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夏目房之介の「で?」

「新堂本兄弟」の話法講座と論文

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今日の「新堂本兄弟」のゲストは千原ジュニアと立川談春だった。
中で、ジュニアが話術の一つとして「何を隠そう、それが・・・・」というスキルを紹介。つまり、どこかで誰かに会ったりした経験を、そのまま話すと当たり前で「へー」で終わるが、名前を隠して会ったときの話を描写し、最後に名前を明かすだけで「うぉーっ」という反応になるということ。
番組内では、それぞれがその話法で体験談を話してウケを取っていた。ただ、すべての人物名が有名人だったせいでもあり、そうなると一般人には使いこなせないようにも感じる。が、友人同士なら、互いに知っている名前で使えるし、有名人に会っていなくても、その人にまつわる経験があれば、この話法で再構成することができる話法だ。じつは、こうした「面白くする」「引き込む」話法のコツというのは、そのスキルをいかにアレンジできるかという能力にある。

僕は、今論文や発表(プレゼンテイション)の指導をやっているのだが、なかなかこうしたレベルの話まで持ってこれない。それより、はるかに手前の問題で指導しているのが実情といってもいい。読み上げ原稿はダメだ、とかね。でも、本当はこういう話法の実践が、物事を話したり書いたりするときの論理能力につながるものだと思っている。ライター時代にも、こういうことをライター入門者に語ったりしていた。何を、どのように分解して、その部分をどう再構成して語るかが、相手を引き入れる話のコツであり、もちろんどう落とすかが、その話の印象を残すかどうかを決める。だから、落語を聴け、とよくいっていた。
でも、このことは、本質的には論文や発表でも同じなのだと思っている。発表でその訓練ができれば、論文構成にも生かせるはずなのだ。「いい論文を読んだ」と思わせるためには、効果的に結論を最後に持ってくる必要がある。わくわくする読後感を残せれば、読者はその論文に色々問題があっても、それが目指すものの「大きさ」や「鋭さ」を長所として印象に残してくれるはずなのだ。それでごまかしてしまうのはアウトだけど、自分の能力の到達点を可能性として提示できるかどうかは、とても重要な論文執筆の要点だと思う。

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