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夏目房之介の「で?」

バリ報告2014 その2

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というわけで、ビンタンパリの前に広がる水田風景の右側に目をやると、まさに大きなホテルを建設中です。僕の泊まったコテージのすぐ隣で工事をしてるので(しかも夜中までけっこう働いてます。ほとんどがジャワからきた労働者だそうです)、まあ色々と音も聞こえます。

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それでも、この宿の見晴らしはまだ開けていて、夕日は美しい。僕は、何も考えずにただぼーっと日が暮れていくのを眺めるのが大好きです。かなりの急坂を登らねばこられない場所にあるので、自転車でしか移動しない僕は、日に一回ウブド中央に行って帰るくらい。したがって、宿に帰ると読書くらいしかやることもなく、時間はひたすらゆっくりと、贅沢な暇なときが過ぎてゆくというわけです。ちなみに東京では午前2〜3時に寝て、9〜10時に起きる僕が、バリでは12時前後に寝て、朝7〜8時に起きる(時差1時間なので日本時間では午前1時に寝て8時に起きる感じ)。TVも新聞もネットもないと、まことに健康(ただし最近はウブド中心ではFree Wifiが普及し、PCとかを持っていればいつでもアクセスできるようになってきている)。

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まだ雨期があけきってないのか、前半はけっこう雨が降りました。ウブド中心あたりを歩いていたらスコールに出会い、店の軒先に避難。天のバケツをひっくり返したような雨。でも、この男性的な雨が僕は好きで、雷を見るのも好きなので、むしろ楽しみ。それにスコールのあとは、涼しい風がやってくるので、よけいいい。

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ある日、ウブド中心地のモンキーフォレスト通りとハヌマーン通りをつなぐ通りの途中で、雨に降られ、おまけになぜか店の天井に犬を発見。なかなかの珍風景。

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これは何かというと、風呂‥‥ではなくて、レストランのトイレ(笑)。何で?
このレストラン、モンキーフォレスト通りに古くからある「カフェワヤン」。僕がウブドに行き始めた80年代からあった。多分開店当時から行ってるはず。当時のウブドではそれなりの味で人気だった。その頃よく出会ったおばさんは、今でもお店にいる。久しぶりにちょっと話した。まあ、僕のことなど覚えてはいないだろうけど。
もうひとつ、ハヌマーン通りのマッサージ屋「ヌールサロン」も古く、昔から行っていた。そこの女主人が名物で、とても楽しい会話をする。今回、二回めに行ったらあえた。ご主人が昨年亡くなったとかで、ちょっとさびしそうだったけど、しばらく話してたら昔の調子が戻ってきた。「どのくらい滞在? 12日で二回しかこないの? それじゃもうからないよ! 毎日こなくちゃ!」といわれて「それじゃ僕はタコみたいにふにゃふにゃになっちゃうよ」と返したりして、楽しかった。

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宿に戻る坂の途中で、事故をおこした車のお祓いをしてるところに行き会った。こういう場面はよくみる。手前の白い服のお坊さんのお祈りは、ほぼ日本のお坊さんのそれに近く聞こえる。そばに両膝と顔に絆創膏を貼ったスペイン人がいて、バイクで事故ったらしい。「僕もついでにお祓いしてもらうんだ。でも、明日スペインに帰らなくちゃ」とかいってた。フレンドリーな男性で、前に日本の京都に行って、すばらしかったというから「今度は、奈良に行ってみて。静かで落ち着いてて、いいよ。京都の前に首都だったとこだよ」などと会話。こういのが楽しい。

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さて、ウブドから昨年同様、かなりの田舎のティルタガンガに移動。昔の王様の建てた沐浴(マンディ)用のプール群がほぼ唯一の観光地なので、コンビニもなければ、両替屋も村に一軒のみ。小さい村ですが、山のほうにやはり新しいコテージが建てられ始めている。こちらでは、昨年と同じ「プリサワ」という、奥さんがイギリス人でご主人がバリ人のコテージに泊まる。夜は、レストランからもコテージのテラスからも蛍群が毎夜みられる。

写真は水の宮殿の裏手にあるサラスワティの像。ヒンドゥーの芸能文化書物などの神で、密教を通じて日本に伝来し、弁天さまになったといわれる。

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