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【書評】『集合知の力、衆愚の罠』:感覚のシンフォニー

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英治出版 / 単行本 / 256ページ / 2010-12-14
ISBN/EAN: 9784862760982

未曾有の危機である。このような有事の際には、強いリーダーシップの必要性を感じる一方で、強すぎるリーダーシップには警戒心を払わなければならないのではないかとも思う。「悪魔は救世主の顔をしてやってくる」とは、よく言ったものだ。むしろ今、必要とされるのは、有能なファシリテーターの方であろう。例えそれが小さな集団の中での出来事であろうとも、ファシリテーターの間接的な関与によって形成された連帯感や共有感覚こそが、集合知を開花させ、通常では為しえないパワーを生み出す。本書はその「集合知」をテーマに描かれた一冊であり、今まさに読むべき一冊でもある。

集団から生まれる大きな力も、一歩間違えると衆愚の罠へと陥る。愚行が生じる危険性を察知するには、二つの大きな動きに注目するとよいそうだ。一つは「分断と細分化」という動きである。認知科学で「確証バイアス」と呼ばれるこの行動は、既存の先入観を裏付ける形で情報を求め、自分が知るものと違うものは、すべて「身内でない」「私には関係ない」と排除してしまうことを指す。もう一つは「いつわりの合意、見せかけの団結」という動きである。集団が沈黙と服従を選び、その結果として現実の正確な理解に結びつくデータや視点の検討を避けてしまうことを意味する。

それでは、いったい集合知はどのような状況で出現するのか、具体的には以下のようなステップである。

◆集合知の出現を促すためには

①傾聴する
その集団の中で何がほんとうに起きているのか好奇心を持つ行為。ただ単に聞く・記憶するのとは異なり、他者と真の意味で対峙する。

②確信を保留する
個人や集団が「わからない」という事実を認めることができれば、その先を行くひらめきが生じる可能性ははるかに高まる。皆で何かを生み出せるかどうかは、個人または小集団の「自分はつねに正しい」という意識を保留できるかどうかにかかっているのだ。

③システム全体を見る、多様な視点を求める
注意の対象を個人から集団へとシフトする。情報はすべて貴重だ。そしてどんな情報も単独ではなく、全体の一部として存在している。

④他者への敬意を持ち、差異を識別する
意見の相違を新たな学びの機会と捉えること。そして、集団に差異を識別する力があれば、新しい考えや、可能性に対する新しいイメージの出現を許すことができる。

⑤生じるものすべてを歓迎する
歓迎のスタンスとは、「異なるニーズを理解し、差異に敬意を払い、共通の人間性を喜ぶ」、これを意識することである。

⑥「大いなるもの」に対する信頼
大いなるものへの信頼とは、人の旅路が刻まれる自然の世界そのものを、広く視野に入れようとすることだ。その信頼があれば、足元が不確かな状況でも揺るがされない。

ボストン・フィルハーモニーの指揮者ベン・ザンダーは、ある時ネルソン・マンデラをシンフォニーに例えたそうである。昔ながらの上から下への統率ではなく、すべての声を響かせることを重視していたからである。ネルソン・マンデラの周囲の人々は、自分自身からわきおこる感覚のシンフォニーに気づき、秩序を理解しようとする努力し、それがやがて全体に広がっていったのだろう。

「基本的な安全の確保」という条件のもと、人は他者と結び付き、相手を認識し、相手の才能に敬意を払うことができる。安全という基本的希求が満たされない場合には、いくら専門知識があっても、全体を構成する身体、認知、精神、真理を組み合わせることができず、自閉症患者の脳のような働きを示してしまうという。

安全という当たり前のはずのものが、当たり前でなくなった今、我々は衆愚の罠に陥りやすい状況下にある。しかし、せめてコミュニケーションを行う際の「安全」だけでも、もう少し確保できないものだろうか。ここ数日、マスコミやTwitterで、少し理解に苦しむやり取りを見かける。相手の意見に耳を傾け、自分が絶対とは思わず、差異を認識しながらも、相手への敬意は失わない。差異を認識することと、その差異を攻撃することは大きく違う。

直接的に被災を受けなかったり、支援に関わっていないマジョリティ達が、どのような振る舞いを行うのか、今後の再建に向けてその担う役割は大きい。


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