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【書評】『ナポレオンのエジプト』:蜃気楼

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白揚社 / 単行本 / 365ページ / 2011-07
ISBN/EAN: 9784826901628

ナポレオン・ボナパルトは遠方に輪郭を見せるピラミッドを指さして、こう叫んだ。「兵士諸君、あのピラミッドの頂きから、4000年の歴史が諸君を見下ろしている!」

ナポレオンのエジプト遠征における、闘いの一幕である。1798年に始まったその遠征には、多くの奇妙な、異常とさえ言われるような側面があったという。軍隊に同行すべく151人からなるパリの画家と科学者の集団が組織されたのだ。本書はその軍事的側面を背景に、同行した学者たちの活動にフォーカスをあてた一冊である。

◆本書の目次
第1章 将軍
第2章 幾何学者と化学者
第3章 発明家
第4章 学士院
第5章 エンジニア
第6章 医者
第7章 数学者
第8章 画家
第9章 博物学者
第10章 動物学者
第11章 石
第12章 本
エピローグ エジプトマニーからエジプトロジ―へ

同行した集団の中には、歴史に名をとどめる人物も多い。フーリエ級数でおなじみの数学者フーリエ、ラボアジエと並ぶ天才化学者ベルトレ、幾何学者モンジュ、後にルーヴル美術館の初代館長となるドノン。そして驚くべきことに、彼らは多くの兵士同様、途中まで自分たちがどこに向かっているのかを知らされていなかった。リーダーであるナポレオンをひたすら信じて、目的地が謎に包まれた途方もない遠征に志願してきたのだった。

その当時のフランスにとって、エジプトは重要な意味をもった。エジプトを取ればイギリスとインドの間の主要な交易ルートを断ち切ることになり、イギリスの帝国主義的野望を弱めることができるだ。また、1790年代にはフランスでは古代エジプトの図像学が大流行していたという。フランス革命直後のフランスは、無神論国家である。彼らはファラオの文明を、腐敗した国王やカトリック教徒に先行する一種の純粋で自然な社会として想像したのだ。

そんな希望に満ちて、いざエジプトに上陸した直後の現地人との出会いをめぐる記述が面白い。歴史的な一幕を想像した彼らが直面したのは、とにもかくにもエジプト人たちのフランス人に対する無関心なのだ。1000人を超えるフランス人たちが何トンもの物資をボートから海岸へと運んでいるあいだも、アラブ人たちは何ごともないようにその脇を通り過ぎて波打ち際まで行き、そこで顔と身体を洗ってから、無言のまま東を向いて祈り、それから立ち去ったという。

これに対処しようとするナポレオンの行動も、コントのように滑稽だ。「フランス人は真のイスラム教徒である」と宣言し、イスラム教徒になるのを望むのだが、割礼と禁酒を求められて挫折。人々に感銘を与えようと直径12メートルの気球を飛ばすものの、紙で作られいたためすぐに破け、火が燃え移ってしまう。これを見たエジプト人たちは自分たちが攻撃されているとさえ思ったらしい。また、ある時はトルコの衣服パンタロンとターバンを身につけ外出しようとしたところ、あまりにも不格好だったため、周囲に断固として反対されたこともある。どこまでも憎めない男である。

このような記述が、まるで帯同記者でもいたかのような臨場感で残されているのも、サヴァンと呼ばれる科学者たちの同行による賜物である。その軍事的失敗とはうらはらに、学術的な成果の残した意味合いは大きい。軍隊はエジプト人の顔を敵として見るのだが、サヴァンたちは研究対象して見る、それが大きな違いを生み出したのだ。彼らはエジプトの人々の相貌、衣服、家々に注目し、スケッチに収め、社会的及び性的習俗を記録しようとしたという。

また、科学者グループの持つ種々雑多な性格も、科学的な側面において功を奏している。パリにおいては各分野に存在する境界が、カイロにおいては厳密さが消え、建築家、博物学者、物理学者、天文学者、地理学者などが、ボーダーレスにひとつの庭で語りあう、またとない機会を生み出したのだ。

こうして彼らは、最大の成果となるロゼッタストーンの発見を果たす。もっともその後に、彼らはイギリス軍に打ち負かされ、その成果をまるごと奪われてしまうことになるのではあるが。本書の原題は「ミラージュ」。幻だったのは、東洋征服という夢だけではなく、ロックスターさながらに作り上げようとした文化的な熱狂においても同様だったのだ。後に、その幻想は、エジプト学、考古学として現実のものとなるが、ナポレオンの死後だいぶ経ってからのことである。

ただし、多くのサヴァンにとってエジプト遠征はロマンチックな冒険だった。そして、そのインパクトをもって、フランスとヨーロッパは理性の時代からロマン主義へと大きく時代が傾いていく。このあたりの様は、日本の明治時代における『坂の上の雲』あたりの話を読んでいるようでもあり、興味深い。なによりも、軍事的な側面ではないナポレオンの素顔に触れることができ、もう一つの夢を追体験できるということが、本書の最も価値のあるところであるだろう。

※参考)【書評】『奪われた古代の宝をめぐる争い』:文明は誰のもの?

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