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ポスドク問題についての前向きな提言、理系の観点からの社会全体についての気づきや意見、会社、社会、国に過度に依存しない生き方について綴ります。

2011年のトレンド(2012年も)は「人間中心主義からの脱却」

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 得意の期限外提出

少し前のブログお題で「2011年のトレンド」が出されていましたが、書きそびれてしまいましたので、期限外提出ということで書かせていただきたいと思います。学生時代にレポートの提出期限を守らないとそもそも受け取ってもらえないか、もらえたとしても「期限外提出」という扱いになって評価が下がるので、レポートの提出は期限を守りたいところですが、誠ブログではむしろ得意?の期限外です(笑)。

 短い短い人間の持っている時間

人間中心主義からの脱却という字面からは、震災が起きたことで、「もっと自然に目を向けよ」という意味合いに思われるかもしれません。実際にそういう点もあると思いますが、それ以外に大事なことは「時間軸」に対する考え方です。報道でよくなされるのが、1000年に1度の巨大地震という言い回しです。原発の存在に伴って残ってしまう放射性廃棄物の中には半減期が数万年の放射性同位元素も存在しており、気が遠くなるような長期間を示す数字に遭遇します。

我々人間が実感として考えられる時間の長さはせいぜい寿命がいいところで、80年程度でしょうか。実際はもっと短くて、せいぜい何十年か先のことまでしか実感を持って考えることはできないでしょう。そんな自分自身の寿命よりも長い時間についてこの震災を通して考える機会が増えたという意味で「人間中心主義からの脱却」という語句を使っています。

既に何本も書いているブログの内容で「微分積分思考法」がありますが、この時間軸に対する考え方が最も重要なものの1つと捉えています。短期と長期で考え方が全くことなるということです。勿論、今生きている人がいることこそが、人間界がその後も存続していく条件であることは間違いないのですが、自分自身についてしか考えないことを短期とすれば、長期は、自分の子どもや孫について考えることになるので、捉えやすいと思います。

 実際に尻拭いをさせられるのは誰?

もともと原発もそうです。二酸化炭素を出さないクリーンなエネルギー源として原子力発電が優れている一方で、上記の放射性廃棄物の問題が後世まで、子供、孫、ひ孫に留まらず遥か彼方まで残ってしまうわけです。そんな政策についてどう考えるべきかというのが非常に難しいわけですが、もし、今後も後世まで巻き込んでしまうような政策を決める時には、本当はその尻拭いをさせられる若い世代もその決定の輪の中に加えてもらいたいわけです。具体的には、例えば国会議員に年齢の枠、衆議院議員なら、30歳まで、30~40歳、40~50歳、50~60歳、それ以上と人数の枠(定数)を決めてしまうというのも手かもしれません。

 子供のことを考えている親などいない

もう1つ思うのは、「子供のことを考えている親などいない」ということです。もし考えているなら、どうして、1000兆円にも迫るような赤字をかかえる羽目に遭ってしまうのでしょうか? 完全に若い世代、子供、孫の負担になるわけです。実際に尻拭いをするわけではない人達が全て決めてしまっているのが実情です。別な言い方をすれば、寿命で決定してしまっている時定数のオーダーよりも長い場合は考えなくてもいいという無意識の意識が働いているとも言えるでしょう。

子ども手当についても考えてみましょう。もし、親が子供のことを考えているなら、子供手当は1円も使わず、子供のためにとっておく必要があります。実際には1円も使わなかったとしても子供のためになるわけではなく、借金返済のために使われるので単にチャラになるだけです。いずれ、返済を迫られることになるわけですから。以前のブログにも書きましたが、親が子どもの財布に手をつっこんで、金を巻き上げて、しかも、その金を子どもの借金として、利息まで取ろうという政策が子ども手当なわけですから。もし、子ども手当を使ってしまうにしても、それがどういう意味なのか、子どもに説明する必要もあるかと思います。政治家の決めた政策も国民が水際で食い止める権利がこの場合はありそうです。

 親の因果が子に報う

2011年という年は、そんな時間軸上の遥か彼方のことについても考える機会が与えられた年なのだと思います。「親の因果が子に報う」状況にあるのが今の日本かもしれません。世代間格差を象徴しています。そんな格差を埋めるためにも、先のブログの「自」がより大切になってきそうです。

 親の言うことを聞いてはいけない?

子どもの頃、お父さんお母さんの言うことを聞くように、学校の先生の言うことをキクヨウニ! という教育を受けてきました。ただ、あくまで教えてもらえることは、今まではある程度通用したということでしかなく、将来にわたって通用するかどうかは全く別問題なので、その点を十分注意する必要があると思われます。

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