦後教育で「名作」として喧伝した 「先生」と「私(学生)及び「K」(自死した先生の友人)との間にホモセクシュアルな側面の指摘

 →「BL」的な「読み」

 社会や人と積極的には混じり合えないか、コミュニケーション不全を抱えている人間にとっての切迫さ
 ディタッチメントの文学(村上春樹に通じる?) 孤独な知識人から戦後大衆に広がった「気分」

3)孫のココロ

 【図1】高橋留美子『めぞん一刻』(80~87年)5巻(小学館 85年) p64~65

 主人公の大学生が教育実習中『こころ』を授業で取り上げている

〈下宿屋で三角関係が発生し、「私」なる人物が友人Kの先を越して、で、結果的にK君が自殺してしまうという・・・・〉という要約=「先生」の遺書の話のみ 「三角関係」=『めぞん』での主人公と未亡人の管理人と亡夫

 【図2】同上 p76~77 「人間のエゴイズム」 内容を勝手に読み替える女高生(管理人さんとの三角関係

 漱石『こころ』には登場しない女性の「こころ」がユーモラスに描かれる現代マンガ
 この距離感から読むと、いかにも『こころ』は女性を省いた世界観で成り立っている
 にもかかわらず、百年後の現在も漱石の「名作」として読者を獲得する

 女性が男性同士の性愛関係を妄想して「BL」「やおい」を描く時代、三角関係は性差の問題ではない?

 孫の私は、漱石文学に、父が漱石から受けたコンプレックス(あるいは心理外傷)と、さらにそれを幾分か受け継いだ自分自身のコンプレックス(私と息子との関係)を投影して読んでしまう

 一言でいえば、明治の知識人→昭和前期の高等遊民→戦後の知的大衆の系譜に成立した「ジコチュー」の遺伝

 趣味や芸術において世間と交わらないコミュニケーション不全の精神的遺伝は、現在ではより大衆化した現象

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