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【書評】『災害がほんとうに襲った時』:外部でもなく、内部でもなく

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著者: 中井 久夫
みすず書房 / 単行本(ソフトカバー) / 144ページ / 2011-04-21
ISBN/EAN: 9784622076148

東日本大震災からまもなく五十日を迎えようとしている。第一次世界大戦の時の記録によると、戦争のプロでも四〇~五〇日たつと、戦闘消耗と呼ばれる状況に 陥り、武器を投げ捨てて、わざと弾に当たろうとするような行動に出るものが現れるという。そろそろ新たなステージに入るべき時が、来ているのかもしれな い。

本書は阪神淡路大震災の時に神戸大学で精神科医を務めていた中井 久夫氏による五十日間の記録がベースである。ことは今回の震災の際、ノンフィクションライター最相 葉月さんが自宅にて落下してきた本の中に『1995年1月・神戸』を見つけたことに端を発する。その後、著者にネット上での全文公開を要請したことで話題を呼び、さらに今回の震災の記録を追記して生まれた一冊が、本書である。

◆本書の目次
東日本巨大災害のテレビをみつつ       2011年3月11日-3月28日
災害がほんとうに襲った時 付・私の日程表 1995年1月17日-3月2日

二つの記録は、一つは被災に対しての外部としての立場、もう一つは内部としての立場として臨んだものである。しかし、いずれの立場においても共通しているのは、著者による俯瞰の目線であり、背景を観察する能力である。著者自身、被災後に病院へ出向きすぐに行ったことは、医局の整理、電話番、ルートマップの作成だった。そして、その後も、隙間を埋めること、盲点に気づくこと、連絡のつくところにいることの三点にに徹し、自身の役割を「隙間産業」と定義したそうである。だからこそ、次の災害にも活かされるアーカイヴを残すことができたのであろう。

このような視点は、著者が精神科医であることによるものが大きいのではないかと感じる。目に見える患者の症状そのものに着目するのではなく、その背景にあ る要因や環境を観察しなければ、真の解決は望めない。被災という悲惨な現状に直面しても、その視点は同様である。神戸という街の精神文化や、日本が持つ精 神構造を踏まえて行った数々の指摘には、ハッとさせられるものが多い。

その一つに「デブリーフィング」というものが挙げられている。ブリーフィングが任務内容説明であるのに対し、デブリーフィングとはその解除のことである。これを解除宣言として行うのではなく、緊張をほどいてゆき、心理的に肯定し、達成を認めると言う儀式が必要なのである。重要な任務についた人たちに、デブリーフィングを行わずに家に帰すと不和の原因になりかねないそうだ。

本書が最も読まれるべきなのは、今回の震災において外部でも内部でもなかった、首都圏に住むような人たちであるだろう。直接的に被災を受けているわけ ではなく、どこか申し訳なく思いながら、さまざまな不安やストレスを抱えている人も多い。そういった人たちこそが、お互いをデブリーフィングしあう必要があるのではないだろうか。本当の戦いは、これからである。

※本書は、書評コミュニティ「本が好き」様よりご献本いただきました。厚く御礼申し上げます。



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