”情報通信テクノロジは人々を幸せにする”を信条に、IT業界やアジア・中国を見つめていきます。

第二次人工知能ブームのほろ苦いおもひでと第三次人工知能ブーム

»

IoTで吸い上げたデータをビッグデータとして保存し人工知能で処理をする。 そんなIoTブーム、第三次人工知能ブームの真っ只中な気がしている。

長い間、IT業界に身をおいていた僕は、テクノロジーのブレークスルー、またはITインフラの普及のキャズム超えのタイミングを何度か経験してきた。 その中でもインターネットの普及が最も大きい経験であり、またその真っ只中にいたのに・・・という後になっての後悔がある苦い思い出もたくさんあったりする。

そんなほろ苦い思い出のひとつが第2次人工知能ブームである。

【人工知能のおもひで】

IBMの新卒入社3年目、1987年だったと思うが、社内の研修で人工知能ファンダメンタルというゲリラ的な研修が開催された。担当していたIMS DB/DCとは何も関係なかったが、当時の理解ある先輩のおかげで受講させてもらった。
講師は、当時の日本アイビーエムでは唯一の主席SEであった岡崎さん。岡崎さんの話は分かりやすく、当時の流行りはじめていた人工知能について2日間だったか3日間だったかで概ね理解できた。その研修で学んだのが Prolog言語だった。

kaba.jpg

折りしもちょうどその頃、IBMの失敗作であった個人向けPCであるIBM JXの売れ残り在庫が創立50周年記念として社員に配られた。

jx.JPG

そして、研修で使ったPrologのインタープリターは岡崎主席SEが自ら開発したものだったのでコピーして自宅のIBM JXで動かすことができた。
まだ乗り換え案内の駅すぱあとが世に出ていない当時、自宅の人工知能環境(?)で横浜~東京東南部の最適ルート探索ソフトをPrologで一生懸命作ってみた。結果は、当時住んでいた白楽から品川までの経路探索に10時間以上要してしまっていた。 非力な8088プロセッサーに最大限アップグレードした512kBメモリーの当時の高級パーソナルPCをもってしても、そんなスループットだった。

それからしばらくして登場しヒットソフトウェアとなった駅すぱあとは、if then else で書かれていると知り悔しい思いをした。


それがヲタクな僕のほろ苦い青春の人工知能のおもひで。

そして現在は第3次人工知能ブーム! 大きな変革期だと思う。 何かしたい。

Comment(0)

コメント

コメントを投稿する