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「美味しんぼ」の問題と「表現の自由」、「報道の自由」(長文)

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雁屋哲氏の公式サイト最終話の後で出る予定とされている「反論」を見てから、まとめようと思っていましたが、すぐには出ないようです。色々情報も出ているようですので、今のうちに書いておきます。すでに twitter でツイートしたり、togetter でまとめた内容も多くあります(togetter によるまとめはこちらこちら)。なお、ここでは「週刊ビッグコミックスピリッツ」(5/19号、5/26号、6/2号)に掲載された「美味しんぼ」の福島原発関連についての情報は「報道」という前提で捉えています(山岡や雄山がフィクションなのは当然です)。また、私が入手できたのは「6/2号」のみで、他の号はネットに出回っている情報を参考にしています。長文ですが、結論だけ知りたい人は、最後に書いておきますので飛ばして読んでください。

■自由の境界

「表現の自由」とか「報道の自由」に絶対的な「決まり」があるわけではありません。もちろん、それらは憲法で保証されていますが、「どんな表現や報道をしても一切規制されない」という意味で「無制限な自由」ではありません。そもそも、どこから「わいせつ物」になるのか、どこまでが「報道」であり、どこから「名誉棄損」になるのかということは、あらかじめ決めておくべきものではありません。それらに明確な線引きをしようとすると、どうしても厳しめになってしまうからです。許される明確な線が示されたら、そのギリギリを狙う表現が出る一方、必要な表現が規制されてしまうおそれがあります。自由の範囲を広げておくためには、個別に判断するしかありません。実際、テレビや映画でも、基本的には業界で個別に判断しているのが現状です。もちろん、個々には裁判になることもあるでしょうし、「やりすぎ」が横行すれば、厳しめの統一方針や基準が出されることになります。そういう前提において、自由の敵は規制を生み出させるほどに「やりすぎる奴ら」だと私は考えています。

■表現の自由

朝日新聞の報道には、次のような内容があります。

週刊ビッグコミックスピリッツ編集部が「鼻血や疲労感はひばくしたから」という登場人物の発言がある12日発売号の「美味しんぼ」のゲラ(校正刷り)を、発売11日前に環境省にメールで送っていたことが同省への取材で分かった。

「検閲」は「公的機関が表現物を発表前に発表の禁止や修正を目的として審査すること」という辞書的な定義で問題ないと思いますが、これは憲法で禁止されています。公的機関によって「事前」に審査されるようなことになれば「表現の自由」が守られないからです。出版社が出版物を発表前に公的機関に送るということが検閲にあたるわけではありませんが、それをすることはせっかく憲法で守られている「表現の自由」を差し出すようなもので、厳に慎むべきと考えます。そして、そのような行為が驚くべきことだからこそニュースとして取り上げられたと考えています。

この報道によれば、環境省は「こちらは求めていない。具体的な内容の訂正要求もしていない」とし、「ゲラそのものについては「未発表の内容で慎重に扱う必要がある」」と考えていたようで、環境省が「表現の自由」について正しく理解していることを伺わせます。発売前に「内容を見せるよう要求し、訂正と削除を申し入れた」(←これこそが検閲)という大阪府/大阪市とは格の違いを見たという印象です。togetter のまとめには「修正に応じなければ検閲されることにはならない」という意味のコメントもあります。私も「検閲」と同じとは言いませんが、相手が表現の自由を守ってくれるとは限りません。実際、大阪府/大阪市からは要求があったわけですし、販売前に雑誌の配布が差し止められたかもしれません。やはり、スピリッツ編集部の行為は不適切であったと考えます。

■事実と意見

実のところ、「美味しんぼ」への批判派と擁護派のどちらについても事実と意見が混同されている傾向がみられます。一般的な話として 「低線量被爆の影響は確定していない」というのは「事実」があります。もちろん、中には「低線量被爆の影響はないんだ」とか「低線量被爆の影響はあるんだ」という人はいるかもしれませんが、それらを万人が納得する根拠を持つ人はいないはずです。そんな根拠が示せるなら、そもそも議論になりません。「事実」は、誰にとっても前提にできるものです。

一方、「低線量被爆の影響は確認できていないのだから、避難地域は現状で良いのだ」とか「低線量被爆の影響がないとは断定できないのだから、避難地域を広げるべきだ」というのは「意見」です。さまざまな立場や考えの人がいるのですから、同じ事実を前提にしても意見が異なることは普通のことです。異なる意見から、一本化した「結論」を出すために、我々は民主主義という手段を持っています。ツイートで、多数決=民主主義のように書いたので突っ込まれていましたが、もちろんすべてを国民投票で決めるわけにはいかないので、議員という代表者を選出して一つの結論を出すという仕組みになっているということです。その手段が多数決だったり、3分の2の合意だったり、全会一致だったりすることもありますが、多数の合意を得る手段が民主主義ということに違いはないでしょう。

すべての意見は、正しい事実に基づいて考える必要があります。論理的に「間違った事実を前提にすると、間違った結論が導き出されるおそれがある」からです。必ずしも「過剰に防御的に考えること」が「間違っている」ことにはなりません。「美味しんぼ」最終話では、「低線量被爆の影響はわからないのだから、逃げる勇気を持て。国に支援を働きかけよ」と締めくくられていますが、この判断が「間違っている」ということにはなりません。実際、日本では狂牛病が発生したとき全頭検査を行うようになり、他国で発生したときには(全頭検査していないので)輸入を禁止するという措置を取りました。それらの牛肉は、その国では一般に流通し、人々に食されちるにもかかわらず、です。このときも「コストがかかるだけで無駄」だという意見はあったのですが、安全を重視して実施したわけです。

私自身は、現在の福島県での対応は国際原子力機関などの指針に沿った適切なものだと考えていますが、狂牛病と同じように、より安全な対策を取るべきという意見を出すことが「間違っている」とは言いません。その意見を多数の人が支持するかどうかは別ですし、私自身は、より安全な対策を取るためにかかる(おそらく莫大な)コストを考えれば、別の目的に使う方が「実際に助けられる人が増える」だろうとも考えます。

■美味しんぼに載ったデマ

「美味しんぼ」の問題は、明らかに間違った事実(つまりデマ)が、あたかも事実のように掲載されていることにあります。具体的には、5/26号に松井英介氏による見解として紹介された、2つの内容です。

・大阪のガレキ処理焼却場についての調査(5/12発売号、p.258)
「大阪で、受け入れたガレキを処理する焼却場の近くに住む住民1000人ほどを対象に、お母さんたちが調査したところ、放射線だけの影響と断定はできませんが、眼や呼吸器系の症状が出ています。」と記載されています。この文章には、いくつもの間違いが含まれています。

これは「大阪おかんの会」による調査だと伝えられていますが、そもそも「焼却場の近くに住む住民1000人ほどを対象にした調査」ではありません。ネットアンケートで「体調の変化した人を募集したら1000人集まった」というものです。大阪おかんの会の、ある日のブログによれば、その範囲は「大阪、兵庫、京都、滋賀、奈良、和歌山、愛知、徳島、岡山、三重」と10府県に及びます。これを「近くの住民1000人を対象にした調査」と表現することは、きわめて不適切です。

また、「放射線量の増加と体調不良」の因果関係を示す可能性を示唆する意図として紹介するのであれば、そもそも「放射線量の増加」が観測されていなければなりません。原因が生じていないなら、生じた結果に対してその原因との因果関係を示すことは「不可能」だからです。しかし、実際には放射線量マップなどでも大阪近辺の放射線量の増加は確認されていませんし、環境省の発表によれば「焼却施設における排ガス実測データ中の放射能濃度等の実測データは検出下限値未満」と表明しています。そもそも運ばれたガレキは前後の文脈から推測される「福島県」のものではなく「岩手県」のものです。(福島県の汚染されたガレキは福島県内で処理することになっています)

結果として、この報告は、放射線の影響を示唆するどころか、体調の変化が放射線以外の(たとえば心理的な)要因で発生していることすら示唆しているものとなっています(時期的に「PM2.5」が原因ではないのか、という指摘もありました)。

・放射線が与える影響についての“科学的”な説明(5/12発売号、p.259)
もう一つ、“ラジカル”などの言葉が使われている放射線による影響を科学的説明があります。しかし、ここに書かれているのは放射線被爆の「確定的影響」を説明したものです(確率的影響として考えうる学説、というものではありません)。これは正しい科学的な反応の説明だとしても、「確定的影響」としては極めて小さいことが明らかで、鼻血が出たことの理由としては不適切です。現在、低放射線被爆の影響で議論の余地があるとされているのは「確率的影響」で、このように科学的な説明がつけられるものではありません。だからこそ議論の余地があります。

これらが間違った事実であると知らない読者は、間違った意見を持ってしまうかもしれません。それによって間違った結論が導き出されてしまうおそれがあります。誰もが、どんな意見を主張することは「表現の自由」だと考えますが、そこにデマを載せる自由が含まれるとは私は考えません。間違っている以上、このデマは撤回すべきものです(※)。また、デマをデマと断って載せたのでないのですから、あくまで「一つの意見として掲載した」だけだという言い訳は通用しません。デヴィ夫人はネットで見つけた「間違った情報」を自身のブログに載せて伝搬したことで責任を問われました。影響力の大きい人がデマを伝達してしまったなら、それ相応の責任を負うべきです。

※雁屋哲氏の公式サイトからは直接連絡しています。

■報道の自由

朝日新聞は、以下のようにも報じています

週刊ビッグコミックスピリッツの人気漫画「美味しんぼ」(小学館)に登場する荒木田岳(たける)・福島大准教授(地方行政論)が「除染しても福島には住めない」という自らの発言を作品で使わないよう求めたにもかかわらず、編集部が「作品は作者のもの」と応じずに発行したことがわかった。編集部が取材に事実関係を認めた。

「報道」という原則において、あらかじめオフレコで報道しないことを前提に話された内容ということでないなら、取材時に発言した内容を被取材者に断りなく伝えることができます。たとえば、組織のトップに取材したとき、そのトップが言いすぎたり失言したとして、後から「今のは報道しないでくれ」と言っても手遅れですし、それに従うようでは報道機関は「報道の自由」を守れません。震災後に宮城県庁を訪れた松本龍復興担当大臣(当時)が村井嘉浩宮城県知事にブチ切れて放言した後、「今の最後の言葉はオフレコです。いいですか? 皆さん。絶対書いたらその社は終わりだから」と発言しました。しかし、このことは広く報じられました。報道機関はオフレコの約束をもって話を聞いたわけではないので、これを報じることは抑止できなかったのです。もちろん、TBSが石原都知事(当時)の発言の語尾を変更して、反対の意味で報じたというように捏造(デマ)の報道が認められるわけではありません。

なお、補足しておくと、芸能人や著名人を被取材者とするインタビュー記事では、その被取材者にも記事の著作権があり、修正も含め、事前に確認することが認められる、という判例があるそうです。

■まとめ

「美味しんぼ」の問題は、デマを載せて間違った意見を誘導したことにあると考えています。それこそが「風評被害」を招くと言われている理由でもあります。事実に基づいているなら、それは「風評」ではない「被害」ですが、事実でないことを事実であるかのように取り上げたのは誤りであり、撤回すべきです。また、これらのデマは目新しいものですらなく、震災後に出回ったような古いデマで、被災地や行政は長い時間をかけて、それらがデマであることを伝えて浸透してきました。編集部は「スピリッツ24号掲載の「美味しんぼに関しまして」で、「事故直後に盛んになされた低線量被爆の影響についての検証や、言質の様々な声を伝える気かいが大きく減っている」とありますが、それこそがデマを駆逐した成果であったはずです。今再びデマを持ち出して、間違った議論を再燃させようとすることがどうして正しいと言えるでしょう。

■オマケ「微ショック倶楽部」

Photo

・参考)「美味しんぼ・薬味探訪(前編)」、キッコーマン「ホームクッキング>野菜の切り方」より

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