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ライフワークとしての学びを考えます。

職場においてありのままの自分でいられるか

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仕事場において、無理をせずありのままの自分でいることができるのでしょうか?

ありのままでいられる職場、社員さんたちに最高の仕事をさせ、持てる力を最大限に発揮させる職場、まさに理想の職場について「ハーバード・ビジネス・レビュー」2013年12月号の記事「『夢の職場』をつくる6つの原則」に書かれていました。

夢の職場を作るためには、社員さんそれぞれが職場において「ありのままの自分でいられる」ことが大事だと書かれていましたがそんなことが可能なのでしょうか?


「『夢の職場』度診断」というのがあり、該当する項目が多ければ夢の職場に近いのだそうです。

□職場でも、家庭にいる時と同じ自分でいられる
□安心してありのままの自分でいられる
□人と違うことを臆せず表現するよう全社員が促されている
□この職場では大半の社員と違う意見の人でもうまくやっていける。
□熱意は、それぞれが摩擦を生み出す場合でも奨励される
□この職場になじむのは単一のタイプだけに限られない

これを、額面通り受けとって単なるわがままとなってしまう危険性があるかもしれませんね。
何を本当の夢の職場とするのかが難しいところだと思います。

「ありのまま」とはいったい何でしょうか?

それは逆説かもしれませんが、集団の中の自分の役割を知ることだと思います。

そして、その役割になりきる。

人はいろいろな面を持って生きてきました。

家庭での自分
親戚づきあいの自分
ご近所さんの自分
友人の前での自分
レストランで食事をする自分
自然の中に一人たたずむ自分

自分の中にある役を上手く自分で引き出すことです。

シェイクスピアの言葉を拝借します。

「この世は舞台、人はみな役者」


その役割を演じることを受け入れてくれる組織、お互いが敬意の気持ちを持ち、尊重しあって存在することができる組織が大事なのではないかと思います。
そうすれば、人は気持ちよく自分の中の役割を引き出し、演じ、良い結果をもたらすのではないでしょうか。

それはチームがお互いを知ることではないかと思っています。
私はそのために合唱チームビルディングというプログラムを考えて実行しています。
ハーモニーすることで、お互いを知る舞台を整えることができるのです。

最後に論文の言葉を引用します。

「仕事は人を疎外し、搾取し、操作し、均一化する場合もある。新技術と新世代の人々にもたらされた変化にもかかわらず、資本主義や見過ごされたままの官僚主義の底流にある種々の力は依然として強力だ。本物の組織を生み出し、人々の潜在能力を十二分に発揮させようと努力する際に、その課題の困難さを見くびってはならない。そうでないと、そのような組織が例外ではなくなり普通の存在になる日は来ない。大半の人々にとって単なる夢物語で終わってしまうだろう」

困難な課題に向かって力を緩めてはならないと改めて思わされます。

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