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ライフワークとしての学びを考えます。

どうしても許せないのなら、どうしても嫌いなのであれば 「一度心の中で殺してみるのもいい」

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嫌いな人がいて心がどうにもならない。
しかし無視しようとすればするほど気になって頭が支配されてしまう。
または、その方と関係が上手くいかなくてひどく嫌われてしまっている。
 
私はそういう方に自分の嫌な面を見ることができます。
嫌なのは自己嫌悪。
その方は自分の足りないところを教えてくださっている、「お前はまだ成長できるのだ」と、どなたかが私に差し向けてくださっている配剤だと考えます。
 
だからこそ感謝。
 
そのとき心の底からそう感じなくてもいい。顔を見て言うのが辛ければ、その方のいないところでもいい。「○○さん、有り難うございます」と声に出して言ってみる。もし気分が悪くなったとしても何度も言ってみると、あるときスッと心が静かになってくるのを感じることがある。感謝が自分を癒し、そして不思議なことに、再びその方と会うときに関係が上手くいくことがほとんどなのです。
 
しかし、どうしてもだめなことがある。
 
その方に会うときは、心にナイフを構える自分の姿を見ることができる。
そんな自分がどうにもならない。
しかし逃げられない。
 
これほどの辛さはありません。
 
ではどうすればよいか。
 
 
それならば「一度心の中で殺してみるのもいい」。
 
作曲家のベルリオーズは、女優スミスソンにふられ、その思いを自らの作品「幻想交響曲」に封じ込めました。
第4楽章「断頭台」にて、愛している女性を殺し、死刑を宣告され、断頭台へ引かれていく様子が表現されています。その女性こそスミスソンです。
そして最後、第5楽章では、スミスソンをグロテスクで醜悪な姿に変貌させ悪魔の大饗宴が始まる、という曲です。
 
ベルリオーズは、婚約者に裏切られたときも、女装をしてピストルを持って馬車に乗り込み暗殺しようとした人物です。暗殺は、なぜか道の途中で彼の気が変わり成し遂げられなかったのですが、彼はそのような方法で自分のエゴと対決していたのでしょう。
 
 
「心の中で一度殺してみる」
 
しかし、いざそうしよう覚悟してみたところでも、心の中とはいえ、やはり殺せるものではありません。
 
しかし、そこまで思えるのならば、和解することは難しいことではない、と考えます。
 
和解とは、その方と和解することだけを言っているのではありません。
それは自分との和解。
エゴとは、自分が弱い存在であるということは認めたくないものです。そうなろうとした瞬間に暴れ、自分自身を苦しめる。だから人と上手くいかないことは辛いのです。
その自分のどうにもならないエゴを見つめ和解する。そうすることで心は静まっていきます。
 
自分との和解。それはすなわち、自分を愛することになる。自分を愛することが出来て、はじめて周囲の人も幸せに出来る。自分を愛せない人に他人を愛することなど出来はしないのだと信じています。

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