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【書評】『複眼で見よ』:本田 靖春のジレンマ

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著者: 本田 靖春
河出書房新社 / 単行本 / 320ページ / 2011-04-23
ISBN/EAN: 9784309020365

本田 靖春という人物をご存じだろうか。元・読売新聞社の社会部記者、退社後はノンフィクション作家として活躍。先輩記者の挫折を描いた『不当逮捕』や、山谷の売血事情をテーマにした「『黄色い血』追放キャンペーン」などに、精力を傾けた人である。本書は、今は亡き本田 泰治氏の単行本未収録ばかりを集めた作品集である。

◆本書の目次
第一章 持続する怒りを - 拗ね者のジャーナリズム精神
第二章 植民者二世の目で - 根なし草のまなざし
第三章 「戦後」を穿つ - 単行本未収録ルポルタージュ

第一章から、いきなり怒っている。その対象は、テレビ局、新聞社、相撲界。驚くことなかれ、全て二十年以上も前の話である。つまり取り上げている事象そのものは過去の話であっても、それぞれの業界の根底に潜む問題は、今も昔も変わらないということである。これが視点の強さというものなのだろうか。

しかし、怒りを軸にした切り口だけが、氏の持ち味ではない。本書の表題にもある複眼的な視点こそが、氏の真骨頂である。それは、新聞社の社会部 記者という会社員を経てノンフィクション作家という職業人へと至る氏の経歴や、京城生まれの植民者二世という出自によるところが多い。

本書を読んで思うのは、複眼的なモノの見方というのは、テクニックとして身につける類のものではないのだろうということだ。複眼でモノを見るとは、ビジネス・スキルのようなものではなく、生き方そのものである。やり過ぎの一線を越えるところまで飛び込み、いかにジレンマの感じる環境に身を置くか。そうすれば、否が応でも物事は複眼的に見えてくる。

本書ではあまり紹介されていないが、氏は 『黄色い血』追放キャンペーンの際に、すぐさまドヤ街に潜入し、自ら血液銀行に血を売ることで、売血産業の実態を取材。その結果、自身も後年肝臓ガンを発症してしまう。取材対象に対する客観と主観の入り混じりこそが自身をジレンマに陥れ、その苦しみが立体的な情景を生み出しているのだから、皮肉な運命である。

本書で紹介されている具体的なジレンマは、以下のようなもの

・私が親密な関係にあった立松に肩入れするあまり、ノンフィクション・ライターとしての公正な眼を曇らせてはならない、という問題もある。私情をあえて抑制して、どこにスタンスをとるか。それがなかなか定まらないのである。 
※「『不当逮捕』その前夜」より(1984年8月)

・私自身は、開発より、自然保護に傾きがちである。それをいうと、彼は「こちらの身にもなって下さいよ。青森で煙突から煙の出ているのは、フロ屋と火葬場だけなんですからね」といった。産湯をつかってから灰になるまで、貧にあえいできた辺地の人びとに、マクロ的見地から自然保護を説く。それは、たしかに、中央ジャーナリズムのエゴというものかもしれない。 
※「むつ 小川原 ゴールド・ラッシュの恍惚と不安」より(1972年7月)

・それより前、タクシーの運転手に、いきなり質問されて、答えにつまった経験がある。沖縄にいたことがあるという彼は、こうたずねた。
「日本はなぜ沖縄が必要なのだ」
われわれ日本人が、沖縄の返還を考えるとき「なぜ」という発想には立っていない。当然返してもらうものだと、頭から思いこんでいるような幼いところがある。

※「沖縄返還 もうひとつのドキュメント」より(1971年11月)

我々もまた過渡期ゆえに3.11以前の世界を引きずりながら、3.11以降の世界を生きていかなければならない。そこでは、さまざまな矛盾やジレンマと遭遇するだろう。それを、どこまで複眼的思考に高めることができるか。本書はそんな思考実験を行うのに、うってうけの一冊である。

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