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「お前が言うな」と言われても仕方がない場合

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先日取り上げたエントリに、「著作権料でがっぽり儲けている人が「著作権を弱めるべき」と言うのは、「お前が言うな」パターン」という興味深いコメントがありました。でも、これは変な気がします。

そもそも著作権料で儲けていない人は、商業著作物にとってユーザーに過ぎません。先に書いた通り、ユーザーが「著作権を弱めてほしい」と思うことは当然であり、そのような期待を主張することは極めて自然なことです。たとえば、大学の先生による論文を例にとると、論文は引用された数で評価されるものですから、引用や複製を禁止することはまずないでしょう(それでも研究そのものの盗用は否定するでしょうが)。その先生の生活が大学からの給与によって支えられており、(論文という)著作物からの収入がないのであれば、「著作物はもっと自由に利用させるべきだ」と主張して、その通りになったとしても経済的損失はたいしてありません。別に川島教授の真似をしろというわけではないですが、むしろ著作権料で儲けている人(経済的損失を受ける可能性の高い人)が「著作権を弱めるべき」というのでないなら、経済的損失を受けないユーザーだけが声を上げても相手にされないのではないでしょうか。

さらに補足しておくと、このエントリでは「著作権を弱めることは著作者の経済的損失が生じる」というきわめて常識的な前提に立っているようです。無許諾の流通を認めることに宣伝効果があるとか、商業流通しなくなった著作物が流通しても損失はないといった主張をされている方々が、これで自説を撤回されるかどうかは興味深いところです(何しろ、そこを疑問視しているのですから)。ついでに言えば、「自分だけが著作権を弱めるのは経済的合理性がない」という前提に立つなら、「他人の著作権だけを弱めることを肯定すべきではない」と言えます。「海賊版を取り締まっても仕方がない」「もはや映画は無料で流通する時代」と主張する人は、自分の著作物の海賊版が出た場合に「取り締まるつもりはない。そういう時代だ」というのでなければ、「お前が言うな」と言われても仕方がないと思います。自分の著作物について現状のルールを守ったうえで将来のルールについて議論しようというのであれば、他人の著作物についても同じように主張すべきです。

なお、「囚人のジレンマ」は実社会で起きる問題をモデル化した話なので、「著作物の多様性を無視して、このモデルをあてはめようとしても現実味がない」ということは前エントリに書いたとおりです。しかし、「一定の範囲の著作物」に限定すれば、「囚人のジレンマ」が発生する可能性を考えることはできます。かつて私は、テレビ番組の複製制御について、番組ごとに選べるようにしてもよいと思っていました。デジタル化された今日、そのような仕組みを導入することに技術的な制約はないでしょう。ここで、テレビ番組の録画をいっさい禁止してしまうと視聴者の利便性を損ねてテレビ離れを招くとします。民放テレビは、リアルタイムで視聴される広告こそがビジネス基盤です。ある時間帯で放送される番組Aは録画可能、番組Bは録画不能と設定されていると、番組Aを録画しておき、番組Bをリアルタイムで視聴されることになります(番組の質が同じ場合)。すると、どの番組も録画不可を選択してしまい、テレビ離れを招くことになります。現実には、コピーワンスとかダビング10というように、相談の上でルールが定められているわけですから、囚人のジレンマには陥っていません。wikipedia にも書かれていますが、「囚人のジレンマ」では「強制力のある合意の形成ができない」という条件があり、これを除外して「囚人のジレンマ」が生じるというのは、たしかに私には理解できません。

さらに余談ですが、「囚人のジレンマ」は常に解決すべきもの、でもありません。wikipedia にある「値下げ競争」の例は、まさに囚人のジレンマが引き起こす(消費者にとっての)メリットだと言えます。業者どうしが相談して双方の利益になるよう囚人のジレンマを解決してしまったら、カルテルだと非難されるでしょう。著作物では「レンタルCD」が挙げてみましょう。(CCCD でもなければ)容易に複製されてしまうレンタル CD は、レコード会社がやめたいと思っているものかもしれません。しかし、実際には、邦楽 CD は早い時期から CD をレンタルさせています。自分が率先してやめてしまうと、レンタル CD を通じて流行る機会を他社の CD に奪われてしまうかもしれません。このように「囚人のジレンマが起きるルール」によって、消費者にとってのメリットを生み出しているわけです。

「一億総著作者時代」などという言葉に惑わされているのか、どうやら大半の人が商業著作物にとっての消費者であるという視点が忘れられているようです。こういう思考と話がかみ合う人たちに、はたして長期的な展望を期待できるのでしょうか。

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