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【書評】『日本人が知らない世界のすし』:コンテンツとコンテキストの狭間で

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著者: 福江 誠
日本経済新聞出版社 / 新書 / 191ページ / 2010-08-10
ISBN/EAN: 9784532260880

最近、一つのテーマに基づいて歴史を辿った書籍を読むことが多い。『世界史をつくった海賊』、『沈没船が教える世界史』、『チョコレートの世界史』、『警察の誕生』、『ハプスブルグ帝国の情報メディア革命』などなど。いずれも面白かったのだが、その中で日本の話題が登場することはほとんどなく、登場しても決してメインストリームではなかったりと、少々寂しくもあった。そんな中で出会ったのが、本書『日本人が知らない世界のすし』。正真正銘の、「日本初、世界へ」というテーマなのである。

◆本書の目次
第一章:もはや「邪道」ではない世界の寿司
第二章:なぜ、寿司が「クール」なのか
第三章:女性職人がもて囃される理由
第四章:世界で生きる職人求められるもの
第五章:こんなに違う「繁盛する条件」
第六章:もう「飯炊き三年握り八年」ではない
第七章:価値に気づいていないのは日本人
幸か不幸か、世界で意味づけされてしまった「すし」は、もはや原型を留めない。アメリカのカリフォルニアロールはまだしも、ポーランドではラズベリージャムとキャビアがトッピングされており、ポルトガルの首都リスボンではハチミツやナッツもネタとして一緒にまかれている。極めつけは南米ブラジル。バナナ、マンゴーなどを具材に、デザートとして食されているそうだ。まさにコンテキスト(文脈)の世界地図である。

一方で、コンテンツとしての「すし」の原理原則はどこにあるのか。古くは戦後GHQによる統治時代まで遡る。食糧難が深刻だった時代には飲食営業緊急措置令が発令され、喫茶店以外の飲食店がすべて営業を禁止された。そんな中、東京の寿司組合がマッカーサーに嘆願し、特別に営業認可を与えられたのだ。この時に制定されたルールによって、寿司一人前は10貫が標準になり、それまで四〇グラム以上あった握りが半分以下の大きさに規定された。その際、大阪の箱寿司をはじめとする寿司の営業は認められなかったため、郷土料理のひとつであった「江戸前寿司」が全国に広がったのである。

そんな中で悩ましいのは、世界に羽ばたいた寿司職人たちの「すし」への向き合い方である。もはや肉体と精神が分離した状態の「すし」に対して、原理原則を貫くのか、現地の解釈に合わせていくのか。対応は千差万別なのだが、成功している人で原理原則に固執している人はいない。ただし、どこかで譲れない一線というのは持っているようにも思える。肉体は許せど、魂は許さずといったところだろうか。そして寿司の技術以上に大切なのは、コミュニケーションであるそうだ。「腕はいいが、頑固で口下手」では、世界に通用しないのである。

寿司を通じて味わえるのは、魚やシャリだけではなく、食する間や空間そのものも「ネタ」になりうる。
そういった意味で、寿司をはじめとする日本食は、食文化というより根源的な視点から「クールジャパン」の文化輸出を広げる促進剤になりうるものである。そして我々が思っている以上に日本のソフトはパワーを持っていると、著者は主張する。「世界は日本を待っている!」、そんな勇気をもらえる一冊である。


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